4月21日 土曜日 雨
松江に来たのは12年前。その時に20代だったKちゃんは12年後に妊婦として(8ヶ月)僕を迎えることになる。東出雲町にあるカフェ、NoVIは開店後、初めてのライヴなのだと。
でもね、彼女の膨らんだお腹を見て、僕は命の力を感じた。その彼女を見守るお母さん、旦那さんに愛を感じた。正直、僕は疲れていた。でも、そこからエネルギーをもらって、循環させ、素晴らしいPAを経由して、ライヴを続けているうち、小さな子供から、おじいさん、おばあさんまで、エネルギーは循環して、僕は元気になっていった。不思議な体験だった。「命の力」としか云いようがなかった。それもこれも、相馬に関わることがなければ、こんな気持ちにはなれなかったと思う。素晴らしかったよ。ありがとう。文字にすると陳腐だね。もし、このライヴを体験した人がいたら、補足してくれ。
Messages for Soma City 120421 島根県松江市東出雲町
Iさん 60歳 島根県松江市東出雲町
夢にも思わなかった事、言葉がありません。元気で笑える日が来ます。きっと!頑張って下さいネ。応援出来る事、今日を大切に、、、。
Mさん 39歳 島根県出雲市
言いたい事がありすぎて何も言えません。でもいつも想っています。共に生きよう!!
Mさん 40歳 島根県出雲市
祈りは届くものだと思います。けれど今日は山口さんのLIVEを観て、祈るだけじゃなく、何かちょこっとでも行動にうつしていくコト大事だと思いました。
Fさん 62歳 島根県松江市東出雲町
私の子供も東北宮城へ嫁ぎ、今は盛岡に住んでいます。人ごととは思えません。心はいつも東北にあります。何もできなくてごめんなさい。
Fさん 62歳 島根県松江市東出雲町
会津若松から嫁いで来ている友人がいます。とてもつらいです。ふるさとはありがたいとつくづく思います。
Nさん 57歳 安来市
安来の街よりお祈りしてます。
Iさん 42歳 島根県出雲市
何も出来てない自分を責めてる時もあります。何も出来てなくてごめんなさい。でも自分のまわりから出来ることはしてるつもりです。届くのに時間がかかるかもしれないけれど。きっと届くように頑張ります。とにかく僕も頑張ります。そのうち行きます。
Nさん 40歳 島根県出雲市
忘れずいつも想ってます。
Iさん 39歳 島根県出雲市
今までのあなたへありがとう! 10年後のためにときはなちましょう〜
Hさん 39歳 島根県出雲市
只今、島根原発2号機の定検(定期点検)に従事しています。イマジンすることを止めず、陽はまた昇るのだから。
Oさん 34歳 島根県松江市
あれから一年以上たち、報道でしか見ていませんが、変わらない現状におどろきます。若い子達は土地を離れる人が多いのでしょうか、、、。何が出来るか迷いますが、できるかぎり応援します。
名前なしさん
ツナがる、つながる、ツナがる、見えないケド、つながる。
Mさん 38歳 島根県松江市
楽しいから笑うんじゃない。笑うから楽しいんだ。私はここ松江でがんばるけんねー。
Kさん 30歳 島根県出雲市
歌は心と心をつなげれると思います。山口さんの音楽でそう感じました。
Mさん 38歳 島根県松江市
皆様に幸せがありますようお祈りします。
Fさん 38歳 島根県出雲市
近くにいないと、何もできないと思っていましたが、いつも心に思う事で何かの役に立ちたいと心から思います。皆さんの未来がひらける様、いつも願い、助けの手を伸ばしていきたいと思います。
Kさん 40代 鳥取県
遠くにいて、直接何もできない思いは消せませんが、遠くにいるからこそ、忘れることだけはしたくないと思います。本当に復旧復興の日が相馬に来るまで、遠くからだけど、少しでも何かを続けていきたいと思います。
Oさん 37歳 島根県松江市
皆が心から笑える日を願っています。ありきたりですいません。
名前なしさん
日本全国原発廃止(大変だけど、イチからやり直し)
松江には行けてませんが、様々な年代、職種、境遇の違う人が自然に元気の素を分かち合えるライヴは話を聞いただけでも、気持ちいいと云うか、いい感じが受けとれました。僕も日々の生活に追われがちですが、出会う人、周りの人には思いやりを持って接するように心がけます。
ぼーくらは みんな生きている・・・
僕の娘は大学時代に松江市で生活させて頂いていた。
そして松江在住のシンガーソングライター浜田真理子さんにもお世話になっている。
なのに僕は一度も足を運んだ事がない。
娘は、今でも時々その街を訪れる。
とても、良い街で、とても暖かい人達がいる街だと娘から聞いている。
死ぬまでに一度は行きたい街の1つが松江市です。
多くの方々の相馬市民へのコメントありがとうございます。
そして、この不安定な経済状況の中で多額のお金を僕たちの為に寄付して頂き有難うございます。
山口くんが繋いでくれた多くの街の方々に心から感謝いたします。
いつになるか分かりませんが、直接お礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
何もお返しを出来ない自分に不甲斐なさを感じております。
相馬市はじめ福島県は、まだまだ不安や恐怖を抱きながらの生活は続いていますが、いつの日か、福島県民が笑顔になれる事を祈って日々生活しております。
みなさまも、どうかご自愛ください。
すべての人に感謝いたしております。
森田