6月25日 火曜日 曇り
とっても素晴らしいピアノを弾くともだちがいてね。まぁ、いわゆるアマチュアではあるけど、んなもん生業じゃないだけで、音を奏でることにはなんの関係もない。
でも、いつも悩んでる。コンクールじゃ、失敗が許されないって。緊張で死にそうだって。もはやイップスに近いのかな。
オレはこう言ったんだわ。コンクールなんかやめちまえって。音楽に優劣や点数つけるのは音楽をわかってないバカがやることで、そもそも音楽に良し悪しなんかないんよ。好きか嫌いかがあるだけでさって。
また余計なお世話か。でも、黙ってらんなかった。
オレがデビューする頃はコンテストに出るしかなかった。だから出たよ。17か18で。でもね。その時からモーレツな違和感があった。なんでオレはYAMAHAに審査されなきゃいけないのか?ふざけてんじゃないよ。だから、グランプリかっさらって、とっととその道から外れた。実力でデビューしてみせますとも。だから、イカ天みたいなのも大嫌い。審査員なんて死んでもやらない。音楽を審査なんてできないし、できると思ってんのなら、ツラの皮が厚すぎる。
メタルマシーンミュージックだって、レッキとした音楽なんだよ。好きか、嫌いか、だけ。
そんなことより、老人福祉施設で演奏することを勧めた。あの演奏聴いてくれたら、じいちゃん、ばあちゃん、ほんとに喜ぶよ。音楽は必要とされて、初めて成り立つんだから。
間違えたらどうしようって、やり直せばいいだけじゃん。おととい、オレ、ともだちの曲のイントロが難しくて4回失敗したよ。まぁ、誉められたことじゃないけどさ。
なんでそう思うかって。
オレはプロになっても驚くくらい売れなかった。自分の才能と演奏には自信があったけれど、この国で必要とされているとは思えなかった。だから、やめるか、外国に行くか、どちらしかないと思ってた。
そんなときにね。老人福祉施設で働いているファンからVHSのヴィデオが届いた。
彼は休み時間にギターを弾いて、オレの歌を歌ってたんだって。そしたら、じいちゃん、ばあちゃんが自然にオレの歌を覚えた。そのヴィデオにはね、じいちゃん、ばあちゃんがオレの歌を歌ってくれてる映像が収められていた。最後に
「こんないい歌を書いてくれてありがとうございます!」ってさ。
涙が止まらなかったよ。続けてきてよかった、と。こころから思った。オレのレコード大賞、グラミーだよ。
必要とされていることがたまらなく嬉しかった。この世界で生きていていちばん辛いのは「必要とされているかどうかわからない」ことだと思う。だから、お金じゃないんだ。第一義的にはね。
いまでもときどき思い出すよ。あの映像のこと。オレはもう一生やっていけると思った。
あのピアノ、間違いなく響くから。そこに円環が生まれたら、それが人生のグランプリだって、オレは思うけどね。
山口さん、こんばんは。
ふと思い出しました。六角精児さんが著書で、理想の生き方について「世の中から『ほんの少しだけ自分が必要とされている』ような生き方がいいです。」と仰っています。
何だかストンと胸に落ち、沁みます。
山口さん
お疲れ様です。
山口さんの想いって真剣に生きている裏返しなんだなと
つくづく感じます。
真剣に生きてると結果がついてこないことに
憤りを感じますよね。
それは凄くタフなことだけど
そう生きていきたいし、
そうしか生きられないとも思う。
自身にも言えますが
あまり思い詰めないことは大切ですね。
いつもエネルギーをもらいます。
ありがとう!
今日のblog、いつも以上に沁みています。「甦る」を飲みながら、この時代に山口洋(敬称略)と出会い、一緒の時間を過ごすことが出来ている事に感謝しています。洋しゃん、俺も「必要とされる者」であり続けたいです。その為の努力は惜しまんけんね。来月、還暦。まだまだ、ぶっ飛ばしていきますバイ。
私は先日のネオンホールでの貴方のピアノ弾き語りにビビッとズバッとやられてしまい、ケンバン弾き語り再再チャレンジしてます。三度目?の正直。過去のブログからcarry onのコード譜をちょうどみつけてやってます。
洋さんにとってのハーレーのように、どうしても諦めがつかなくて。十年後にもし生きてて「ピアノでのレパートリーはキーC限定、しかも一曲」ってのもそれはそれで面白い。まずはそれを目指しています。
ちょうどピアノの事について伺いたいことがあったのです。
お母様のピアノの事とか、最近購入されたというピアノの事について。
あの無数にある種類のなか、洋さんは何処の何という型のピアノの音色を聴いて育ったのか。
洋さんを射とめた「小さいピアノ」とは!?
