未来を創る方法

3月11日 木曜日 晴れ

MY LIFE IS MY MESSAGEを福島でずっとサポートしてくれている女性、Tさん。

彼女は来る日も来る日も10年間。自分が暮らす町のその日の線量をツイートしてくれていました。10年間、ですよ。

僕がお願いして、そのツイートはMY LIFE IS MY MESSAGEのwebサイトに毎日転載されていました。それに気づいた人は少ない、と思います。

でも、未来を創ることって、こういうことだと思ってきました。10年だから、ではなく、日々を淡々と諦めることなく積み重ねていくこと。

僕はTさんの穏やかだけれど、静かに強い意志が込められた行動をずっと尊敬してきました。このような人間でありたいと思います。

彼女は今日を境にツイートをやめるそうです。もうこれ以上大幅に線量が下がることは望めないし、ここがやめどきかな、と。

さっき、届いたメールにこう書いてありました。

私は震災で直接的には何も失わなかったんですよね。
私に出来ることはなんだろうってずっと考えながらの10年だったように思います。
線量ツィートとかえる新聞が今の私に出来る事なんだと、そう思って頑張ってきました。ここまで続けられて本当に良かったです。

ほんとうにありがとう。そしておつかれさまでした。

コがもう少しマシになったら、ずっとサポートしてくれた、いや一緒に活動してきた福島のスタッフと酒を飲みに、その町にバイクを走らせようと思っています。

――――――――

未来をつむぐために。

みなさんの”それぞれの10年”をメッセージにして、僕に送ってくれませんか。それを僕が3/13の宴会場のステージで代読し、曲を演奏したいと思います。人の数だけ、同じ時、でも違った10年があると思うのです。”それぞれの10年”が語られることで、未来がおぼろげに浮かんでくる気がするのです。

力を貸してください!

3月13日土曜日に行われる“東日本大震災復興10年「甦る」感謝の集い”、当日の模様は僕のインスタグラムのアカウントで中継する予定です。中継と言っても、いつものように、iPhone8ひとつで、ワンオペですが。詳細は追ってお伝えします。

―――

“それぞれの10年”はこのblogのコメント欄にどうぞ。今日いっぱいまで受けつけてます。

1. 名前(ニックネームで構いません)
2. だいたいの年齢、性別、お住まいの地域
3. ライヴで聞きたいHWの曲
4. “それぞれの10年”、その曲を聞きたい理由、メッセージ、質問、アイデアなど遠慮なくどうぞ!

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未来を創る方法 への25件のコメント

  1. カドジュン より:

    1.カドジュン
    2.長崎県五島列島 49歳 年長ムスメの父
    3.Born to die
    4.『私の10年』
    震災の6日前に披露宴を挙げました
    もしも1週間ズレていたら…とも思いましたが、私たちの披露宴どころではない世界になってしまい愕然としました
    私たちにとっては、ファミリーヒストリーとアフター東日本大震災が並んで歩いている感覚です
    妻と私、どちらかがいなくなるまでこの感覚は消えないかもしれません

    妻は行政の専門職だったので、震災直後の3月には宮城へ派遣されました
    彼女自身も幼少期を福島市で過ごしていたので、望むところといった意気込みでした
    私にできることは大きくて目立つ色のザックを買ってやることくらいでした
    1週間という短期間でしたが、身近に震災を感じました

    私は立場上、長期間仕事を抜けることもできず間接支援しかできませんでしたが、1年後の相馬MLIMMイベントでやっと現地に行くことができました
    そんときのことはリンクを貼ってます

    2015年2月には赤ちゃんをあずかり、その数年後には実の子どもとなりました

    ずっと独身かもなあと思っていたのに、遊び人の自分が子どもまで持つとは…
    ウケました(笑)
    人生っておもしれーなーという意味です
    マジメな話、ウチの家族は3人とも他人です
    でも、大切なマインドを共有できている気がします
    家族って血のつながりじゃだけないことがよくわかりました
    いまや行政をやめて妻は仕事の大切なパートナーにもなりました
    まあ、できるだけ誠実に人生と向き合おうと思うのでいろいろとキツイことも多いんですが、家族は生きるうえでのモチベーションにつながってます

