7月6日 金曜日 雨
暗澹たる金曜日
早朝から死刑が執行されていく。こまわり君じゃないよ、現実だよ。iPhoneの画面が時間の経過とともに淡々とそれを僕に伝える。ひとり、ふたり、さんにん、、、。云いようのない感情が胸のなかに拡がって、耐えきれず何人かと国境を超えてメールを交わす。
7人、、、、、、。
死刑にまつわるとある番組に出たときに、存置派の女性弁護士が放った言葉が頭のなかをぐるぐる廻る。「死刑は国家による殺人ではありません」。アー・ユー・シリアス?この方は死刑台の床が抜けるボタンを自分が押している感覚がないのだと思った。
いったい誰がどうやって人や時期を選んでいるのかもわからない。昼過ぎに会見したあの法務大臣でないことは確か。彼女は官僚が書いた文章を棒読みして、ハンコを押しただけ。僕は自分に置き換えて考えてみる。ユー、ハンコ押せる?否、だね。間違いなく。
おそらく法務省の官僚たちが決定し、大臣がハンコを押し、刑務官が執行した。
それはこの僕が死刑台のボタンを押したのと同じことだと思っている。ほんとうにそういうことなんだよ。僕が殺しているって感覚が超絶に気持ち悪いんだよ。床が抜けて、バタバタ苦しんでる人間の姿が僕には見える。この国の人々はそう思わない人が多いけど。どこか自分のことではないって、都合よく、線を引いて考える。あいつは極悪人だから死刑になって当然だって。でもね。自分が暮らしていることと、今日壁の向こうで行われたことは地続きだよ。繋がってる。
誤解のないように伝えておきたいけれど、被害者の遺族が極刑を望む感情を否定しているのではない。僕にそんなことを云う資格はない。
起きてしまったことは元には戻らない。だから人間としてやるべきことは、「あのような事件」を二度と繰り返さないこと。そのためには首謀者たちの思考や言葉は極めて重要。なぜそのようなことになっていったのか、時代背景も含めて、きちんと検証しなければ被害者だって浮かばれないはずだ。
近年の彼は会話もできない状態だったと聞く。ついに事件の真相について「ひとことも」語られることなく、「平成のうちに」闇に葬られた。その事実に僕は暗澹とする。ほんとうに、それでいいのか、って。日本。
1995年。忘れようとしても忘れられない。イケイケどんどん。欲にまみれ、高度成長からバブルが終わって、なんとも言えない空気が漂っていたよ。センシティヴな若者はどう生きていいのか、悩んでいたよ。自分のことで云えば、なんとか正気を保っていられたのは僕には音楽があったから。そのおかげでかろうじて狂わずに済んだだけ。彼らをカルトとしてキチガイ扱いし、教祖たちを死刑にし、「平成のうちに」それですべてが終わるのなら、次の時代に、また同じようなことが繰り返されるだろう。僕はそのことに暗澹とするのだ。
山口さんのおかげで「A」「A2」を知ることができた自分としては、
今日の数々の執行のニュースには茫然とするより他ありませんでした。
残念です。
あの事件からも日本社会は何も学べずに終わってしまった。
もう日本には自分の利益しか考えない人たちと、
問いが与えられていないのに答えを手にしている、開いている系の人たちと、
真実を知らぬまま死んでいくその他大勢の人たちしかいないのか。
いや、まだあきらめずに生きたいと思います。次の世代に真っ当に渡したいから。
日本の言葉は「あ」「い」から始まるんですよね。
人が正義の名のもとに人を殺す。
決めた人。許可を出した人。その人達は、その場にいないのだろう。
執行をするよう命令を受けた人。その方々の心は死んでしまわないのだろうか。
人が殺されていくのを、見ていなければならない時間。きっと、永遠に感じるのではないだろうか。
人らしくしてはいけない時間。
忘れることはできるのだろうか。できないと思う。
やっぱり、永遠に続くのだろう。
救われますように。
なんか気色わるい。イライラ?かなんやろ?とにかく気色わるい。嫌だ。耐え難い。なんやろ?。スマホも粉々にしたい。やらんけど。しかし。