昔、某楽器店で、妙に小さく妙にハコ鳴り感が強く妙に音が籠ってるロックなピアノに出会したことがあるのですがそういう感じのものかなぁとか。
妄想は尽きないのでまた合間をみてトドメをさしていただけたら幸いです。
好きか嫌いかだけで音楽を語るという態度、考え方は90年代以降に浸透したものだと思う。それ以前は情報量の差が圧倒的だったため、一般人は評論家など詳しい人の意見を重要視したものだった。しかし、点数を付けたり、色々な理屈を並べられるのが次第に疎んじられ、「好きか嫌いか」という価値観だけが主流になったように思われる。結果、音楽評論というジャンルも音楽評論家という職業も絶滅寸前のようになり、さらには音楽文化そのものが衰退したように私には思える。好きか嫌いかだけで音楽を聴いていたら私の場合、ビリージョエルやカルチャークラブやせいぜいジョンクーガーメレンキャンプあたりで洋楽を聴くのをやめていたかもしれない。大学で東京に出てきて、ロッキングオンやミュージックマガジンを読むようになり、様々な音楽を知り、そこから世界の文化、社会問題、歴史などにも興味を持つようになったのだから、音楽評論は私にとっては大事なものだったと言っていい。なので「好きか嫌いか」という自分中心の一つの軸と、歴史や文化社会などを踏まえて「良いか悪いか」を考えるもう一つの軸を持つことが大事だと少なくとも私には思える。まあでも音楽にそれほど興味がない人は昔から「好きか嫌いか」だけで判断していたのであり、今の超情報社会の中では音楽についてあれこれ理屈を並べて考えるなどほとんどの人にとって興味のないことなのだろう。しかしそのようにして文化も人間の思考力も衰えていくのではないかと私などは考えるのだが。何だか山口さんの論点とはズレてしまったようですが、ちょっと気になったので書いてしまいました。
あと、ヒートウェイヴ何故売れなかったか問題についても書きたかったのですが、長くなるので少しだけ。結論としては、マネジメント、プロモーション、スタッフそして何よりも本人の「何が何でも売れたい」という気持ちの欠如が原因では?必要とされるとかされない以前に、聴いたことのない人がほとんどでしょう。プロモーション、メディア、テレビですよ、やはり。
技術的な事も大事なんでしょうけど、心が入った音とかに人は惹かれるんでしょうね。
孫が描いたお婆さんの似顔絵なんか世間ではゴミと変わらない価値なのかも知れないですけど、お婆さんからしたら値段が付けられないくらい価値のあるものだろうし…。
お金は必要で大事かも知れませんが、自分の作ったものが世間一般に受け入れられなくても必要なところにちゃんと届けばいいのかなと思います。
山口さんの曲を聴いて、それが次の世代に影響を与えてるように、そのアマチュアのピアニストの方もきっと誰かに必要とされてるんだと思います。
銀の花 という曲が好きでハモニカつきで
よく職場や人前で歌っていました。
売れた方が世の中に知られるのでしょうが
今までにカセットを渡して
好きになってくれた人も沢山いました。
金曜日に静岡ウーフーにてライブが
ありますね!
翌土曜日には岡山、丁度ラジオ番組で特集を組んでくれて
それを岡山に住む友人が聴いてくれて
久しぶりにライブに足を運んでくれるようです。
もっと多くの人に知ってもらいたいなぁー!
金曜日、新ウーフーでのライブを
心待ちに仕事頑張りまーす♪
山口さん、体の具合はいかがでしょうか?
僕の体が山口さんの音楽を必要としていると感じるので、金曜日の静岡に伺うことにしました。初めてのUHU、楽しみにしています!が、くれぐれもお体にはお気をつけください。
最近は専ら磔磔さんの50周年アニバーサリーTシャツを着ながら仕事してます
お客さんから『カッコイイTシャツやね』と聞かれると『これはコレコレこういう内容のTシャツなんですよね〜。で、(背中を見せて)僕はこの5/11・HEAT WAVEのライヴに行って来たんですよ〜♪』
…というナチュラルな流れで勝手に草の根プロモーション活動してま〜す
(*´∀`*)