    もちろん、仕事でも重要なポストにつき、人とのつながりの大事さは若いころの比ではなくなりました

    はじめてBorn to dieを聴いてから、ずっと『俺たちは1人で そして1人じゃない』という歌詞を胸に刻んで生きています
    でも、この10年はその意味を本当に噛み締めています

    もはや、どこでどんな災害が起こるかわからない時代となりましたが、これからも人生のそばに家族と仲間とHWがあれば良いなあと思います

  2. wisteria より:

    1.wisteria
    2.54歳、男性、東京都
    3.フリージア
    4.10年前の大晦日、妻のお腹の中にいる子どもが出生前診断でダウン症と宣告されました。夫婦で悩んだ末出産を決心して気持ちを立て直した矢先の3月、震災発生。放射能の危険を感じる中、このまま東京にいていいのか逡巡しながらも、6月に出産。無事生まれた子どもは、今年10歳の誕生日を迎えます。
    子どもの名前は「洋」といいます。

    「フリージア」を聴きたい理由は、歌詞の最後の「君は明日の香りがする」というフレーズでいつも子どものことを思い出すからです。

  3. manabu seida より:

    1.  学
    2. 41歳、男、広島県三原市
    3. それだけでいい
    4. 10年前の今日、東日本大震災があって、その翌月、4月5日に長男が産まれました。
    という事は、来月で長男が10歳になるんだなと、改めて思っています。
    当時は、香川県の小豆島に住んでいて、ニュースで大変な事が起きてしまったという事は分かったけれど、実感を持つという事は、できませんでした。

    想像力が足りなかったんだと思うのですが、自分の身に起きていない事に実感を持つというのは、中々難しい事でした。

    2012年には、相馬に足を運ばせて頂いた事も、思い出しています。
    my life is my messeage 山口洋さんのブログを読み続けていた事、きっかけを与えて頂きました。

    あれから、自分に何ができたのか、正直言って分かりません。
    原発、無くせるものなら、一つ残らず無くなって欲しいです。
    でも、自分に何ができるのかは、分かりません。

    自分の無力さを感じつつ、こどもをもう一人授かって、2人の息子と妻と4人で、広島で暮らしています。
    無力でも、生きている限り、諦めてはいけない事があるんだろうと、山口さんの曲、HWの演奏を聞いていると、ブログを読んでいると、そういう気にさせられます。

    何が大切なのか、自分に問いかける事は止める事なく、これからも生きてゆきたいと思います。
    東北の事を想う事も、決して忘れたくありません。
    僕は、盛岡で生まれました。

  4. はなわかパパママ より:

    1. はなわかパパママ
    2. 40代、男性、佐賀県
    3. 明日の為に靴を磨こう
    4. 山口さん、こんにちわ。毎週素敵な時間ありがとうございます。今回のテーマですが10年振り返りました。
    10年の間で子供も二人恵まれ、家族も四人になりました。
    二人の子供は震災の事を知りません。今回の皆さんからのリクエスト拝見し忘れてはいけないもの、そして知らない世代には伝えていかないといけないことと改めて感じました。ほかの方のリクエストにもありましたが、忘れない事、それが本当に大事だと感じました。
    娘二人にはいろんな事をこれからも繋いだいきたいと思います。

  5. ヨシ より:

    1 ヨシ
    2 50代 東京
    3 満月の夕

    4 
    10年前の今日、都内に向かう東海道線の中で揺れに遭遇しました。
    脱線するかと思うほどの揺れで電車は止まりてっきり相模湾沖地震が起きたと思っていましたが、徒歩で帰宅後付けたテレビに映し出されたのは仙台空港に押し寄せる津波の映像で地震が東北で起きたことを知りました。あまりのことに目を疑いました。
    そして原発の爆発。

    僕は原発の街で生まれ育ちました。
    子供の自分にとっては原発と大阪万博(あと新幹線も)が被っています。
    共に「キラキラな素晴らしい未来」を約束してくれるもの。
    ど田舎の少年にとってどれだけ眩しいものだったか。
    「原子力 明るい未来のエネルギー」双葉町の看板は久しぶりにその感覚を思い出させてくれました。

    あれから10年、原発のその後の動きや、ヘイトスピーチなど、社会はたがが外れたように信じられれないようなことが起きてきました。
    自分の正気を保つためにそれらに抗ってきたように思います。
    そして現在のパンデミック。ワクチンが出来たと思ったら変異株の出現。
    また、先日の大きな地震は10年前の余震だと。
    放射性物質の半減期もそうですが、人間のタイムスパンを超えています。
    そこに対しての謙虚感こそが求められているのではないでしょうか。

