日別アーカイブ: 2014年5月21日

ヒーロー

5月21日 水曜日 曇り 編集者のともだちが自信作、「読む野球」を送ってくれた。最初はおふとんの国の睡眠導入剤として読んでたけど、次第に目が冴えて眠れなくなり、しまいにゃ、youtubeで記憶の奥深くに刻まれたシーンを観て、号泣する始末。 だって、野球だもん。始末におえんよ。13歳まで真剣に、ピッチャーになって、オレがライオンズを救うんだと思ってたもん。 親父が唯一教えてくれたのは野球だけで(きっと奴がやりたかっただけだと思うけど)6歳になったら、庭に規定通りの長さでマウンドを作り、星一徹ばりにキャッチボールが始まった。むろん、硬球。軟球なんて使うのなら、野球やめちまえ、的な。ミットを構えるのはど真ん中ではなく、常に内角低め。そこに渾身のストレートを投げ込め。これが山口家の家訓。 ま、うちの話はこれくらいにして。 オレの最後のヒーローはカズ山本こと、山本和範選手。彼が観たくて何度球場に行ったことか。圧倒的に他の選手と違っていたのは、「今打たなきゃどうする」って場面での打率が半端なかったってこと。九州の匂いがぷんぷんするってこと。そして、オレたちの応援がこんなに届いていると、感じられる選手も居なかったってこと。 記憶が正しければ、彼がサヨナラヒットを打ったとき、気がついたらオレはライトスタンドのネットをよじ登ってたこともあるし、ミスチルのケンちゃんと一緒に応援に行って、あまりの応援っぷりに守備につく山本さんに「静かにしなさい」って怒られたこともある。笑。 何はともあれ、痺れる選手だった。彼の最後の試合のVHS、未だに持ってる。何度観ても号泣。山本さんと平和台球場。それがオレの野球の全てだった。チケットを買って、スタンドに続く階段を駆けのぼる。そして福岡の空とスタンドが見えたときの感じ。嗚呼。 ある日、アルタでテレビに出演してた。本番中、急に渡された電話は山本さんと繋がってた。シークレット。頭、真っ白。「あ、君の音楽、練習の行き帰りに聴いてるよ」。そして次の大阪のライヴ。楽屋には近鉄球団ではなく、山本さん本人から花が届いてた。ライヴ中、でっかい人が客席に居るなぁ、と思ったら、ご本人だった。来てくれたんだよ、シーズン中なのに。 これは自慢じゃないよ。先日のヤイリ・ギターもそうなんだけど、偉大な先人たちから、オレは人としてどうあるべきか学んできたってこと。カズ山本の不屈の血は死ぬまでオレの中に流れてるってことです。     ついしん この映像。あれから3回も観て、毎回、号泣。カズさん。オレの草野球の背番号、もちろん29です。      

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