また、ひとつ、真相が解明されないまま、扉が閉ざされる。平成という時代と共に。「死」という刑法の元で。最先端を走っている日本が抜け出せないもの。疑問が残ります。
とある場所で見ず知らずの人たちと一緒にいました。
画面が伝える今日中に7人…という不可解な文言。
理解するのに数秒かかり、真っ白になる頭。
目を離すことができない。
でも、ほかの誰もテレビを見てはいなかった。
漂う無関心。
どこに繋がっていて何が遮断されているのか。
歪んだ空間。私はいったいどこにいるのか。
取返しがきかない一歩の後。
でもその一歩の前に私は何をしただろうか。
あるいはしなかっただろうか。
もっと自分を生きなければ。
このニュースを知った時、身震いと鳥肌が立ちました。
心拍数が上がって言葉に言い表わせない感情が生まれた。
平成に起きた事件は平成のうちに死刑執行という形で幕を閉じる
何も終わってないのに これでいいのか?今朝呟きました。
信じ難い。山口さんの文章に物事の着地点と方向性が
自分と近いように思えて素直に理解できます。
命は尊いもの。明日のライヴ愉しみにしています。
ゆっくり寝れますように…
そうですね。「あ」「い」から始まることだけは伝えていきましょうね。
「あなたはたいせつです。あなたはいるだけで、それだけでいい。」そう思われることは絶対的、致命的にたいせつなことだと聞きました。だから思われたことがないと、人に無関心になったり、命をたいせつにすることができなくなってしまうのかもしれません。
また、山口さんが仰るように、これだと思う何かがなければ、人はいつだって狂うことができる生き物だと思っています。
どうか、山口さんのファンの方が音楽に狂うことはあっても、自分のこころが分からなくなってしまうようなことがありませんように。そして「あ」「い」に余裕があったら、周りの人にも分けてあげてくださいね。
みなさん、お元気で☆
まことさんもお元気で。
あのような事件で大勢の方を殺めてしまったのが『ヒト』ならば、その首謀者たちを法の名の下に殺めるのもまた『ヒト』。
そして、自分も家族も友人も全て同じ『ヒト』。
全てのヒトの最期の時は、理不尽はなく、誰にも侵されてはならない、自由なものであって欲しい。
福岡、岡山、広島、京都などなど、あちこちで河川の増水。河川の水位、10分単位で更新されるので、アプリなどで情報を得て自衛しています。今夜、七夕だというのに。織姫の涙だとしても、滝のよう。
山口さん
じゃ~
どうすりゃいいんですか。
あのまま真相を語る事がないとしたら
ずっと拘置所にいればいいのでしょうか?
って思ってしまいます。
自分の身内が被害者だったとしても
死刑に反対できるのだろうか。
Rieさん、ありがとう。Rieさんも元気でいてね。
Joeさん、ほんとうですね。できるだけ、自由におだやかに、最期の時を迎えられるといいですね。
Kazuさん、どうすりゃいいのか分かりませんよね。でも、ひとかけらの希望を信じて、相手と対話し続けることはたいせつじゃないかなぁと。そうすれば、もしかしたら、相手と調和できることがあるかもしれない。憎しみが消えていくかもしれない。
被害に遭われた遺族の方が、犯人がどうしてこのような事件を起こしてしまったのかを想像し、憎むことはやめて、同じ境遇にある方に寄り添っていこうと活動されているそうです。すばらしい!と思いました。人は憎むために生まれてきた訳じゃない、つよく、やさしくありたい。
「いったいなにができるだろう? ともだちとして」とってもたいせつなこと。このともだちの間は、思いやりでいっぱいになるから。生きていて、よかった、そう感じられる時かもしれません。
「感謝を込めて、今を生きる」努めていきます。メッセージになるように。
みなさんがご無事でありますように☆
1995年。
HEATWAVEの音楽と出逢えたことに改めて感謝致します。