    石巻にボランティアに行った夜のこと、空には信じられないくらいの星が瞬き、暗闇に包まれた街の建物の月光に照らされた色濃い影。
    きれいだとは思えなかったけど、とても忘れられない風景です。
    その夜に頭に流れていたのは「満月の夕」。
    あまりのド直球ではありますが、今でもこの曲を聞くたびに、石巻や南相馬を訪れた時のことを思い起こさせてくれる曲なのです。

  6. かつらぎ より:

    やっと秋に13匹サナギまで育てたナミアゲハ、この春、1番に羽化したメスのナミアゲハが、偶然3.11、地震と同じ14時46分に4階の校舎の上まで旅立っていきました。いちど、飛び立つのにしっぱいして地面まで落ちてきて、先週3月3日に10歳になったばかりの男の子が助けて、その子の手のひらから羽ばたいたので、偶然の時刻。酷暑の異常気象でレモンやミカンの葉が育たず、農薬の被害も受けて、初夏には3羽しか成虫にならなくて、やっとの思いで卵からそだてたのに、まさかの今日。不思議なこともあるものですね。蝶は、亡くなった魂の乗り物とか。兵庫の綺麗な青空にまっすぐとびたっていきました。

  7. ENO より:

    1. ENO
    2.38歳 男 東京杉並区
    3.出発の歌
    4.先程、保育園から帰ってきた娘が保育園で目を閉じ黙祷した話を聞きました。
    10年前のあの日、私は前職だった夜勤の支度をしていた時でした。実家住まいで、軽くボケていた最愛の祖母の背中からギュッと抱きしめて、「おばあちゃん、大丈夫だよ。戦争も乗り越えたんだから大丈夫。」といつもの様に会話をしていました。
    祖母は戦時中、祖父と出会い東京に嫁いできました。
    関東にある祖母の故郷にも津波が来ました。
    それを観た祖母はみるみる弱ってその年の秋に亡くなりました。いつも二人で馬鹿な話をしてたのに。
    東京都がしている事。物心がついた頃から本当に申し訳なく感じています。
    そして上京されてくる人達は「凄いな。逞しいな。」と感じでいました。
    東京は余りにも醜い。でも、私にとっては唯一の故郷でもあります。
    今、幼い娘と会話する時にふとおばあちゃんを感じる時があります。本当です。

  8. 風にハモ太郎 より:

    すみません、3月10日の日記に投稿してしまいました。お詫び申し上げます。
    純米吟醸酒「甦る」が本日我家に到着したことだけがメッセージ(笑)らしき内容ですけど。

  9. fujiiku より:

    1.fujiiku(フジイク)
    2.54歳 男 世田谷区
    3.”それぞれの10年” 難しいテーマで上手く書けません

    東京の電力の為に大きな被害を受けた 被災地の方々のために少しでも節電をと細目に電気を消していた当時に比べ 今では電気つけっぱなしの場所があったりと・・・
    記憶が薄れてきているのは正直否めません。申し訳ない気持ちです・・・

    10年前から決めた事 必ず選挙に行くこと 原発に真剣に考えているだろう人に自分で考え投票することぐらいです・・・

    MY LIFE IS MY MESSAGEのたびに色々考える機会を与えていただきありがたく思います。

    私も日本酒「甦る」注文しました。土曜日に間に合えば飲みながら参加したいとおもいます。

    いつも私を勇気づけてくれる洋さんの頼みにこんな答えで良いのか心配です。

    ※配信ライブのチケット買いました。当日は都合により後日の参加ですが楽しみにしています。

    リクエストは「遠い声」 ”それぞれの10年”を考えている時頭の中でずっと鳴っていました。

    いつもありがとうございます。

  10. YUJI より:

    福島のTさん、10年間、本当にありがとうございました。
    10年毎日。本当にありがとうございました。

  11. ゆみ より:

