日別アーカイブ: 2021年4月24日

G.Yoko / Survive、完成しました

4月24日 土曜日 晴れ G.Yokoの1stアルバム、”Survive”、完成しました。 この稀有な才能を世界に伝えるのが僕の役目だと思って、2年半取り組んできました。ようやく届けられて嬉しいです。 詳細は追って。今月末に発売予定です。 ひときわ愛着のある素晴らしい作品になりました。南の島の貝の声、ぜひ聞いてください。   ——————–     G.Yoko / Survive “南の島の貝の声” その才能に出会ったのは、2011年。公演先の沖縄県石垣島のジャズバーでのことだった。 けっして社交性に富んでいるとは思えない、消え入りそうに小さな声。でも、1曲聞かせてほしいという僕のリクエストに島のギタリストと応えてくれる。 今でも忘れられないその歌は「めんどくさいからやめた」という曲で、圧倒的なソング・ライティングの才能と、唯一無二の歌声にノックアウトされる。なんだか、とんでもない才能に、日本の端っこで出会ってしまった。 聞けば、俳人だった父親が遺した海の前の家で、歌を描いて暮らしているのだと。 まるで貝の声のように、不揃いで、美しい歌たち。 生きることに前向きになれず、ドラえもんにそれを問いかけたなら、足りないものは「勇気」だと。だから、辞書で「勇気」を引いてみた、と僕に言うのだった。 でも、南の島の貝の声は僕を惹きつけた。 いつものように直感がこう言った。この歌を世界に届けなきゃ。いや、届けたい。ある種のニンゲンたちにとってはきっと必要不可欠な歌になる、と。 G.Yokoにコンタクトを取る。 褒める、励ます、機材を送りつける、その使い方を教える、ステージに上げる、エトセトラ。好きで歌を書いていただけの人間にとっては迷惑な話だったと思うけれど、逡巡の末に、彼女の歌が大きな円環を描くことはわかりきっていた。あの島を包みこむサンゴ礁のように。上空から見ると、サンゴが島を守ってるように見えるんだよ。 最初に録音したのは「空をとんで」。録音機材は僕が東京から運んだ。歌ってくれたのは1テイクだけ。「録音」というよりは「採取」に近かったけれど、その歌を自分のスタジオに持ち帰り、ダビングとミックスを施して完成させる。 イケる、と僕は確信した。 彼女が海と暮らしながら描いた世界には力がある。作為がない。それは決して強制する類のものではなく、いつだってそこはかとなく遠巻きに、人を信じようとする力に満ちている。 ゆっくりと時間をかけて、彼女は僕の想いに応えてくれた。 この2年半の間に、島の近代化によって、継いでいた家業をたたみ、最愛の母を亡くした。そのたびに、彼女は美しい歌を描いた。 ロックンロールには夢を、伝承された民謡には愛を。そして、消え入りそうな歌声には自らのルーツ(音楽的なことも含む)を感じてもらえるよう、意識を集中していた。 僕には明確なヴィジュアル・イメージがあった。奈良美智さんの絵だ。彼の絵とあの歌が相まったなら、と夢想してみる。たぶん、きっと間違っていない。 とあるフェスでお会いしたとき、作りかけの音源を渡してお願いしてみる。なんて無謀でわがままなことを、と思いながらも、根拠のない確信だけはあった。 しばらくして、奈良さんから連絡があった。「描けるかもしれません」、と。とても嬉しかった。G.Yokoとデザイナーを連れて、アトリエを訪ねる。どうしても、直に彼女の歌を聞いて欲しかったから。 G.Yokoは触発されて、突然絵を描き始める。島の暮らし、歴史や文化を奈良さんに伝えたい、と。そして足りなかった最後のピース、「ペインターマン」を書きあげ、アルバムは完成した。 奈良さんから絵が送られてきて、僕は深い感動を覚える。歌たちと、あまりに響きあっていたから。誤解をおそれずに書けば、その絵は辺境に暮らす者への深い愛に満ちていたから。 完成したジャケットのサンプルを持って、僕は石垣島に飛ぶ。”Bringing It All Back Home”、すべてを一旦、家に持ち帰ること。 サンゴの海で、白い砂浜で、ハイビスカスの前で、椰子の木の下で。ジャケットを空にかざしてみる。すると、頭の中にG.Yokoの歌が生き生きと響きだす。生きるための希望をともなってね。とても嬉しかった。 … 続きを読む

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