沖縄県那覇市にて

6月23~24日 晴れ

day#1

新良幸人が22年に渡って、慰霊の日に催してきた「一合瓶ライヴ」にゲスト出演。僕には微妙なアウェイ感があったにせよ、沖縄のミュージシャンの演奏は素晴らしかった。楽屋と客席には石垣島から送られてきた悪魔の酒「白百合」が置かれ、それを飲みつつ極上の音楽を聞き、慰霊の日を想うという趣向。

day#2

これでライヴは3連チャンになる。昨夜の会場から階下の劇場Bに場所を移して、僕のソロ・ライヴ。石垣 – 沖縄滞在中に梅雨も明け、昼間の殺人光線も湿気が抜けた分だけ、日陰に入ると気持ちが良い。沖縄の人たちは僕の話も真摯に受け入れてくれ、たくさんのメッセージを残してくれた。本当にありがとう。いい夜だったなぁ。

追伸
今日もまた、何のアナウンスもしていないにも関わらず、¥11,500のお金をプロジェクトに託してくれました。ありがとう。

Messages for Soma City 120624

Uさん 44歳 沖縄県那覇市
一日も早く、元の穏やかな生活に戻る事を祈ってます。体と心を大切にして下さい。

Kさん 42歳 沖縄県読谷村
山口洋ソロライヴで初めて知った「そうまかえる新聞」。これから応援していきたいと思います。

Sさん 46歳 沖縄県那覇市
山口洋さんのブログを見て南相馬市の現状を知りました。今日のコンサートでも話を聞いて心を痛めています。福島は好きでよく旅行に行きました。南相馬市のみな様、応援してます。小さな事でもお役に立ちたいと思います。

Hさん 59歳 横浜市
沖縄旅行中、偶然聞きに来た山口洋さんのライヴで、相馬のことや、MY LIFE IS MY MESSAGEのことを初めて知りました。応援したいと思いました。友達がそこにいたかたという動機からスタートされたこと、すてきです。自分のことを正直に話されたことに好感がもてました。コンサートに来てよかったです。

Yさん 61歳 横浜市
相馬の人は国に捨てられたと思っていると話されました。が、沖縄の人はずっと前からそう思っているのではないでしょうか。国は人を捨てるのです。だから、人はつながらなくてはいけないと考えます。

Lさん 40歳 沖縄県中頭郡
ちゃんと生きて、色々と考えて、美しい空をいつまでもみたいと思う。

Yさん 30歳 沖縄県
忘れないことしか今はできないけれど。それすらできなくなることにこわくなるけれど。

Mさん 40歳 沖縄県那覇市
未来はあかりをなくしていないと信じます。いつか会ってお話しましょうね。

Gさん 29歳 沖縄県うるま市
凄いメッセージでした!!! あなたの存在を知らなかったので衝撃でしたが、私に出来ること、今一度考えた結果、ボキンします。本当に凄かった。ありがとうございました。心につきささった!!

Tさん 51歳 沖縄県宜野湾市
気落ちしないで頑張って下さい。太陽はすべての皆んなにふりそそいでいます。

Iさん 45歳 沖縄県
「原発村」に「安保村」! 沖縄も痛みが分かるぞ!!!

Sさん 24歳 沖縄県
沖縄からも沢山のエールをおくります。決して、決して独りじゃないと! 絶対に独りにはしないと!!

Nさん 48歳 沖縄県中城村
何が出来るのか? 何も出来ない自分にどうしようもなく無力さを感じずにはいられません。でも、とにかく日々を生きる事。1日1日を一生懸命生きる事が大切だと思っています。どうか明日を信じ、未来を信じ、共に生きましょう。風化させない事、あきらめない事を私も考え続けます。

Oさん 32歳 沖縄県
今、この国で起こっていること。言葉を超えて伝わりました。ありがとう。受け取った力を行動に変えてゆきます。

Hさん 49歳 横浜市
知人の紹介で洋さんのコンサート、初めて聞きました。洋さんの歌と話に聞き入り、福島のことを想いました。洋さんも福島も応援します。洋さんは本物です。