    1.ゆみ
    2.アラフィフ・女性・横浜市
    3.新・相馬盆唄
    4.10年前のあの日、あの瞬間のことは忘れられません。
    東北から遠く離れた横浜でもかなりの揺れを感じました。
    出張で福島・磐梯山のスキー場へ行っていた主人とは暫く連絡が取れず不安だった数時間。何時間も続いた停電…。
    震災のあと、福島県で被災したペットショップにいたゴールデンレトリーバーの仔犬を縁あって家族に迎え入れました。人間よりも早く年齢を重ねていく犬との10年はあっという間に仔犬を初老犬に変えてしまい、年月の重さと日々の大切さを感じます。
    リクエストは新・相馬盆唄をお願いいたします。
    ミチロウさんの遺志も是非長井市の空に響かせてください。

  12. ndgydg より:

    1.ndgydg
    2.51歳 男 横浜市
    3.相馬盆唄
    4. その日、病院から退院し、自宅療養中でした。
    久々のリハビリ?もかねて出たばかりのロビー・ロバートソンのソロを買いにレコード屋に出かけすぐに帰るつもりでした。
     アルバムを持ってレジに向かうところで揺れたのです。
    結局買えず、駅に向かうと津波の映像が映し出されていました。まるで現実ではないものを見るように自分の中で揺らぎ何かが変わってしまった気がしました。
    電車やバスも動かず、家まで休み休みやっと帰宅しました。携帯の繋がらない妻が帰宅するのを深夜までただ待っていました。
     あの日から自分は地震や津波の映像を見る度にどこか自分を閉ざしていました。震災に関連する支援やMY LIFE MY MESSAGEにも参加しましたが、どうしても震災のあった場所へは行けませんでした。
     どうして、自分はそこへ行こうとしないのだろう。逃げてばかりいるのだろう。ずっとその事が自分の心に澱のように溜まっていきました。その日が来るたびに震災後も苦しんでいる人達の話を聞く度に。
     今もまだそこへは行けないのかもしれません。
     いま自分ができる事はその日を忘れないこと。当たり前の一日一日を大切にする事。震災後に生まれた息子にその日の事を伝え続けること。そして、いつかそこへ行ってみることです。できれば息子と。
     とりとめのない文章ですいません。
     洋さんとミチロウさんが一緒に歌っている姿が忘れられません。

  13. michi より:

     10年前、仕事先から3駅ですが歩いて帰りました。多くの人が黙々と歩いていて「帰宅困難者」という文字が頭に浮かび、東京都が配ってくれた防災の手引きが実に優れた内容だったことにやっと気づいたりして・・・。その夜は街灯が消え、真っ暗だったのを印象的に覚えています。電話が通じない、買い占めに走る人達、原発は大丈夫と言っていた直後にメルトダウンしていた等々・・・。先日「太陽の蓋」という映画をリバイバルで観ました。観てよかったと思いました。私は自分のできることを自分の頭で考えて、ルーティーンでやろう思う今日この頃です。リクエストはフリーダム。力強いエレキの響きを聞きたいので。

  14. M I N より:

    1 MIN
    2 58 女 福岡
    3 スターライト
    4 それぞれの10年
     東日本大震災が自分が48歳の時になります。44歳の時、姉の息子を亡くし、
     まだまだ、自分の心の傷が癒えていないこともあり、何もできないままに、過ごしていたと思います。ただ、この歌が、亡くなった甥っ子の事を謳ってくれているような気がして、何度も何度も何度も泣けて泣けて泣けて、しょうがなかった覚えがあります。
    51歳の時には両親も亡くなりました。思うのですが、あっと言う間の10年です。
    いつか、会える日を、夢見て、
    ありがとう さようならと、言ってお別れをしました。

  15. のじか より:

    1.のじか
    2.40代、男性、広島の瀬戸内地方
    3.Heavenly
    4.“それぞれの10年”
    音楽や小説や映画や漫画やアニメなど、人のイマジンの力の賜物…
    “物語”は人生に必要不可欠なものだと思うので。

    たまゆら、たんぽぽの綿毛、コトダマ…

    この10年、私が影響を受けた作品を象徴するものをあげてみました。

    アニメ『たまゆら』シリーズは、広島県竹原市を舞台に高校生の娘さん達がおぼろげながら、それぞれの夢を追いかけて成長していく様をハートフルに描いた作品で、主人公が撮った写真に映り込む白い光を「たまゆら」と呼んでいて、幸せな雰囲気が写真に映ったようなものだったのかな…
    映画『この世界の片隅に』および『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、昭和19年2月に18歳で広島から呉に嫁いだ、すずさんの“日常”を描いた作品で、風に舞うたんぽぽの綿毛が命を象徴してたのかな…
    映画『きみの声をとどけたい』は、神奈川県の海辺の町(鎌倉市腰越がモデル)を舞台に、コトダマが見える高校生の娘さんを主人公に、想いを伝えることをプリミティブに描いた、まっすぐ清々しい青春物語な作品で、空を漂うシャボン玉のような視覚表現されたコトダマが印象的なので…

