日別アーカイブ: 2016年12月15日

Dazed and Confused

12月15日 木曜日 晴れ ひとことで云えば、とてもしんどかった。過去形で書いたけれど、そうであって欲しいという願望も込めて。笑。寝ていただけなのに極度の筋肉痛と節々の痛み、おまけに腰には大きな青痣。Why? まったく私のカラダはどうなっているのやら。 今はね、生まれたての子鹿みたい。(©渡辺圭一) でも、夢とうつつの間を彷徨っているような、生きているけど死んでいるような、覚醒しているけど鎮静していて、もはや呼吸さえしていないような、深海を漂っているような。実際おかしな夢もたくさん観たけど、それはヴィジョンのようでそうでないような。骨と肉が剥がれていくような。うーん、形容不能。不思議な幽体離脱感があった。「主観即ち客観」ってこういうことなのかなぁ、と思ったり。きっと、オレも自然の一部に過ぎない、そういうメッセージなのかなぁ。 Dazed and Confused。 うなされている最中に「愛してさえいればそれは無限を意味する」って言葉が降ってきて、えーっと、これ誰だっけ?オレ?な訳ない。えーっと、ウイリアム・ブレイクだ、みたいな。でも、なんだかとつぜんその言葉の意味が理解できたり。 なにごとも意味のない経験なんてなくて、病気と云うよりは、これは自分と環境との関係性の中で、自らが作り出した軋轢のようなものだから、その意味をしんしんと受けとめる。オレは自然の一部に過ぎないんだから。 普段、意志も身体も硬く固いことで知られているわたくしがぐにゃぐにゃ。骨ナシ・ヒロシ。これはこれでたいへん有意義で面白い。今はね、生まれたての子鹿、アゲイン。この柔らかさはオレが欲しかったものでもある。 Dazed and Confused。 あれだけ辛かったのに、ほんとにLIFEは面白いなぁ、と思うのがソングライターの卑しさ。 それにしても、新宿から直送された参鶏湯は効いた。てか、この齢になるまで食したことがなかったから、どういう食べ物か知らなかったし、封を開けて、若干のグロさにたじろいだが、一羽の鳥がオレのために死んでくれたのだし、これを運んでくれた人物の情熱にかけても食したかった。 ダニエル・ラノアのスティール・ギターのような日々からようやく地面に着地した感じがある。浮遊からの帰還。リーガル・ドラッグからの帰還。オレをこっちに戻してくれたのは確かにお粥と参鶏湯だった。ありがとう! Dazed and Confused。 何かが生まれ変わった気がするんだよなぁ。何がって、ぜんぜん分からないけど。 「心が単純な時にだけ複雑なものが理解される」。この言葉の意味もパーフェクトに理解できた。忘れたくねー。

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