日別アーカイブ: 2021年3月4日

優しさ

3月4日 木曜日 曇り おそらく山口家最後の法事ってやつをオレが取り仕切ったとき。(わたくすが最後の生き残りなので)片手でじゅうぶんに事足りる人数が来てくれた。来てくれた数より、オレが預かっている故人の数の方がはるかに多かった。 オレが死んだら、このお方たちを守る人間がいなくなる。果たして、どうすべきか今考えているところ。先祖には申し訳ないと思うけど、オレだって懸命に生きた結果なんだから、しゃーないとは思う。ロックンロールが老いと向き合うひとつの形。こういうことも、参考になればと伝えていこう。 その日、まだ元気に暮らしてる親父のお姉さん、つまりオレのおばさんに半ば遺言のように言われたこと。 「ヒロシちゃん。山口家の男たちは代々、途方もなく優しいの。それがゆえ、誤解も受けるし、いろんな目にも遭うことになるし、あなたもじゅうぶんに苦労してきたと思うけど、その優しさを忘れないでね」。云々。 ひどくこころに響いた。 言われてみれば、祖父から親父、そしてオレに受け継がれたその優しさはとってもいいところだけれど、一方で人生を無茶苦茶にしてきた、優しさに振り回されてきた、とも言える。故人のプライバシーがあるから、これ以上は書かないけど。 とくに中途半端な優しさってのはいろんな意味でタチが悪くて、おばさんの至言は「覚悟をもって取り組め」って感じで、いまもこころの奥深くにしまってある。とにかく、優しさとの付き合い方は未だに難しい。 高校生のとき。 生まれたての子猫が3匹ダンボールの中に捨てられていた。どうしても見捨てることができず、家に持ち帰ったが、母親が飼うことを許してくれなかった。仕方なく、近所の空き家の倉庫に無断で侵入して、そこに餌を運んで育てることにした。でも、学校帰りに見にいくたび、一匹、また一匹と死んでいくのだった。目を開けることもないまま。最後の一匹が死んで、無力さに打ちひしがれながら、親友にその事実を打ち明けたとき、奴は 「お前が殺したんだ」と言った。 瞬間、頭に血がのぼって、逃げまどう親友を数キロ追いかけ、神社でボコボコにした。それから約1年半、奴とは口をきかなかった。 今になって思えば、あいつはオレの中途半端な優しさを諭したのかもしれん、と。悪かった、と思う。 では、どうすればよかったのか。自分で引き受けることが「中途半端な優しさ」で、学校や近所に張り紙をして「飼ってくれる人を探しています」、まずは親に金を借りて病院に連れていけばよかったのかも、と。 なんでこんなことを書いたかっていうと、今世界にそれが欠けてると思うからです。オレも正解なんかわからない。でも、考えることには意味があると思うっす。 最終回ではなくなったインスタライヴは3月6日土曜日、19時からやります。オレも最近コミュニケート不足なのかもしれんと思います。なので、質問とか(くっだらないものも大歓迎)送ってくれるとオレもネット空間も和むかなぁ、と思ってます。 笑いを忘れず生き延びようってことで。 リクエストや質問はこのblogのコメント欄にどうぞ。今日いっぱいまで受けつけてます。 1. 名前(ニックネームで構いません) 2. だいたいの年齢、性別、お住まいの地域 3. インスタライヴで聞きたいHWの曲 4. その曲を聞きたい理由、メッセージ、質問、アイデアなど遠慮なくどうぞ!

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