Mさん 38歳 沖縄県那覇市
今日、山口洋さんが相馬の魂を届けに来てくれました。僕もココ沖縄でふんばってロックして生きて行きます。ライフ・ゴーズ・オン。

Oさん 29歳 沖縄県那覇市
今、俺に出来ること。沖縄も人に原発によって起きてしまったことをしっかり伝えていく。無関心が一番怖いこと、誰も守れないこと、愛をもって伝えていきます。だから、俺達はつながっていると心で感じてください。

名前なしさん 50歳
あの日からの臭い、空気、全て残っていて忘れる事なんてできない人の一人です。たとえ相馬を離れてくらしていても、すてたわけではないのです。まちがった道なんてないのだと信じています。自分を信じて頑張りましょう。

Nさん 62歳 沖縄県那覇市
何よりも命を大切に。けっして一人ではないと言う事を忘れずに。みんな一緒にいます。

Sさん 34歳 沖縄県那覇市(福島生まれ)
昨日、相馬の魚介類が解禁になったとニュースで見てとても嬉しかったです!! また松川浦で潮干狩りして野馬追いが見たい!! 遠く沖縄にいても一日だって福島の事を想わない日はありません!! がんばっぺ福島!!

Tさん 45歳 沖縄県
ふるさとがある事は一番大切なコトかもしれません。たとえ遠く離れてしまっても、心の支えですネ。私は離れてしまったけれど原点だと思い、大切にしていきたいと思っています。

Iさん 41歳 沖縄県豊見城市
福島の原子力発電、沖縄の基地問題、とても難しいことだと思います。ただ目の前のうまい話にはごまかされない様、本当のことを考えたいです。

Aさん 50歳 福島県福島市
人間は何度でも再チャレンジできる存在ですね!

Tさん 38歳 沖縄県那覇市
希望を捨てないこと。前を向くこと。いろんなことをあきらめずにいてください。遠く沖縄から応援しています。

Kさん 38歳 沖縄県
2才の子供も父親です。3.11以降、保育園との何度かの話し合いの中で、自分達は園の食事に放射能の影響がないとは言えない、との結論に至り、退園しました。今でもこれでよかったのかと思わないでもないのですが、楽しくやっております。大切なのは「愛」「いまここに生きていること」そして「直感」ですよね?ありがとう。

Kさん 40歳 沖縄県
心は共に、僕も僕のLifeを行きます。

Sさん 39才 大阪府
汚染地区に残ることもリスクがあるが、家族が離れるということもある意味リスクだとテレビで意見を聞きました。それぞれの家族でベストの行動をとってほしいと思います。国は何もしてくれませんが、国民は必ずサポートします。

Nさん 41歳 沖縄県浦添市
私も子育て中です。子供たちの笑顔のために一緒にがんばりましょう!

Aさん 27歳 沖縄県那覇市
今年の2月に石巻市へ行ってきました。現地で感じたものを未だに消化しきれず、沖縄でぬくぬく生活していることに戸惑いを覚えました。沖縄の基地問題もそうですが、同じ国に生きる人間がそれぞれの立場を自分の立場で考えることが出来るのなら、原発などなくてもいいのだと、基地を置く必要もないのだと、声を高めていけることと思います。沖縄から相馬の方々へ。僕も自分に出来ることをします。

Kさん 41歳 沖縄県
何かお手伝いできる事はありますか。お手伝いしたいです。

Hさん 26歳 沖縄県
どんなに距離が離れていても、一度も会った事がなくても、同じ日本人として、同じ人間として、皆さんが一日でも早く安心して、皆さんの望んでいる日々を過ごせるよう、心から祈らずにはいられません。沖縄からではできる事は限られていますが、皆様のことを精一杯応援しています。いつかお互いの地元で採れた野菜と魚を食べながら、福島の地酒と泡盛を飲み交わしましょう!!!

