10月28日 金曜日 曇り
霧雨の中、峠を20キロ走って、身体のブラッシュアップは完了。濃いガスにまかれると視界は3メートル。本当に道があるのか疑わしくなるけど、多分ある。人には勧められないけど、得難い経験。
自分なりにカタをつけて、清い心で山を降りようとしたが、そうは問屋が卸さず。ネットに繋がらなくても、目眩のするような情報が次々に飛び込んでくる。今日は我慢の限界を超えたので、いくつかのトピックに分けて、伝えます。これって、ここ一日の話だよ、ほんと。信じられる?
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1. 「津波が来る前から、原発は制御不能だった」
広瀬隆さんとフクイチの設計者であるサイエンスライターの田中三彦さんの告発。「津波前から原発は制御不能だった」。東電は津波による全電源喪失が事故の原因だと公式見解を出しているが、もし津波の前に地震で壊れていたのなら、地震列島日本に建設されている、他の原発は再稼働できなくなる。地震後、どのような対応をしたかと云う追求に対して、東電は「黒塗り」の作業手順書を提出。田中氏は元エンジニアとして、地震による配管破断から制御を失った可能性をデータから指摘。電力会社はこの惨事から学ぶ姿勢に欠けすぎている。この後に及んでごまかそうとする、その体質に呆れる。ストレステストなる名目でメーカーにそれを依頼して、再稼働させようとする政府も同罪。目眩。
2. 「東電は原発賠償で国に一兆円の支援要請」
、、、、、、、、、、、。言葉が見つかりましぇん。
3. 「放出されたセシウム137は約3万5000テラ・ベクレル。それは日本政府の推計の2倍を超える可能性がある」
原発事故によって放出された放射性セシウム137は約3万5000テラ・ベクレル(再び目眩)に上る。それは日本政府の推計の2倍を超える可能性がある、と北欧の研究者たちが指摘。「太平洋上空に流れた量を多く見積もっている」と例によってアホな読売新聞は報じているが、その文章に何の根拠があるのか、まったく分からない。大切なことは、それがどれだけ途方もないことなのか、一般ピープルに理解できるように、示すことだとオレは思うのだが。
4. 「海にダダ漏れしたセシウムについて」
海洋流出したセシウム137は2.71京ベクレル。東電が6月に発表した数値の20倍。フランスの研究所が発表。
5. 「自分の安全は自分で守るしかないこと」
僕は普段、関東某所に生息している。前にも何処かで伝えたけれど、あまりのキンチョー感のなさにときどき目眩を覚える。けれど、発見される放射性物質の場所は次第に接近してきていて、遂にベリー近場で8000ベクレルのセシウムが検出された。小学校でね。例によって、自治体は地上5メートルの空間線量しか測っていなかった。今回、この数値が出たのも「住民の要請」によるもので、その危機管理のなってなさに目眩。NHKの夕方のニュースは「今日の放射線量」ってのを流しているのだけれど、前にも書いたが、その数値と、僕らが測ったものは「一桁」違うってことを伝えておく。これだけの「ウソ」が公然とまかり通っている中で、自分の身、子供たちの未来は、自らの手で守って欲しい。みんなが住んでるから安全、なんてことはあり得ないってことを。あのね、僕だって、こんなこと書きたくない。フツーに他愛のないことを書いて、暮らしてたいよ。でも先日、僕は研究者によるチェルノブイリの影響のレポートを詳細に読んだのだが、慄然としたのだよ。自分が知っていることをどう伝えるべきか、本当に悩む。
6. 「福島で行われる駅伝」
11/13に福島市で東日本女子駅伝が催される。放射線管理区域である0.6マイクロシーベルトを超えている地点が多々ある、と。中高生も走るんだと。目眩。
7. 「食品から受ける生涯の累計線量の上限を100ミリシーベルトに」
食品中の放射性物質による内部被爆の健康影響について検討してきた内閣府の食品安全委員会は、食品から受ける生涯の累計線量の上限をおおよそ100ミリシーベルトとする答案をまとめた。
