日別アーカイブ: 2025年11月10日

DonegalとPaul Brady

11月10日 月曜日 晴れ これからときどきPaul Bradyのこと書きます。 Paulも78歳、とってもお元気ですが、前の来日が10年以上前だから、次はいつになるかわかりません。歌う人も、そうでもない人もぜひぜひ体験していただきたく。 あと少しだけチケットが残っているそうです。 今回は出会いから。 90年初頭からNYでの居候を繰り返して、92〜3年あたり、僕はNYからアイルランドに渡ります。クルマを借りて、何度も何度もアイルランド中を旅しました。しつこいのです。笑。そしてついにDonegalに辿りつきました。「ここだ!」と私の直感が申したのです。DonegalといってもDonegal Townではありません。グィードゥ、あるいはロシィーズと言われる、ゲールタハトと言われた、まだおじいさん、おばあさんは英語が話せない人がいるとってもディープなエリアでした。 自分が好きだったロックンロールの源流はここだったんだ、と。そこに腰を据えて、人々と音楽と酒を通じてリレーションを深めていくことになります。 そのエリアの誰もが歌える「The Homes of Donegal」って歌がありまして、小さな村のレコード屋(といっても駄菓子屋みたいな)でPaulのカセットを買ったんです。僕のような流れ者を受け入れる歌でした。深い深い感銘を受けたのです。Paulのことは知っていたけど、日本ではAORの人みたいに思われていて「ロマンチック・ダンディー」みたいなひどいコピーだったか、タイトルだったか付けられていたような。でも、一聴して、この人はとんでもない才能を持っていることがわかりました。そして、たぶん気難しい。笑。 のちに知ったことですが、PaulはストラベーンというDonegalと北アイルランドの国境の町の出身です。そこを何度も通過したことがあるんだけれど、当時はIRAとの抗争が続いていて、マシンガンを持った兵士が立っているような町でした。彼がとってもインテリで、トラッドにも造詣が深く、その町で育ったこと。いろんなことを感じたんだけど、まぁ、とにかく彼の歌にビビビ!ときたのです。 僕はDonegalにたくさんともだちができて、ゲール語のラジオ番組に出たりするようになりました。英語は一切禁止なのです。なので、MCはゲール語、僕は博多弁みたいな。笑。そこでもちろんポケットから自分の歌や、日本の子守唄を歌ったんだけれど、この町とJAPANを繋ぐ歌をポケットに入れておきたいと思ったのです。 「The Homes of Donegal」を日本語にして歌い始めました。自分のものになったと思ったところで、ドーナル・ラニーのプロデュースのもと、彼の素晴らしいバンドと一発で録音。それをアルタン(Donegalが生んだ素晴らしいグループ)が自国に持ち帰り、RTEというNHKのような放送局のDJに渡してくれたことで、ラジオで流れるようになります。 そして、ずいぶん前のことですが、Paulが来日した際、彼と、かの曲を英語と日本語で演奏させてもらう日がきたのです。不思議な感覚でした。遠い国と時空を超えて、大きな円環を描いたような。 その演奏をPaulがYouTubeにアップしてくれたんです。僕にはDonegalに母のような人がいて、病院で人生最後の瞬間にそのyoutubeを見てくれたのだと。 Paulのことというより、自分のことを書いちゃったけれど。また書きます。ぜひ、体験してほしいので。 で普通、ここに「The Homes of Donegal」のリンクを貼るところですが、貼りません。僕がDonegalに辿りつくにはそれなりの努力が必要だったように、自分でアンテナ貼って辿りつくことに意味があると思うからです。そのプロセス。大事。 Paulはソングライターとして超1級品です。ギターも素晴らしい。有名な人の名前を使って彼を紹介することを僕は好みませんが、ディランにギターを教えたのは本当だって、本人が言ってました。 今日はたくさんある名曲の中から、1曲貼っておきます。   Long Goodbye            

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