9月17日 金曜日 曇り
50代も後半になると、老いへの抗い方、ではなく、向きあい方に変わっていく。忍び寄ってくるんだ。忍者みたいに。ただ、激しく騎馬隊みたいにやってこないのが唯一の救い。
主に肉体的な話。ずっと抗ってきたけど、もはや抗うと壊れる。車検に通らなくなったクルマみたいに。もう部品は売ってないんだ。だから残ってる新陳代謝の力を借りて、細胞を生まれ変わらせていく。
現有勢力でどうパフォーマンスを総合的に向上させるかってこと。音楽家の引退は自分で決断することだから。
そんな意味で、チャーリーが亡くなってもストーンズを続けるってところに驚愕したよ。ほんとうに。一時期は株式会社ローリング・ストーンズにしか見えなくなってたけど、トップランナーたちのあの決断がどれだけ影響を及ぼしたことか。なにがすごいって、彼らはステージに立ち続けてるんだから。机上の話じゃないんだ。それはルーツミュージックに根ざした強さなんだと思う。だって、もうカネは不要でしょ?笑。伝承していく意志なんだと思うよ。そこ大事だよ。汚れにまみれて、再びピュアなんだよ。
で、老い。
たとえば。ある日気づいた。散髪の頻度が減ってることに。以前は二ヶ月も切らなきゃボーボー・ジャングルだったのに。髪の毛にコシはなくなり、毛量は減る。
でも、だから、なに?老いってそんなに恥ずかしいことなの?違うでしょ。トシを重ねることはちっとも恥ずかしいことじゃない。肉体的な変化は仕方ないんだ。でも、それをどう受け入れるか、で人に伝わるものは変わっていくんじゃないかな?
胸を張って、一度しかない人生、情熱もって生きればいいんでね?あなたがいくつであれ。
憧れね。小さな舟で家族を養ってきた年老いた漁師。オレ、魚触れないけど。笑。嵐の日は家でずっと酒飲んでる。晴れたら一人、小さな舟で漁に出る。そんな音楽爺さんにオレはなりたい。
夢を見たんだ。
オレの勘違いでライヴに間に合わない夢。でっかいライヴで、会場に着いたら開演時間過ぎてて、魚ちゃんと池畑さんが仕方なくジャムってた。笑。でも、そこからものすごいライヴになるって夢。
好きなんだよ。バンドやってることが。
だから、コに負けたりはしないよ。奴らにオレの夢は破壊できない。たとえ、罹患したとしてもね。それでいいじゃん。
>もうカネは不要でしょ?笑。
そうかそうか、そうですよね、金銭的には何なら美女に囲まれて南の島で余生を過ごす的な老後のオプションだって選べるはずなのにオンザロードにい続けるというのはそういう事ですよね、ちょっと考えれば分かりそうなものだけど言われるまでそういう考えに至らなかった。これは示唆に富みますね。
個人的にはこの後2年くらいが人生の終盤の道筋を決める期間だなあと思っているのですが、勇気出ます。僕も負けていられないなあ。
五十の手前で、おそらく最期の転職活動をしてみました。
大工修行をして、夢に取り組んでみようと思っています。
チャーリーが居なくてもツアーは続ける意志、尋常ではない強さを感じました。
ブライアンの時も2日後に追悼コンサートやっていた訳ですし、何があっても
”続けること”がローリングストーンズなんでしょうね。
まさにバンド名を体現しています。
星は無数に存在するけど、北極星は見失ってはいけないって事ですね。
肝に命じて置きます。
いつもありがとうございます。
介護という職業柄、いろんな死やいろんな家族を見てきて自分なりの死生観を持っていました
それが固まったのが『Born to die』とか『無への長い坂道』というリリックがあるLong way for nothingでした
どういう死に方をしたいのかにこだわって、いまの生き方を決めるようにしています
ありがとうございます