伝聞

11月6日 日曜日 雨 

「伝聞」。

普段、僕は人から聞いた話は極力書かないようにしている。自分の目で見て感じたことは、主観だけれど、僕自身でその発言に責任が取れる。いわゆる文責ってやつだ。ただし、今日の話は書かねばならぬ、ともうひとりの僕が云った。だから、伝聞だと断った上で、読んで欲しい。それゆえ、場所や登場人物は曖昧にする。読み取って欲しいのは、そこではないからだ。そして、できれば、自分の故郷と重ね合わせて、自分のことだと想像して、読んでみて欲しい。

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原発から20キロ圏内にある「強制避難区域」。そこには誰も立ち入ることができない。自分の家にあるものを取りに帰るだけで、何枚もの申請書が必要になる。家に滞在できる時間は数時間のみ。僕の山の家がどんどん朽ちていくように、家ってものは人が住んでいないと加速度的にダメになっていく。彼らは制限時間の中で、その光景を目にしつつも、愛しい我が家に何もできないまま、必要なものだけを持って、追い立てられるように我が家を後にしなければならない。

多くは仮設住宅に避難しているその集落の人びとが、自分たちがかつて住んでいた集落で、イベントを催した。どうしてそれが可能だったのか、僕は聞きそびれたから分からないけれど、とにかく20キロ圏内に近い場所でイベントが開かれた。

誰もそんなことは口にしないけれど、この場所に、集落の人たちが集うことが出来るのはこれが「最後」かもしれない、と心の中で思っていた。イベントの最後に自然発生的に、誰ともなく「ふるさと」の合唱が始まった、と。僕にその現場の模様を教えてくれた人物は辛すぎて、美しすぎて、いたたまれなかった、と。

老婆が誰かに懇願していた、と。「私はもう長くない。生きても2,3年。だから、癌になってもいいから、ここに帰してけろ」。「お金も何もいらない。年金だけで充分だ。ただ、私はここで死にたい。望んでいるのはそれだけだから、私をここに帰してけろ」。

懇願された誰かは「ライフライン – 水道や電気 – が通ってないから、ばあさんの気持ちは痛いほど良くわかるけど、それはできないんだ」、と応えていた、と。

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僕は高速道路を運転しながら、その話を電話で聞いていた(ちゃんとヘッドセット使ってますから、念のため)。頭がグルングルンしてきて、思い切りアクセルを踏んで飛びたくなった(しないけど)。

僕はそのばあちゃんを抱きしめたい。「ほんとに、ごめんね」と云いながら。どう考えてみたところで、現状では何もできない。ライフラインを再開させようにも、作業員がきっと被曝してしまうだろう。国はこのばあちゃんの切なる願いに、耳も貸さず、「消費税を10%にします」なんて公約を国際的に云ってしまうんだろう。救いようがない。原発を再稼働させようとしている人間が、このばあちゃんの言葉を聞いて何とも思わないのだとしたら、そいつは人間として終わってる。逆に云えば、彼らの気持ちが揺らぐのだとしたら、原発事故によって、いったい何が起きているのか、正確に伝えることによって、何かが変わるかもしれない。国会議事堂を、電力会社の本社を、霞ヶ関を、全部「強制避難区域」に置いてみればいい。それが不可能なことは分かってるけど、要するに、自分がその立場だったら、と想像してみることが決定的に欠落してる。

誰でも知ってることだけれど、何となくぼやけてる気がするから、もう一度書いておくけど。ばあちゃんが使ってた電気は「東北電力」が発電したものだ。間違っても「東京電力」ではない。それを使ってたのは、関東に住んでる僕らだ。

東電に国が1兆円支援しようが、ばあちゃんに幾ばくかの金が手渡されようが、ばあちゃんの望みは生まれ育った故郷で、自分の家で死にたいってことだけなんだよ。その想いを阻害する権利がいったい誰にあるんだろ?君は仮設住宅で死にたいかい?僕は絶対に嫌だ。

僕はね、みんなが思ってるほど強い人間じゃない(知ってるかもね)。悩むし、ふさぎ込むし、確たる答なんて、ひとつも持ってない。今度、請われてトークショーに出るけど、いつものようにしどろもどろになるだけだろう。でも、この話を知らなかったことに出来るほど、能天気でもない。人間として、胸が裂けそうになったときに、自分に何ができるのか、それを考えてるだけだよ。だから、ときどき、僕に、僕らに力を貸してくれ。僕らは出来ることを全力でやり続ける。それだけは約束する。よろしく頼む。

僕は今日、アニキを成田まで迎えに行って、話して、ひとつだけ確実に掴んだことがある。
「可能性は、覚悟に比例すること。覚悟が無ければ、何をやっても不可能にしかならないこと。ひとりひとりが自分を大切にする事と同じように、社会を大切にしていく意識の覚悟をすること」。

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伝聞 への4件のコメント

  1. 宅嶋 淳 より:

    僕は「Everything」をこの数年ずっと(勝手に)歌ってますけど、覚悟や可能性をとても感じます。素晴らしい歌です。
    愛の無い正義はもちろん、愛ある正義でさえ僕は苦手ですが、この歌にケツを蹴られながら働いて歌ってます。

    ばあちゃんが歌える歌や聴きながら眠れる音楽を、これからも作って下さい。
    色々なプロジェクトで大変だと思いますが、先輩の歌は社会に我々ひとりに重要ですー

  2. 38kicks より:

    了解っす。

  3. あおい より:

    社会をよくするための元気玉・・(山口さん知らないか^^;)
    がってんしました。

  4. 303 より:

    違和感。
    人生は自分自身の執着と傲慢との戦いで全ては自分自身の問題。
    真に当事者意識であるならばおばあさんと自分を分離して考えないで欲しい。
    感情はいらない。涙目で人をみてはいけない。
    そこに執着と傲慢があって全てが分離してしまうから。
    例えば指に怪我を負った。あなたの指はあなたでしょ?
    それを感情や涙目で可哀想、何故だと嘆いても何の解決にもならない。
    傷はこの程度でこう処置してこう治す。
    治らないならこうする。そしてこうならない様にこれから気を付ける。
    理性が一番の解決策。

    悩むし、ふさぎ込むし、確たる答なんて、ひとつも持ってない。

    悩む時点で答えは出ている。答えがあるから迷うんです。
    ふさぎ込むのは執着と傲慢。謙虚ならばふさぎ込まない。
    確たる答えはもう出てます。

    そして山口洋の答えは言わなくてもすでにみんな知っています。
    あなたのまわりのみんなは『そうだ!』と言います。
    それはあなたの言っている事、やっている事があるからです。
    もう既に何時だってひとりでは無いんです。

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