Recording day #032

7月12日 火曜日 晴れ

さんざん飲んで、いろんなことを洗い流した。もっとも、真面目な話なんて殆どしないし、笑い転げてるだけだけど、深夜までつきあってくれる街の仲間たちに感謝してる。いつも、いつもありがとう。こんど、うちの屋上でみんなで飲もうな。空を見上げてな。

音楽に復帰。いつからか、音楽は自分の気持ちの吐露ではなくなった。そんなところに音楽はない。でも、とてつもなく自分そのものでもある。なんだか不思議な感じ。音楽を創る行為の中で、自分が救済されることもある。クリエイトしている時間がひどく愛おしい。

音の粒が見えるんだ。うまく説明できないけど、それを可視化できる。毎日不思議な体験をする。主観と客観を限りなく繰り返して、それはもうどちらでもなくなる。魂はここにあるけど、幽体離脱してるような感じ。自分だけど、自分じゃない。「主観即ち客観」って僕に直接教えてくれた銀幕のスターの言葉が腑に落ちるようになってきたよ。

いろいろあったけど、続けてきてよかった。

アーティストとして、自分にむきあった人にしか、道は開かれないんだよって、僕がもっともアーティスティックだと思っている人物に伝えた。それは苦しいことでもあるけど、たいせつなことで、ブレイク・スルーしてしまえば、モノの見方がまるで変わる。やがてエゴは天に還るんだよ。いいかい?君はLIFEってステージに立つ素晴らしいアーティストなんだ。忘れないでくれ。

2枚目のアルバム「凡骨の歌」はほんとうの意味で自分を掘り返してみた。向き合うことを通り越して、掘り返した。だから、いい思い出がない。結果、自分の浅さと醜さに驚いた。辛い作業だったけど、20代にそれをやっておいて良かったと思う。あまりの浅さに気づいたことは、国を出るきっかけに繋がった。ここに居たら、終わると思ったし、怖かった。世では湾岸戦争が起きていて「灯り」みたいな曲がたまたま書けることにもなる。あの曲、ほんとうにどうにもならなくて、歌っていても辛くて、スタジオでボツにする寸前だった。そこに友達がやってきて、「この曲をボツにするのはアホだ」みたいなこと云われて、思い直した。ほんとに、いろいろあるよね。どこでどう運命は転がっていくのか、分からないからこそ面白い。そして、すべてに於いて偶然なんてものはないから。先の見えない必然に身を委ねて、道程を愉しむこと。それがアーティストとしての生き方なんだと、このごろ思う。

アーティストなんて言葉、若い頃、恥ずかしくて使えなかったけど。笑。最近は意図的に使う。戒めでもあるんだ。

今日もグレッチの出番だよ。

君は僕の魂そのもの。

これだけ人生を共にしても、まだ好きだと思えるのって幸福だよね。

フレーズを考えるんじゃなくて。

ギターがこう弾けばって

教えてくれるんだよ

すごいと思う。ありがとう。

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Recording day #032 への8件のコメント

  1. kei より:

    「いったい幾つの憎しみを乗り越えたら」のメロディのところで、いつも心の奥がふわっとして泣きそうになります。山口さんから産み出される音楽、これからもずっと聴き続けたいです。

  2. tsugoo より:

    keep on Rollin’
    してるうちに、会えそうな気がします。
    いつかの自分。
    「灯り」を聴いて、何度も泣いた。そして今がある。名曲。

    ボツになってたら、俺の人生も変わってしまった。あぶないあぶない。
    洋アニキ。これからも、頼みます。

  3. 萩原晋也 より:

    凡骨の歌から今に至ります。

    あの「メロディー」のイントロのPANの振り方から、
    俺のHEATWAVEは始まった気がします。

    本物の音楽があると。

    新譜待ってます。

    いつも、勇気をありがとう。

  4. さとう より:

    「灯り」「ON MY WAY HOME」、それからいつかライブで聴きたいと(リクエストコーナーがあったら、次こそはいつか声を出そうと)思い続けてきた「親父」とか。名曲が詰まっている「凡骨の歌」はヒートウェイヴの一つの頂点だと思っています。今のヒートウェイヴにはこのころとは違った良さがあって、「プレシャス」など何回聴いたかわかりません。けれど「凡骨」もまた、自分にとって永遠の名盤です。そのことは(感謝とともに)言っておきたいです。

  5. meimay より:

    続けてきた人のみに訪れる 自分だけど自分じゃない という感じ、音の粒ってすごいなあ。

  6. saw より:

    凡骨の歌、好きです。
    若かりしの歌は若かりしときにしか書けず歌えないのかもしれませんが、
    もう若くはないときに歌ってもいい響きをすると思うのです。
    また、もう若くはない凡骨の歌も書かれ歌われることがあるのではないのかとも。
    ともあれ、
    かつて若かりしころに聴き始めた歌にもう若くはないおっさんはいまも聴き入っております。
    またとうぜん、われわれのかつてに、いま出会い聴く方々もおられます。
    記録されあるいは記憶され継がれた歌はいつもいまの歌でもあるのです。
    凡骨の歌のこと聞けてうれしゅうございます。ありがとうございますm(_ _)m

  7. ジンジン より:

    あれは、日比谷の野音ですか。『凡骨の歌』の“裏腹”のライブシーンが
    脳裏をかすめます。ステージと観客の温度差、山口さんのやり場のない
    怒りのようなもの、睨みつけるような鋭い眼光…そんなことを覚えています。
    当時、抗っていた自分と重ねてしまい、未だにこのアルバムを聴くのはつらいです。
    しばらく聴いていません。それでも、“灯り” “ON my way home” “親父”
    など大好きな曲も満載です。今度、改めて聴いてみようと思います。

  8. たづ助。 より:

    灯り、ボツにならなくて良かった。

    こっちは勝手に大切に思っている曲のひとつです。

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