7月13日 木曜日 曇り
苦しかったことは、、、、あったよ。数度ね。ほんとうにもうダメだと思ったのは片手で数えられるくらい。前後で価値観がまるで変わってしまうくらいのこと。世界が違う色に見えてしまうこと。
どうしてこんなことを書くかと言えば。それでもこの世界は生きるに値すると思うから。
なぜ、そうなったかは墓場まで持っていくとして、とにかくオレは堕ちた。ほぼ地獄まで。世界とオレを繋いでいるのは一本の細い糸だけ。
そんなとき、ソファーの上で身動きできない状態のオレに、心配して外国から飛んできた人物がこう言ったのね。たった3文字。
「は・し・れ!」。
この人はなにを言ってるんだろうと思ったが、どうせこのまま尸になるのなら、その前に、一回だけやってみるか、と。無理に起き出して、家の前を全力で走ってみた。するとどうだろう。体力も弱っていたし、走ることのキツさゆえ、こころのしんどさから「一瞬」だけ解放されることに気づいた。笑。それからは無茶苦茶に走り続けた。両足の爪がほとんど剥げるくらいに。走っているときだけは身体はキツくても、こころが楽になるから。
そうやってくる日もくる日も走り続けた。そうするしかなかった。
気がつくと、自主的に42.195キロを走っていた。4時間ちょっとだったか。だから、その日から半年くらい経過したときに、フルマラソンに出てみた。3時間40分くらいで完走。達成感ゼロ。ゴールして感激している人を見て、違和感しかなかった。マラソンは頭を使うスポーツ。限りある資源をどう均等に割り振って使い切るか。人生と同じ。オレはその半年間で、自分のポテンシャルを知っていた。何度か低血糖になって、どこまで行くと壊れるかも知っていた。
30キロまで自分のペースを守って、そこからゴボウ抜き。ああ、オレはもう大丈夫かも、と思った。
家に帰って、件の「は・し・れ!」と言った人物に連絡。オレは3時間40分くらいで走ったよ、もう大丈夫だと思う、ありがとう、と。それを聞いて彼はこう言った。「そんなに走れとは言っとらん!」、と。笑。
オレは集団で走ってるのが好きになれなかった。一人がいい。あれって、旧車のおじさん暴走族とあんまり変わらない気がした。これはオレの一方的な解釈ね。誤解なきよう。だから、レースはこの一回限り。
それよりも、未来の自分のために走り続ける方が遥かに難しい。漠然とした目標の方が難しくてやりがいがあって、自分を試されるから。Lifeは文化祭じゃない。
なにが言いたいかって。
常々書いているように、善きことを宇宙に向けて放っていたら、ピンチのときには誰かがどこからか助けに来てくれる(ことがある)。少なくともオレはいつもそうだった。見ず知らずの番号から電話がかかってきて助けられたこともある。
こころがダメなときは肉体がそれを引き上げてくれる。その逆もまたそう。そのバランスが取れているのがベストだけれど、ニンゲンである以上、いろんなことがあって、バランスが崩れるのがまたLife。崩れたときには逆の存在がそれを支えてくれるから。
Lifeは奇蹟に満ちた場所だから。今度はオレが誰かに「は・し・れ!」っていう番。そう思って生きてます。
ついしん
水やり装置にアイデアありがとう!まずは器具を買って、いろいろ試してみようと思います。
いまだ極限は体験したことがなく
自分自身の能力も未知数てはなく不明
道幅も解らないまま真ん中を歩いてきたつもりではありますが
この人生使い切れるか。。。
苦しい場面では洋さんの曲が脳内再生されます。言葉は違うけど「は・し・れ!」と後押しされてる気持ちになります。ありがとうございます。ブログを読んでるとなんか走りたくなりますね。(昨年足を骨折してからやはり違和感はぬぐえず 走るのは無理かもしれませんが・・・)
本日も会社でディスカッションがあり 私の苦手なマニュアル等々で息苦しかったですが私なりに思った事は言えたので良かったかなとは思います。
先日所用で渋谷から「銀座線」にのりました 大変でした・・・
BRUCE COCKBURN やJOHN COUGAR MELLENCAMPも新譜が出る(出た?)みたいですね。
聴いてみたいと思います。
先日の暑い静岡にて、ヒロシさんのナマ足(ライブ前後の半ズボン時…)拝見させて頂きました。「ドキっ!」としたのです!(念のため変な趣味志向無しです!)…一言では形容しがたい感情だったのです。鍛えられた格好いいフォルムと言えばそうなんですが、今日のblogにて形容しがたかった感覚・感情が理解できた気がしてます。
元気だから走るのではなく、走るから元気になる。といつも思っているよ。