10月15日 火曜日 天候不明、船上の人
明日、北海道に(しかも初めて関東圏からフェリーで)渡るというときに細海魚から新作が届いた。玄関先に僕の好きな銘柄のビールと一緒に置いてあった。ほんとだよ。何とも魚らしい。遠いところに住んでるんだからピンポンくらい鳴らせばいいのにね。
知ってる人も居るだろうけど、彼は北海道中標津町の出身。素晴らしいところだよ。自然は美しく、そして厳しい。彼の生徒手帳に「流氷に乗って遊ばないこと」って書いてあったって話は僕が誇張したんじゃない。友達の家に遊びに行って、吹雪になって二日間帰れない、とかね。たとえば摩周湖や知床半島には神が棲んでる、とか。行けば分かるよ。そんな環境が人格形成に影響を与えないはずがなく。そして表現はどうかと思いつつ、辺境の地で音楽に夢中になるってことは、たぶん人が云うほど簡単なことじゃなかったはずで、故郷への愛情と同じだけ、疎外感と焦燥を併せもっていたんだろうと、勝手に想像する。
僕に玄界灘のスピリットが流れているように、彼には知床やオホーツクの何かが流れている。それが知りたくて、随分前に彼と気の合うともだちと3人で彼の地を旅して以来、僕はそこの虜になった。素晴らしいことも、そうではないことも含めて。
たとえば。あの白樺並木は、大西洋の前で忽然と消える、あの国の不思議な農道と同じくらい静かな磁力を持っている。時空がねじれ、僕は何かと出会う。実質的に、そして空想の中で。だから何度も通う。僕はしつこいからね。
たとえば。中標津と八重山諸島は同じ国だとは思えない。でも、ほぼ同じ言語で会話が成立するところに、この小国の多様性という素晴らしさがある。僕は多いに異なる南北のミュージシャンが音で会話する現場に立ち会ったことがあるんだけれど、奇蹟のように二人は響き合っていた。ねじれた時空が織りなす美しい光景だったさ。
で、僕はこの文章をフェリーの中で書いている。もはや乗船してから1時間が経過したのに、未だ出航しない。出航したとしても19時間の旅。時間は腐るほどある。だから、たぶん、文章は長くなるけど、堪忍な。
僕も魚も自分の終焉の日ってものが確実に視界に入ってきた。もともとそれは明日かもしれなかったんだけれど。最期のときに感じるであろうことをたぶん、互いに大事にしたいんだと思う。そんな意味で、最近の魚の表現意欲は目を見張るものがある。追い込まれたのではなく、もうぼーっと生きている時間はあまりないことが、2年半前に「明日はもうないのかもしれない」と感じたことが、彼を表現に駆り立てるんだろう。それは僕も同じ。50を前にして、フェリーにクルマとギターを積んで、独りで北海道を目指す、みたいなバカなことはそうでもなきゃやらない。そんでもって、魚の新作が僕の日々に、旅の中で鳴り響いていることが素敵。僕らは互いに今を生きている。彼の音楽は静かに僕を鼓舞する。考えてみれば、彼の音楽は僕にとってずっとそんな存在だった。
「音楽がなかったら僕らはどうなっていたんだろう?」。それがいつもの魚と僕のブルーの見解。考えるだけでぞっとする。焦燥と疎外感の中で、世界と僕らを繋いでくれたのは音楽だけだった。「TOKOSHIE」はその音楽への愛に満ちた返礼だと思う。子孫が居ない僕らの子のようでもあり、あの辺境の自然と未来と都会と親ときょうだいと故郷と美しさと醜さを繋ぐ敬意の音楽。これ以上の記述は野暮だよ、たぶん。聞けば分かるさ。そして聞いても分からない。それが音楽。僕が一番ぐっと来たのは9~10曲目に流れる、美しくささくれだった「悪」の瞬間。それは船窓が一瞬、止まって見えるほどの静かな力だった。心と実際の時空がずれた。その隙間に未来への扉がある。
終焉が見えたと云っても、僕らはまだこれからの人でもある。そう思わなきゃやってられない。だから、僕の意見も伝えておかなきゃ。彼の声もまた優れた楽器。そんな意味で云えば、新居昭乃さんの歌があることで、彼のプライベート感という宇宙が、僕の脳内で小さくなる結果をもたらしている。彼女のパフォーマンスの問題ではなく、それが良すぎて楽器のひとつとして割りきるには個性がありすぎるってこと。それからこのアルバムはギターの響きが占める割合が多いのだけれど、音が出きれていない。それがいい時もあるし、もったいないと思うこともある。もう少し、小さなギターを使えばいいのに、とか。でも、ある曲のガットギターはトンコリみたいに聞こえたけど、とか。最後にミックスが(意図的だろうけど)もう少し立体的な方が僕は好み、かな。何故って日々はレイヤーだと思うから。
中標津に行ったら、あちこちで観ることができる魚の父上の版画によるジャケットが秀逸。あまりに秀逸。こういう共同作業、僕もやってみたかった。羨望。ちなみに父上の名はヒロシ。バックカバーも言及しないけど、素晴らしい。魚、作ってくれてありがとう。僕も今、南の「TOKOSHIE」について考えているところ。いにしえ、しれとこ、とこしえ、いにしえーしょん。僕が今乗っている船はだいせつ。悪くない。カムイ。悪くないんだってば。イランカラプテ。
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『とこしえ』 細海 魚
2013年11月6日発売
APHL-0002 ¥2,500(税込)
収録曲:
01 行先
02 alone@woods II
03 Cloudy November
04 Light Lungs Float
05 にじます
06 辺境の庭
07 ホームシック
08 North Marine Drive
09 雨とストーブ
10 Clairvoyance II
目まぐるしい日々を過ごしてる山口さんにはいい小休止になった船旅かしら?
中標津いつか行ってみたいなぁ。流氷のある頃に。
秋の北海道はもう紅葉かなぁ? 旅の風景写真楽しみにしときます(笑)。
道中気を付けて~。
それにしてもニャンコのお尻の筋肉のフォルム、素敵☆
素敵な文章。船旅の産物ですね。船旅好きになれてよかったです。
あれ?
アニキ大洗から乗船したとですか?
ねこさんはたぶん知っているんだ。ニンゲン一人ひとりが持っている周波数は「音」だってことを。チキュウは大きな音楽を宇宙に響かせてるってことを。
『とこしえ』は、清水ひろたかさんのツアーの先行販売でゲットしました。
すべてにこだわって創られた一曲一曲は、聴く度に新しい発見があり、好きなフレーズが増えていく毎日です。
自然とともに電子音楽があり、幸せな記憶の音が現実となって左右から聴こえてくる感じ。
新しくて、でもどこか懐かしいニュアンスで、色んな思いが溶けたり、広がったり、消えたり、また始まったり…。
魚さんの音には、天使の梯子のような温かい光を感じます。
午後の明るい陽射しの中、カフェミルトンで演奏しているシーンを思い出しました。
中標津にはかなり前に行ったことがありますが、今はすっかり「北海道に行きたい病」です!
既成事実のために飲んだギネスからはじまった船旅。空がなきにあるなら、壁もなきにあるのです。曲がらなければいけませぬ。のんびりしてください!