    そして、日曜の朝には、イマジネーションを持って、ひとりひとりがキラキラと輝いて、夢に取り組むこと等々、大切なことを気付かせていただいてます。

    あと、10年前、東北へ仕事の応援で行って大したこともできずに地元に帰ってきて貸切状態でみた映画のことは忘れません…

    なんだか想いばかり空回りしてて、うまく伝わってるかわかりませんが…よろしくお願いします。

  16. オバキューピー より:

    1 オバキューピー
    2 54歳 女 福島県いわき市
    3 リクエスト曲、今回は決められず…。どの曲も聴きたいです。
    4 10年、長かったような早かったような…。あの時の思いは「あ、これ、今までの普通の日常は戻らないだろうな」でした。断水、物資不足、原発…。本当に普通の生活できる日が来るのだろうか、と毎日不安でした。思考が止まるってこういうことなのか?と思うくらい何も考えられない時間がありました。10年が過ぎ「当たり前のこと」が戻りつつあります。それを「当然のこと」と思わず「ありがたい」という気持ちでいなくては、と思う日々です。

  17. おでん出汁の香り より:

    1. おでん出汁の香り
    2. 55歳、男、静岡
    3. 新しい風
    4. “それぞれの10年”
    「震災に関わることでも、そうでもないことでも。自由に書いてください。」「力を貸してください!」と洋さんに書かれてしまっては、恥ずかしい内容で悩みましたが”枯れ木も山の賑わい”として書かせていただきました。

    私にとっては「LIVEは最高だ!」と気付いた10年でした。
    きっかけは、2014年に友人から薦められて観たDVDでした。(清志郎さんの「完全復活祭」、Chaboさんの「I STAND ALONE」) 歌・ステージ・立ち振る舞いのカッコ良さに魅了されました。それと同時にChaboさんのLIVEを体感出来るチャンスは今しか無いんだと強く感じました。一寸先、自分の身に何が起こるかなんてわかりませんし、遅ればせながらその時に「時間は有限なんだ」と意識したんだと思います。(「老い」や「死」についても含めて)それからのLIVE通いの先に洋さんとの出会い「2016年 MY LIFE IS MY MESSAGE for 九州 POWER TO THE PEOPLE」があり現在に至っています。

    2020年に入ってからはCOVID-19により自分や家族、友人の命が脅かされているばかりでは無く、貴重なLIVEの時間も奪われています。そんな中でリクエストや質問に答えていただける一方通行では無い形態の洋さんのインスタライヴはとても充実した愉しい時間です。いつもありがとうございます。
    リクエストの「新しい風」ですが、私にとってはただただ元気が貰える曲です。今回はインスタ部屋からの演奏では無いのでボリュームアップの強風を吹かせていただけると嬉しいです。やっぱり「LIVEは最高っすね!!」

  18. may より:

    1,may
    2,40代 女性 東京
    3,君を連れてゆく
    4,それぞれの10年

     10年前の3月11日、仕事復帰直前で保育園の担当者と電話していたところに大きな揺れが起こりました。当時まだ幼かった子どもたちを必死で守ったこと、テレビに映し出された津波を見て立ちすくんだことは今でも昨日の事のように思い出せます。
     この10年の前半は、子育てと仕事の両立の崩壊、そして退職と激動で、後半は導かれるかのように今の職にたどり着き、昨年はコロナ休校を通じて、やり残しの多かった「母」の部分をやり直し、今年に入ってやっと、自分のバランスが分かってきた、、そんな10年でした。
     振り返ればこの10年は、自分に向き合うことに精一杯で、再出発を何度も繰り返していたことに気付きました。その為、自分が震災や社会のためにできた行動は恥ずかしながらほとんどないと言えると思います。ただ、MLIMMのライブに参加したこと、「そうまかえる新聞」を購読したこと、この2つのことは、心の奥にある大切な感情をいつも揺り動かしてくれていた。それがわたしと震災をいつも忘れずにつなげてくれていたと感じています。
     10年前の今日、2歳と4歳だった子ども達もこの春には中学生です。これからの10年はMLIMMと「そうまかえる新聞」を通じて感じてきた大切な感情を、自分なりに行動につなげていけたらと思っています。
     わたしもこの3日間ずっと自分の10年を振り返っていました。本当に貴重な時間でした。そしてみなさんの10年を拝見できたこともとても素晴らしいことでした。心から感謝しています。
     洋さん、このような機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。