しかも、これは外部被爆を含まずってことらしい。何はともあれ、読みかえれば、生涯100ミリシーベルトまでなら、内部被爆オッケーってことです。と、政府が申しております。
8. 「原発輸出、首相表明へ。ベトナム首相と31日首脳会談」
まったく。どじょうはどっち向いて泳いでんだか。
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どうして正直に生きようとしないんだろう。どこまで腐ってるんだろう。どうして暴動が起きないんだろう。3たび、この言葉を。
「普遍的な愛の基盤は、あらゆることに対する責任感です」。by ダライ・ラマ14世
こんばんわ。
私は東電社員ではありませんが、原子力ムラの住民、原子力技術者かつ福島原発の作業員です。
大好きな福島が警戒区域で立入禁止になったり、また、技術者として原子力発電所の安全に運転すべく、日々尽力していたにもかかわらず、最悪な事故が起こってしまったことの悲しみと事故を防げなかった無力感で一杯です。技術者の端くれですが、何故事故を未然に防げなかったのか・・・本当に俺は何をしていたんだと。
ですが、反論・罵倒はあるでしょうが少し書かせてください。
例えば、「0.6μSv/hを超える~」とか「8000Bqのセシウムが・・・」などは、実際に健康への影響に関して客観的な判断もなく、数字だけが一人歩きをして、さも危険であるような印象を与えているのではと思います。個人的にはこの数字は全然問題にならないと思っています。たとえ子供・妊婦の方でも。
福島事故後は、反原発的な情報だけが過剰に報道され、原発に肯定的な情報はネグられるなど、とても偏った情報発信だと思っています。
私は原発作業員でもあり十分被ばくしています。また、福島に自分の子供を永住させるのは何の抵抗もありません。福島の状況がもう少し冷静かつ客観的に報道・情報提供されることを強く望みます。
とても悲しいことですが、私は世間様から反社会的な目で見られながら、福島の廃炉対応や現存する原発の安全性強化など、これからも技術者として全力を尽くすつもりです。
九州に住んでます。約3万5000テラ・ベクレル、0.6μSv/h、8000Bqピンときません。勉強不足ですいません。 でも、この数字を気にしないといけない事自体が異常だと思います。
技術者として、安全性の強化ではなく、絶対安全をお願いします。
これまで何度か出てくる記述、〈僕らが測ったものは「一桁」違う〉がとても気になります。あちこちで民間の測定によってホットスポットが発見され、除染などの対策が取られています。情報をご自分でキープせずに自治体に報告してほしいです。数値を知らずにいるその周辺の住民が不要な被曝をすることになると思うので。
暴動なんか起きないほうがいいじゃないですか。
暴動の後に苦しむのは弱い貧乏人。
ダライ・ラマの言葉は怒りを正当化するものではないと思います。
冷静かつ客観的な報道は、皆が強く望んでいます。
原発に肯定的な報道は、
例えば、年内に除染作業が終わって、
全ての福島県民が生まれ育った地で
穏やかな年末年始を過ごせる、
という、県民の喜びの表情を伝える報道、
あるいは、放射性廃棄物を、
無毒化できる薬剤が発明されました、
といった類いの報道が、原発に肯定的な報道だと思います。
僕は浜岡原発から10km未満のところで
生まれ育ちました。
浜岡から半径10km、20kmの円を地図に書いたら
福島の皆さんが奪われたものの大きさを
リアルに感じられました。
さらに恐ろしい妄想をするなら、
福島や浜岡(静岡県)の土地は
都市部の生活を支え、万が一の場合の安全を確保するための、
捨て地で、
最悪、誰も住めなくなってもOKの僻地だと。
福島の事故後は、思ったより都心に近くて危ないから
浜岡は止まったと。
大多数の日本人を守るために、
僕らは犠牲になれという、この国の安全対策ですよね。
こんなことを言うと、僕らも、原発マネーで潤ってるんだろ、
ガタガタ言うな、と、捨て地は黙れ、と、
批判の対象にさえなる。
生活水準見ますか?原発で本当に潤っているのは誰?
年間1ミリ。これを危険の判断基準にするのは当たり前。
その為に法律(ルール)ってあるんでしょ?
