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境界線

9月10日 日曜日 快晴 何の話か分からないと思う。 具体的なことは書けないし、書くつもりもないし、書くべきじゃない。どうしてって、あまりに頭が混乱していて、咀嚼するには時間がかかるから。ひょっとして、思考は永遠にどこにも辿り着かないかもしれない。でも、考え続けるし、文責は僕にあるこの場所で、どっちかというと自分のために記しておきたい。そんな経験。 すごい世界だった。 銀座の瀟酒なビルディングで話し合われていること。それを世界じゅうの人々が自室で眺めていて、コメントを送ってくること。映画、ブレード・ランナーの方がまだ僕にはリアリティーがあった。それがどんな世界が想像はしていたけど、経験したなら、それは遥かに想像を上回った。良くも悪くも。 痺れる。脳がじんじんする。考える中枢(何処にあるのか知らないけど)と言葉にする部位がまったく結びつかない。緊張もあるとは思う。でも僕らは日々、ステージ前に緊張してる。それだけでは、決してない。きっと社会の澱みたいなものに対峙させられているからだと思う。いや、対峙しなきゃいけないからだと思う。そして知ってしまったことを知らなかったとは云えないからだと思う。 嵐が吹く。大嫌いなLEDの下で。怖かった。僕が狂ってるのか、世界が狂ってるのか、分からなくなる。たぶん両方、だね。どうして僕はここに居るんだろう。僕が百戦錬磨だと思い込んでいる人物と休憩中にトイレで一緒になる。彼が「かえりたい」とひらがなで呟いた。それがここで生きる意味で、覚悟なんだと僕は悟った。 かつてこんなに話が噛みあわない現場に居あわせたことがない。言語はほぼ100%理解できるけれど、噛みあわない。中途、僕は「これはほんとうに日本語なのか?」と疑ってみたよ。 「愛だろーーーーーーーーーーっ!、それだけだろーーーーーーーっ!」と、大声で無性に叫びたかった。もちろんそんなことはしないけど、こころの底からこみ上げてきたのはその言葉。愛だよ。抱きしめてあげるんだよ。僕がそうされたかったみたいに。小さな子を「お前を愛してるよ」って。本気で。それは僕にもできるぜ! 「結局のところ、君が受けとる愛は、君が与えた愛に等しい」って。 ジョン、いいこと云うよ。見返りを求めないのが愛だよ。きっと。   何があの人と僕を隔てるのか。何があちらとこちらを隔てるのか?   以前にね。敬愛するアニキ分のミュージシャンに質問したんだ。「どうして人は互いに分かり合えないんだろう?その境界線は何なんでしょう?」って。応えはね「いい質問だね。境界線は超えるのではなく、ぼかすんだ」って。僕はその言葉を忘れない。財産だよ。「曖昧」って意味じゃない。ポジティヴなんだ。言い換えるなら、多様性や差異をすすんで受け入れ、ジョークを忘れず、快活に創造力を明日に飛ばす、ってことだよ。自分のことより先に相手を思いやるってこと。もっと書けば、この世は生きるに値する場所で、人は信じるに値するってことを実践するってことが「ぼかす」ってことのほんとうの意味。ワン。 愛だよ。もうね、50歳をすぎると、ほとんどの場面で僕がごちそうする。若い頃、誰かが僕にしてくれたことを、ようやく今お返しできる。そうやって世界は廻る。昨夜、僕は一銭も払っていない。そこに意識が働かなかった。ってことは、僕を遥かに上回る客観性をもった愛のある人物がそこ居たってことなんだ。僕にとっては。まだまだだよ!ぜんぜんダメだよ!ひとこと云いたいんだよ。愛をありがとうございますって。それが僕を動かす力さ。 で、僕は僕の道をいかなきゃ。 ロックンロールが大好きなのは最後は精神を肉体で突破するからなんだ。 ありがとう!誰にって、それは秘密。そして、今日は働かない。無理! たいせつなことが見えてきた気がしてるんだ。 昨日、悩んだんだけど、この歌歌えば良かったなぁ、と。1992年、27歳のガキが書いたにしちゃ、良くできてる。僕は君を憎むために生まれてきた訳じゃない。今も僕はそう思うぜ。 灯り    

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