6月28日 火曜日 晴れ
今日はいい話だよ。長くなるけど、読んで。
1999年のクリスマス。オレはアルバム「日々なる直感」を創り終えて、ジャケットの撮影のためにわずか数日間、アイルランドにある第二の故郷ドニゴールに飛んだ。
カメラマンはNYに住んでる兄貴分のトシ。
なにせ、天気は悪いし、時間はないし、オレは酒飲みだし。笑。オレはアルバムを創り終えた解放感から、毎晩村のともだちと浴びるように飲んでた。んなもん、サングラスしてりゃわかんないでしょ。被写体として、ひじょーにヒドい。この件に関しては墓場まで持っていくひっどい話があるんだけど、それはさすがに書けねーな。笑。
ドニゴールにはドニゴールのフジヤマって呼ばれてるエリガル・マウンテンって美しい山がある。ゲールタハトってまだちゃんとゲール語が残ってるエリアでもある。その山の麓に湖があってね。そこで年末にアルタンの創始者である故フランキー・ケネディーを偲んで神聖なるライヴが行われるんだけど、にゃんと、出演させてもらえることになった。あり得ない。
身に余る光栄なことでね。こんな神聖なコンサートで演奏できるなんてね。
お客さんは村の人たち。爺婆から子供まで。PAなんてあるわけなくて、緊張感でキーンと空気が張り詰めてるけど、なんとも言えず愛が循環してる感じ。どえらい緊張したよ。
僕は村と音楽とフランキーに感謝を込めて生音で「The homes of Donegal」と「竹田の子守唄」を歌った。割れんばかりの拍手をもらった。ほんとうに感激したよ。
思い返しただけで、震えてくる。
コンサートの後、オレはトシにこう聞いた。「写真、撮ったよね?」。それは千載一遇のチャンスで、彼の腕をもってすれば素晴らしい写真になっていることは間違いなかったから。だいいち、我々はジャケットの撮影に来てるわけだし。
でも、彼はこう言った。「こんな神聖な空気をシャッター音で阻害することなんて、オレにはできない。冒涜だ」って。
オレは自分が恥ずかしかったね。オレが逆の立場だったら、逡巡のあげくシャッターを切ってたと思う。
たいせつなことはいったいなにか?とっても示唆的な話だよ。今のオレなら、ぜったいに撮影しないと思う。撮ろうとしても、あの空気は写らない。
写真に写ってるのは被写体ではなく、あなたのこころだとオレは思うんだ。
かように気高くありたい、とオレはいつも思ってる。
心眼、、、。
本当にいい話。
大切なことは何か。
考えさせられます。
人間の成長は、心眼を磨くことにすら思えます。
いい話をありがとうございます。
素晴らしお話ありがとうございました。心が洗われたような気持になりました。
写真を撮るって英語でshoot「撃つ」ですよね。神聖と感じたトシさんには「カシャッ」という小さな音でさえ号砲に等しいと判断されたと思います。スマホはパシャ?もしくは無音ですかね。ちなみにうちの嫁はパシャパシャが大嫌いです。写真とらせてくれない…です。
閑話休題。エリガル・マウンテンの麓の湖で山口さんが奏でる竹田の子守唄を想像するだけでこちらも震えが来ます。今度の暑い平日のハマのサムズアップのライブ。こちらが撃ち抜かれような熱いライブを期待してます!もちろんリクエストちゅう弾丸を込めさせていただきます。
いい音楽も、いいシーンも、心の内にしか響かない、映らないのかもしれないですね。本当に想像を越えた時の喜びを、これからも分かち合いたいです。心を整えておかねば!
震えました。
何を1番に捉えるか。
忘れないようにしたいです。
落語にも
「心眼」という噺あります。
ゾクッとするところあり、
人間の業、見え隠れしてます。
お時間ありましたら。
❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️