Kさん 39歳 沖縄県糸満市
復帰っ子、39才、特別支援学校教諭、うちなんちゅ。午前中、慰霊の日にちなみ、映画「月木兆」を観ました。言葉にできないことたくさんあるけど、私も「今」を生きます。急に隣にいる先輩や家族、周りの人々が愛おしく、胸が苦しくなりました。大切にしたい。今もこれからも。相馬の皆さん。山口さんがたくさんのこと、我々に教えてくれました。共に今を生きましょう。私もがんばります。

Eさん 50歳 沖縄県
とくに、えんどう豆の友だちへ。ちむぐりさん、くとうやー。こわいこと、さびしいこと、かなしいこと、たくさんあったよね。あなたがたのために、少しでも、嬉しい、楽しいことが、あるよういのっています。こちらの小さい友だちといっしょに。

名前なしさん 46歳 沖縄県
報道される状況よりも過酷な現実の中でも生活だと想像します。同じ日本人として何もできない事にいつも胸を痛めています。遠い地より、いつも願っています。祈っています。福島の皆さんが早く、心安まる土地で暮らせるように。

名前なしさん
考え続けること、思い続ける力。知る力を大切にします。

八重山から沖縄本島へ。

八重山から沖縄本島へ。

新良幸人とサンデーの演奏は神がかってました。リハーサル中。

新良幸人とサンデーの演奏は神がかってました。リハーサル中。

そして楽屋には悪魔の酒が。

そして楽屋には悪魔の酒が。

翌日は僕のソロ・ライヴ。今回はギター1本で2時間半。なかなか鍛えられます。

翌日は僕のソロ・ライヴ。今回はギター1本で2時間半。なかなか鍛えられます。

ありがとう。

ありがとう。

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沖縄県那覇市にて への3件のコメント

  1. 糸満市 復帰っ子 より:

    訂正、映画「月桃の花」でした。
    ライブ終了後、私の心に火種が飛び散り、なにかが大きくそれを揺さぶり、心を奮い立たせ、屋根を突き破り、天高くまで昇りました。メッセージ、手が震えて止まりませんでした。ミミズ字でごめんなさい。

    私は、沖縄返還された年に生まれた「復帰っ子」です。成人するまで国歌もまともに知りませんでした。小学校の音楽の教科書に記載されたそれは、必要のないものとされていました。(40年前は、です。今は違います。)去った23日に終戦60年を迎えましたが、戦争が終わったと思ってる沖縄人は、いないと思います。そんな気持ちも重ねながらライブに参加しました。

    先人たちは、「命どぅ宝」、このことば一つだけを胸に抱え、復興してきました。皮肉にも、帰り道、激戦地となった糸満南の空低くに、オリオン座がきれいに輝いていました。あまりにも無垢な姿で。

    帰宅後、読みかけの新聞に目を通すと、そこには恒久平和を希求するたくさんの記事が。さらに目を進めると原子力基本法~なぜ今、「安全保障」か~、野田総理来沖~オスプレイ普天間配備で会談~の記事が。

    山口さんの来沖は、このような意義深い日と重なり、私たちの平和を希求する力強い思いを、一気に、沖縄桜坂の地から相馬市へと繋げてくれました。たくさんの、たくさんの愛と祈りの糸で。相馬のみなさん、繋がりましたね、絶対的な強い力で。

    沖縄は梅雨明けし、今日も60年前と変わらない、真っ青な空が広がっています。そんな空を見ると、自然と笑みがこぼれてきます。イメージしてください、いつでも元気のパワーを送ります!たくさんの愛をこめて。

    最後に山口さん、沖縄に来てくれて、ありがとう。「オリオンへの道」を歌ってくれて、ありがとう!そして、いろんな出会いを紡いでくれた先輩、この場を借りて、ありがとう!

  2. 糸満市 復帰っ子 より:

    戦後67年の誤りです。失礼しました。

  3. M高校同級生 より:

    同級生です。先日は一合瓶ライブに二度目のゲスト出演を有難う♪
    とても忙しくされているようですが、どうぞ頑張りすぎないで。御身お大切に。

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