ありがとう

3月10日 水曜日 晴れ

“それぞれの10年”にメッセージをありがとう。

思っていた以上に、“それぞれの10年”には重みがあって、どこかで出会い、別れ、それぞれがひたむきに今を生きてきたんだってことがわかります。時間の都合上、すべてのメッセージを紹介することはできないのですが、勇気をもって記してくれたことが、誰かの目に触れることできっといろんな未来に左右していくと思っています。

そんな意味で、どうして大型二輪免許の取得に山形県長井市を選んだのかって質問に応えておこうと思います。

地元の自動車学校で中型ー大型と取得するつもりでしたが、コで教習が思ったように取れず、僕の場合ゼロからのスタートだったので、中型を地元で取得した時点でこのペースで大型を取るのは精神的にしんどいと判断しました。

ならば合宿で集中して取った方がいいと。この歳で合宿ってのももはや得難い経験だし。どうせ行くなら、知らない町がいいと。新潟とか静岡とか、自然が素晴らしそうなところはすべて「年齢制限」ではねられました。僕の歳で大型二輪はかなり厄介者扱いなんですよ。時間はかかる、運転は下手、運動神経は衰えてる。

そんなとき、長井市の自動車学校を見つけたのです。中型の免許を取得して、免許を書き換えてる運転免許センターの待ち時間に長井市の自動車学校に電話して、行くことを決めました。なにがいいって、電話口の若い女性がちょっと訛ってるのが最高でした。

なんだか、いい予感しかなかったのです。オプションでゴージャスなホテルに泊まるってプランもあったけれど、敢えてここは合宿所に。全生徒の中でわたくしがたぶん最年長。合宿所の管理人のお母さんともすぐに仲良しになりました。二輪の免許を取っている人たちともあっという間にともだちに。下は16歳から50代まで。

合宿所は飲酒禁止なので、隠れて飲んでました。それもまた愉しかった。空き缶は翌日スーパーの回収コーナーに持って行って証拠隠滅。仲間と飲みにも行ったし、前述の村田さんたちに酒席に呼んでもらったし。

総じて山形の人たちはシャイでした。教官もまた。でもね、免許を取るための運転ではなく、歳をとった者が安全に公道にでるための運転を教えてくれました。立ったまま、とか。片手でとか。それは今にほんとうに役立っています。

およそ落第するはずのない卒検。一本橋の前でとつぜん頭の中に「サザエさん」が鳴り出して「おさかなくわえたどらねこー」と歌って渡ったら、落下。即検定中止。そのときの教官の言葉。「なにやってるんすかー!!!!!!あと25点も残ってたのに」。

教官は全力で僕を合格させようとしてくれていたのでした。

検定に落ちて、合宿所に帰ることになって。管理人のお母さんに敬礼して「恥ずかしながら帰ってまいりました!」。あれはウケたな。笑。お母さん、部屋をきれいにしてキンキンにクーラーで冷やしておいてくれました。今、思えば、あんなに暑かった(ほんとに信じがたいくらい)町に雪が積もってるなんて信じられない!

素敵な一週間でした。僕は旅人です。東北だって、山形だって行って演奏したこと何度もあります。でも、短い間でも暮らしてみると、見えてくるものがぜんぜん違うのです。

大好きになった山形に恩返ししたい。そう思っていたら、なぜかそうなるのです。まぁ、若干任務は重いけれど、喜んでやらせていただきますとも。みなさんもコがあけたら、ぜひこの町に来てみてください。けん玉も有名なんだよ!

――――――――

未来をつむぐために。

みなさんの”それぞれの10年”をメッセージにして、僕に送ってくれませんか。それを僕が3/13の宴会場のステージで代読し、曲を演奏したいと思います。人の数だけ、同じ時、でも違った10年があると思うのです。”それぞれの10年”が語られることで、未来がおぼろげに浮かんでくる気がするのです。

力を貸してください!

3月13日土曜日に行われる“東日本大震災復興10年「甦る」感謝の集い”、当日の模様は僕のインスタグラムのアカウントで中継する予定です。中継と言っても、いつものように、iPhone8ひとつで、ワンオペですが。詳細は追ってお伝えします。

―――

“それぞれの10年”はこのblogのコメント欄にどうぞ。木曜日いっぱいまで受けつけてます。

1. 名前(ニックネームで構いません)
2. だいたいの年齢、性別、お住まいの地域
3. ライヴで聞きたいHWの曲
4. “それぞれの10年”、その曲を聞きたい理由、メッセージ、質問、アイデアなど遠慮なくどうぞ!

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ありがとう への17件のコメント

  1. 平和台の星 より:

    目からは涙が溢れ、口角泡を飛ばす。
    石巻の語り部の魂はあの日にタイムトリップしていた。
    大切な人を失う経験。それを再現する。そんな心身を焦がすような活動に心が震わされた。
    津波の恐ろしさを人に伝えたいがためだけに。

    大川小学校の校庭を見た時の衝撃。
    グラウンドの真横には小高い山が臨んでいた。
    なんで?どうしてみんなここに逃げなかったんだよ!