  19. Y 9292 K より:

    1. Y9292K
    2. アラフィフ、女性、葛飾区
    3. 旅立ちの歌
    4.
    職場の住所は3回変わり、仕事での立場、役割はかなり変わりました。
    母が認知症となり介護施設へ。結果、家族みんなが一人暮らしになりました。
    HEATWAVEを聴くようになり、ライブにも。思えば10年前は今(といってもコの
    前)ほどは行っていなかった。
    劇的な変化があったわけではないけど、思えば、色々変わっている、そんな10年でした。全く気の利いたコメントでなく、言いたいことがうまくまとまりません。
    土曜日、インスタライブを観ながら、私の10年をもっと振り返られるような気がします。いつの間にか、0時をまわっていました。

      

  20. 村田 孝 より:

    1. 村田孝
    2. 55歳、男、山形県
    3. スイートレボリューション
    4. 被災者の歌だけではなく避難者の歌も歌ってくれてありがとうと伝えたくて、昨年夏突然お邪魔しました。
    「何も起こらない日々よりはるかに豊かな時を生きているとそれぞれに言い聞かせている。」(冬の朝)
    リアルにそう自分に言い聞かせている自分がいました。刺さりました。

    今回の集いを未来につながるポジティヴなものにしたいという思いから3をリクエストします。
    明日からよろしくお願いいたします。

                        All my relation 村田孝

  21. Kaguya より:

    1、kaguya
    2、50代 女性 岡山
    3、満月の夕
    4、それぞれの10年
    言葉にするのが難しい感情で、ずっとずっと考えていました。この数日は「満月の夕」だけを繰り返し聴いていました。もう何度も何度も聴いているのに、この数日は
    今までと違った思いで胸が締め付けられました。
    10年前のあの日、そしてその後。被災した親族、友人に物資を送るくらいのことしか出来ず。繰り返し報道でみる映像やあの年の春の甲子園で選手宣誓をした高校球児の言葉にも涙が溢れていたけれど、やっぱりどこかで遠くで起きている他人事のような感覚だったのかも知れません。二年半前に自分が被災し何もかも無くすまでは、恥ずかしいけれど、悲しいけれど、きっとそうでした…。
    あの日の光景は今でも鮮明に覚えているけれど、その後生活を立て直していく時間のことは、記憶が抜け落ちているような感じです。毎日をただひたすらに必死に生きていました。人の本当の優しさも温かさも冷酷さもずるさも知りました。ある時から被災して大変だったんだということを「わかって欲しい」と求めないようになったと思います。被災前は福祉関係の仕事をしていて、とても熱い気持ちと誇りを持って仕事をしていました。本当に大好きな仕事だったはずなのに、今はその仕事に戻れないままです。熱い気持ちも戻らないままです。
    自分の感情を言葉にして誰かに伝えることはとても難しい。「満月の夕」の歌詞は自分で言葉に出来ない感情そのままでした。
    被災なんてしない方がいいに決まっています。
    被災し家族を亡くし家を無くし大切なものを一瞬で無くすこと、恐怖、それを経験していない人が全部分かることは難しいことなんです。それでも、被災していない人たちがいてくれて、分かろうとしてくれて、励まし続けてくれて、押し付けでない支援をしてくれて、人々が少しずつ少しずつ自分で何とか立ち上がれるようになるんだと思います。
    私の町にはまだ「がんばろう」という言葉があちこちに掲げてあります。最近一つだけ発見しました。「頑張ったよ」という看板。
    うん、十分過ぎるほど頑張った…。そして今も頑張っている。
    私はそう思っています。
    インスタ、ありがとうございます。そして、大好きな東北、必ずまた行きます!