事故が起こったとたんルールを変えるのは卑怯です。
未然に防ぐは当然。しかし事故は起きると想定して対処すべき。
対処出来ないならやらない。これが大人の責任。
暴動の後に苦しむのは弱い貧乏人なら間違った判断で被害をうけるのは
この国の大切な弱い何も言えない子供達。貧乏金持ち関係無し。
子供を守ることが大人の責任。子供を守る行為が未来を作る。
責任主体で生きられない損得勘定発想の卑怯な大人が増え過ぎ。
恥を知るべき。
暴動、暴動と・・・おきることが望ましいのですか?
まさか「節度のある暴動」でもおっしゃるつもりですか?
困るのは普通に生活している人ですよ。
少なくとも「言葉」を仕事にされている人が、軽々しく使っていい言葉とは思えません。
どうしても暴動がお望みなら、ご自身が先頭に立たれればいいでしょう。
暴動、という言葉が独り歩きして
いるようなので、山口さんの
言葉を勝手に解釈させていただくなら、
今の恐ろしい状況に、皆が本当に
向き合って、真剣に考えていたなら
あまりの理不尽さに、
怒りを抑えきれない若者が出たと
したって何ら不思議ではない、
という、この酷い状況を表す比喩です。
そして、この国の僕らは、政府やマスコミに対して
従順、あるいは無関心なことが多く、
今回の大惨事に対してさえ、事なかれ主義に
飲み込まれるのか?という、想いもあるのでは。
暴動などの強い言葉ばかりに反応せず
冷静に文脈を読むことを、今後も
意識していきたいと思います。
政府やマスコミの情報操作に
とりこまれないためにも。
こんばんは。
食の安全。
もう日本に住んでいる限り、どうしようも出来ないのかもしれません。
広島県に住む女性の母乳から、放射性物質が検出されています。
http://savechild.net/archives/10199.html
ツイートされた全国のセシウム量
http://twitpic.com/751h5j
福島、宮城の数値がないのは、データがないのではなくて、発表出来るような数値じゃないのではと思ってしまうのです。
次の世に、便利さや個人としての富を残したいと思う人は、原子力を否定しないでしょう。
人間は愚かな生き物ですね。
自分達で作ったものに苦しめられて生きている。
何もないことがどんなに幸せなのか思い知らされます。
動物達は、何も生み出さないが、苦悩も無く、ただ目の前のものを受け入れ生きています。
koikeさんのおっしゃる通りです。
問題を真摯に真剣に自分自身の事として考えればこの国の現状に対して
暴動の二文字は頭によぎります。いや、よぎりました…。
しかしその衝動を抑えている。当たり前です。大人だからです。責任があるからです。
この言葉が理解出来ないのであれば全ての問題は結局他人事の無関心なのです。
無関心とは愛が無い状態です。
山口洋氏がこんなに愛をもって訴えてもこの程度です。理解出来ないのです。
もし原発を脱して新しい未来を、って思うなら、
もう[ 暴動 ]っていう言葉に過剰反応してここで分断されるより
ここはやっぱり木を観て進んでくほうが得策なんじゃないでしょうか?
山口さんが暴動が起こって欲しいなんて思っていないことは分かると思います。
ただ、本当に恐らくあとがないこの後に及んで、
この国で目だった狼煙のあがらないことへの不可解な気分を書けば
ああなったってことだと思うんですよね。
そのことに対して、わたしも日々不可解でいらだつことは多いです。
地球は今、まぎれもなく大変動期。
人間は??
他人は変えられないけど、自分は変えられる。
思考を変える。行動を変える。生活を変えるetc.
人間の作ったモノに永久に壊れないモノなんてありゃしない。
原発は人の手に負えない本当に厄介なモノ。
人は誰しもいずれ死ぬにせよ、自然(地球)は永久に残したいと願う。
人間の強欲に気づき、改める時なんじゃないかな?
何かを変える為に、大きな何か(団体や組織)は有効で必要なんだろうけど…。ひとりひとりの意識が変わらないことには何も変わらない…とも思う。
日本人は外に向かおうとしない。思考を変える。行動を変える。生活を変える。
これは日本人にとって内なる個人の事として終わる。そして個人には干渉しない。
だからまわりに対する影響力も少ない。
ボトムアップだけではダメ。志あるものがミドル組織をつくり道筋を示すべき。
日本の歴史上ボトムアップからのミドルがトップをコントロールしている。
力を持った(民意を得ている)ミドル組織があってこそトップダウンが可能。