福島にて

2月3日 土曜日 曇り 

 福島に居ます。

 あれから7年。MY LIFE IS MY MESSAGEに毎月欠かすことなく気持ちを送り続けてくれる人たちが居ます。僕に何ができるのか分からないけれど、託された以上、自分の目で見ておかないと、その気持ちを還流する方法なんて、到底見つかりません。少なくとも、あのオリンピックを過ぎて、10年目までは続けようと思っています。意地でもあります。

 何のアポも取らず、ふらりとやってきました。そこで出会った人たちから話を聞くのがいいかなと思ったのです。確かな復興の風景を見ました。そして、ここに来るまでにきっつい場面に何度も出くわしましたが、そういう写真を掲載することはやめておきます。たった一日だけ久しぶりに来た僕にそれをどうこう語る資格はないと思うからです。

 できるだけそこに暮らす人々と会話をしてみたいと思っています。帰ったら咀嚼してお伝えします。

 ジョニ・ミッチェルさんのこと、書かせてもらいました。

 

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福島にて への6件のコメント

  1. かつらぎ より:

    伝えてください。目で聞いて、耳で見て。

  2. かつらぎ より:

    「目で聞き、耳で見る」猫に囲まれて暮らしていたご自宅にて、阪神淡路の震災で亡くなられた画家で詩人の言葉です。

  3. Masako より:

    今の福島のことを伝えて欲しいです。洋さんが、見たことも、聞いたことも。これからもずっと、忘れてはならないことだから。

  4. 天野 より:

    サンディエゴにいる友人からエリック アンダーソンの街角のライブハウスでおこなわれたコンサートに来ていた車椅子のジョーニ ミッチェルさんの写真をみせてもらった。ゆっくりと元気になられるといいですね

  5. こ寿司 より:

    いつでも後悔とともに思い出すのは、
    地震のあと福島から疎開してきた小学生のことです。
    親元から離れ、子供だけで都の施設に避難してきた子のケアに、職場の指示で一晩だけ派遣されました。
    親元から離れて過ごす子供達のフラストレーションは限界で、なんとかしたくて、なんのスキルもないわたしはお布団の上に子供達を巴投げしてみんな大笑い。
    それが嬉しくて、結果、自分のお尻の皮がむけるまで遊ぶことしかできませんでした。
    翌朝、またきてねって泣きながら言われ、また行くよって約束したのに…職場のルールで行けなかった…。
    彼女たちは今、福島に帰れたのかな。
    帰れていて、もしかしたら山口さんとお話してできていたいいのにな、なんて。
    約束を守れなかった卑怯な大人の後悔なんて、今の彼女たちにはなんの関係もないのだろうけれど…もし許されるのなら、なにかできることをしたいのです。
    山口さんがなさってる活動に感謝します。忘れずに、続けられる場があることに。

  6. より:

    福島県の出身です。
    相馬ほどではありませんが、沿岸部で自宅が半壊する程度の被害がありました。当日は誰とも連絡が取れず恐ろしい思いをしました。(都内のビル16階で地震に遭ったことも恐怖でしたが。)直後に引越しの手伝いで帰った際、もう海にも近づけない厳戒態勢と遺跡のように変わった住宅街を目の当たりにして
    我が家は人員が無事だっただけで有難かったと考える外ありませんでした。
    復興の為に、現地の為に活動してくださる方には感謝しかありません。いつもありがとうございます。福島は寒かったでしょうから、お風邪を召されませぬように(`・ω・´)

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