  22. Masako より:

    Tさん、本当にお疲れさまでした。10年間、毎日出来ることではないですよね。昨夜は復興キャンドルナイトに行ってきました。今年のテーマは「結」。たくさんの人たちの思いがありました。10年。大学生が紡いでいっていること。素晴らしいです。

    話は変わりますが、何年か前に、原子力館に行ったことがあります。実物大の模型がありました。大きいとは思いませんでした。安全ではないと感じました。必要ないと思いました。何故なら、こんなにも被害が出てしまうものだから。安全な処分場も見つからないまま、再稼働はあり得ないです。未来を守って欲しいです。
    すみません。聴きたい曲の変更。「満月の夕」でお願いします。山口洋さんの書かれた詞、いつも励みになっています。

  23. たかいけいちろう より:

    ~ちょっと個人的なメッセージで、ゴメンナサイ~
    静岡ウーフーに山口洋さんやリクオさん、
    他にもおすすめのミュージシャンの皆さんがやってくるのを
    情報レスの私に、いつも優しく
    教えてくれたヤマちゃん!!
    ヤマちゃんがいなかったら出会えなかった音楽、人々がたくさんあります。
    本当にいつもありがとう!!
    これからも我らがホームタウンで一緒に
    音楽を楽しめたらうれしいです!!

  24. KOZY より:

    1 KOZY
    2 56 男 大阪
    3 君を連れてゆく
    4 それぞれの10年
    もう既に時間切れとは思いますがリクエストさせて頂きます。
    私にとってこの10年は2011年3月6日の大阪城ホールでの
    佐野元春さんの30thアニヴァーサリー・コンサートから始まります。
    山口さんを始めとして藤井一彦さん等…佐野さんをリスペクトする
    錚々たるミュージシャンと12,000人以上の観客が渾然一体となって
    「ホントに音楽が好きで良かった!」と愛を感じる素晴らしいライブでした。
    特に山口さんの「君を連れていく」は何か人生の再スタートを後押しして
    くれている様で、座席はスタンドの後方でしたが、一人スタンディング
    オベーションしたのをはっきり覚えています。
    しかしこのハピネスに満ちたライブの5日後に大震災が起きました。
    その時期2~3年前からのリーマンショックで、私の勤める会社は
    いつ倒産するか分からない状況になっていて、とにかく新しい客先を
    探さなければならなくなり、単身赴任の生活を始めていた私にとって
    正直震災は対岸の火事で、その惨状に対しなす術がないというより、
    この10年は自分や家族を守る事だけで精一杯の毎日でした。
    そんな中 私利私欲を捨て果敢に立ち向かっていく
    山口さんの姿勢・行動・言動・そして音楽は
    私にとって「愛」「信頼」「誇り」そのものです。
    これがあれば今後どんな事が起きても
    再び生き抜いて行ける気がします。
    ホントにいつも有難うございます。

  25. yuki より:

    震災後、自分が何をしていいかわからない時、下北沢のライブハウスの告知を見つけ、SONICでのライブに行き、翌日ボランティア活動に一緒に参加させてもらいました。初めてのボランティア、初めての一人旅。往きの高速IC下りた時に感じた粉塵と息苦しい空気。
    その後も何度かボランティアに参加。行かれる場所に時間とお金と無理しない範囲で。畑のガラスを拾ったり屋内の清掃だったり。なんか、小さなことしかできない自分が本当に無力に感じました。自己満足でしかないとも。それでも、現状を周りの人に伝えてくれるだけでもありがたい。観ボラ(観光ボランティア)なんかも助かるんだよ。と、しばらくして現地の人に言っていただいて。その時は嬉しかったですね。
    この10年、自分にもいくつも転換期がありました。私は被災したわけではありませんが、震災がきっかけで人生変わったこともありました。
    よき理解者がこの世から旅立ったこと。まるで理解できない相手から自分が旅立ったこと。音楽を必要とするようになったこと。
    ぜんぶイチからやり直せ!このフレーズを聴くたびにマスクの下で苦虫を嚙み潰したような顔に一瞬なります。ズバッと爽快に歌われてしまうと、あとは笑うしかありません(笑)。あいまいに生きてきたツケ。で、今もまだ模索中。まだまだこれから。どこかできいたこの言葉。生きている限りずっとなのかなと思いつつです。

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