7月18日 火曜日 晴れ
ロックンロールに徒弟制度なんてあるわけもなく、なんでもかんでも「見て学ぶ」あるいは「見て盗む」ってところがいいんだと思う。メソッドが確立されてからロックンロールは途端につまらなくなった。
考えてもみてほしいんだけど。「The Clash」の教則本があったらおかしいでしょ?パンクとは態度のことなんだからさ。
そんな意味では、まったく誰にも習うことなくミュージシャンとして生きてきたことには多少の誇りを持っている。そのおかげで「個性」が形成されたわけだから。
それゆえ、他人にはケチで教えないのではなく、教えられない。それは本能的かつ肉体的な部分だからメソッド化できない。そうした途端に同じようなものが量産されて、個性が死んでしまう。だいいち、こんなヤクザな道には足を踏み入れない方がいい。危険すぎる。
死して尸、拾う者なし。その覚悟がないものが来てはいけない。周囲と自分を不幸にするだけだから。
でもときどき、こいつは放っておけないって輩がいる。甚だバランスが悪いけど、ものすごい才能を感じるとか、桁外れの情熱がある、とか。この才能をうまく形にしたら、救われる人がいる。そう判断したら、「弟子」ではないけれど、オレの知っていることを伝えることもある。
奴はとある地方都市でバーを経営していた。いい感じに太っていて、妙に尖ってた。ある日、バーを辞めてシンガーになるという。止めた方がいい。奴には子供もいたし。歌で家族を養うなんて、並大抵じゃない。かくいうオレだって、家族がいないから、なんとかここまで辿り着いただけだし。
けれど、奴の決意は固かった。じゃぁ、わかった。一度だけツアーに帯同させた。ありとあらゆることを伝えた。背中と言葉で。ずいぶん厳しいことも言ったと思う。どうしようもなく出来が悪かったけれど、根性だけはあった。ひらめきはないけれど、すっぽんのようなしぶとさがあった。
才能と情熱のバランス。これがまた難しいのだ。
奴が相変わらず旅を続けていることを風の便りに聞いた。オレの住んでる隣町にやってくるらしい。見に行ってみるか、ちょっと怖いけど。連絡もせず、タダの客として出向いた。
身体が引き締まっていた。風雪にさらされた男の顔をしていた。旅人というよりは漁師っぽかった。いいじゃねぇか、おまえ、いい苦労したな。目に光があった。
ヘナチョコ・ギターは健在だったけれど、ダイナミクスを指で以前の10倍はつけられるようになっていた。誰かの弾き方にちょっと似ていて、笑ってしまった。そういえば、指で弾けって、さんざん言ったな。コを生き抜いて、新しい歌をたくさん書いていた。ちょっとだけブルースも感じた。ヘナチョコさを残したまま、逞しくなっていた。
パフォーマーとして、自分のLIFEを通してオーディエンスに善きものを循環させようとしていた。
自分の目で福島を見ていた。大熊町、双葉町、浪江町。あの道を旅していた。そこにはオレも来週行こうと思ってる。そこで原発の処理をしている男が客席にいた。それもまたよかった。
もうオレがなにもいうことはない。同じ地平で生きている男だから。いい旅、したな。決して夢気分ではなく、ミクロ決死隊だったのはオレも知ってる。笑。
大事なことは。
自分がなにをしてもらえるか、ではなく。自分が誰かになにをできるか、なのだ。
そのことがわかっていない奴が多すぎる。ほんとうに多すぎる。オレだって、そんなこともわからない奴に時間を費やせるほど人生は長くない。
奴は一切の退路を絶って、そのことを知っていた。逃げ道がないからこそ、そこに到達したのだと思う。
客席は10人に満たなかったけれど、そんなことは問題ではない。空虚さは微塵もなかった。奴は熱心なオーディエンスを数少ないけれど、確実に獲得していた。あの不器用さが、彼らのLIFEには必要なのだ。それはきっと、彼らのLIFEを照らすヘッドライトなのだった。
素晴らしかった。
ついしん
たとえば、この男は出会ったときから「獣のように」音楽と向き合っていた。あれほど、凄まじいリズム感を持ったニンゲンをリアム・オ・メンリィ以外に見たことがない。
こうやって新しい彼の地平がもたらされることがたまらなく嬉しい。今の彼とまた一緒に演奏してみたい。オレも自分の道をまっすぐに行かなきゃ、と思う。
今の私の抱えている問題ややりたいことなどに沢山のヒントがあるような内容なので、よくよく考えてみたいです。