人としての純度

11月12日 木曜日 曇り

空港です。九州山中に潜伏していました。社会に復帰するまえにワンクッション置いた方が良かったのです。これはお世辞でもなんでもなく、Mr.Childrenとそのオーディエンスは人として、見たことがないくらい純度が高かった。51歳の僕でさえ、こころの深いところが純化された気がするのです。同時に僕らはアナーキーなやり方で何処にも属さずバンドを続けてきたけれど、運営していく方法についても、大きな刺激を受けました。ギフトだなぁ。

大袈裟に書くなら、ひねくれていたものが彼らのひと押しで一回転して、ほんとうに素直になれたような、そんな気分なのです。人ってすごいなぁ、とあらためて。

さ、明日から自分の現場に復帰です。

アラン・トゥーサンさん、素晴らしい音楽をありがとう!R.I.P。

九州ありがとね!

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人としての純度 への2件のコメント

  1. M.Yoshimi より:

    アラン・トゥーサン、
    彼の音楽が僕をあの土地まで動かした。音楽というものの中に、匂いや絵、何か息吹のようなものを「みた」。それは僕にとって何よりも奥深く、自分の生命の根源に触れたような、目の覚める思いがした。
    気が付けば、あっという間にその土地を踏みしめていた。頭で冷静に考えると、「自分は何をやっているんだか」と思ったが、それに勝るようにいつも、自分の存在は、昂り、喜んでいるようであった。それまでにあんなに強い生命の鼓動を感じたことはなかった。生きているとは、こういうことか、と。
    しかし、道を歩めば歩むほど、孤独、それはいつでもしつこく付きまとって、僕を苦しめた。そして何度も心にない現実や言葉によって「夢」が砕けた。
    それでも僕が今もこうしてどうにか歩いていられるのは、出逢った人たちのお陰でしかない。挫けそうになると、必ず誰かが目の前に現れた。
    Lifeは、ミラクルだ。旅をしていると、その隠れた真理に行き着き、何事をも受け入れざるを得なくなる。
    今年の春先には、「いつでもどこかに虹の出ている」あの国で、大好きなFiddlerと同じ時間を共有してしまった。しかしいつでも思うが、どんなサプライズも、何だかとても当たり前のような姿をしてやってくる。「偶然」それは、「必然」、というもののある違った言い回しでしかない。
    孤独を消すものは何か。それは言うなれば、この「自分」という存在を「他人」と同等の位置に置いたときだろうか。そして最近思うのが、自分の存在はあってないようなものかもしれない、と。目を凝らせば凝らすほど、他者と自分の境界は、本当に曖昧なもののように思える。
    自分はやっとスタート地点に立つ。12月4日に大阪でイベントを行います。直感で興味を覚えた方は是非ご連絡を下さい。詳細をお伝え致します。
    motohiro.joseph@gmail.com

    山口さん、管理人様、不適切だと判断しましたら、削除をお願いします。
    またこの文章を読んで不快に思われた方が居ましたら、申し訳ありませんでした。

    吉見心裕

  2. taka より:

    アウェーに飛び込んだからこそ、得られた心境ですね
    どうしても日頃のツアーだど、オーディエンスは旧来のファンばかりですから

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