    そして、フクシマ。
    営業で通っていた町がゴーストタウンになった。
    誰もいなくなった町には線量計の電光掲示板だけが不気味に光っていた。

    心無い人は福島でもらったお土産をすぐに捨てていた。

    東電と闘っていた福島の知人がドイツ製のガイガーカウンターで自宅の放射線量を計って見せてくれた。
    放射線量は場所によって落ちた量が全然違うんだよ。だから一概にこの地区はこの数値なんて絶対言えないんだ、と。

    故郷を捨てなければならかった人、他県に移住した人はたくさんのいじめを受けたと聞いた。
    何の悪いこともしていないのに。

    でも福島に残った人も幸せとはいえなかった。
    東電から支払われる補償金が人の心身を蝕んでいった。
    簡易な仮設住宅の駐車場には不釣り合いの高級車が並び、
    昼はパチンコ、夜は居酒屋やスナックで時間を過ごす。

    でも、それをだれが責められようか。

    海辺で漁師をしていたある方は内陸部に移住させられた。
    漁業しかしたことがない人がある程度の年齢になって他の職に簡単に転職できようか。
    その漁師さんの家には皮肉な言葉が貼られていた。
    「東電さん、毎日パチンコをさせてくれてありがとう」と。
    この悲しき心の叫びを受け止めてくれた人はいたのか。

    福島の震災の津波などを原因とする直接死は1,607人。
    しかしその後長引く避難生活に疲れ体調を崩す人、運動不足と栄養過多で病気を発症する人、自死した人。
    いわゆる震災関連死でなくなった人は3年後の2014年に直接死の数を超えた。
    これは福島県だけである。

    マスコミでは伝えない福島の本当の実情を教えてくれた方に質問したことがある。
    それでは、僕らは何をしたらいいのですか。
    「お金はいらない。補償もいらない。ただ、忘れないでいてほしい。それだけです。」
    そう、答えてくれた。

    僕には私のような悲しい思いをする人を未来に作りださないでほしいという心の叫びのように響いてきた。

    あれから10年が経った。
    僕は3月10日、南相馬にいたが11日は移動していたので幸い難を逃れることができた。

    そして、今はコロナ禍。
    でも10年が過ぎても僕らに必要なものは何も変わっていない。
    人への思いやり。ただ、それだけだと思う。

  2. 平和台の星 より:

    1.平和台の星
    2.52歳 男 大阪
    3.you’ve got a friend
    4.上に書きました(笑)。

  3. Daisy より:

    1. Daisy
    2. 概ね50歳、千葉県
    3. 雨の後、道は輝く
    4. 以下、駄文失礼します。

    『幸い』という言葉。
    「幸い、実家は大丈夫でした。」
    「幸い、親類も友人も、みんな無事でした。」等々。

    「熊本? 地震、大丈夫だった?」
    「人吉すごいことになってんじゃん! お前の実家は?」
    うん、ウチの実家は大丈夫だけど、人吉の友人宅は浸かったよ。。。

    つい使ってしまいそうになる『幸い』という言葉も、耳を澄まして遠くの地に目を向けると、残酷だと感じる場面が多々あり、口にするのをためらっていました。

    10年前、1歳になったばかりだった長女が4月からは6年生です。
    そう、当たり前だけど、誰だってみんな『幸い』生きているのですよね。

    苦しみに終わりが来ることを祈り、できることを続けていこうと思います。

    雨の後の道の輝きやクリアな景色が好きです。
    360°山が見える地で育った自分は、子どもの頃、雨の後に山が異様に近くくっきり見えたのを憶えています。
    以前のインスタライブでもやって頂きましたが、静かに柔らかく力が湧いてくる気がするので、またリクエストします。

  4. Sana より:

    1&2 ZIGGY STARDUST発売直前に生まれた女、東京都在住
    3&4
    震災のあった時は自宅にテレビがなく、ラジオで延々と亡くなられた方の名前が読みあげられるのを膝を抱えて聞いていました。
    復興支援を兼ねた仕事で東北各地に出かけました。
    時間が合えば旅もしました。
    その後仕事を辞め、引っ越し先を東にしたのは、東北の近くにいたかった気持ちもあってのこと。
    1年に一度はかつてお世話になった町を中心に東北を訪ねることにしました。
    ボランティアを受け付けているNPOを見つけて連絡し、空きが出始めていた仮設住宅に滞在させてもらいました。
    そういえば、その土地でオリオンを見あげたっけ。
    そのNPOをしばらく手伝い、(中略)、結局、元の仕事に戻って、1年後にコロナ。
    1年ずれていたら、(中略)期間のことだったら、どうなっていたか分からない。

    昨年、かつてお世話になった方に会うために東北のある町に行きました。
    いつも明るく、いつもたくさんのおもてなしで迎えてくださる本当に素敵な方。
    一度だけ、私が重ねて聞いてしまったことに関し、暗い声を出された。一度だけ。
    みんな流されてしまったからね。
    高台にあるその方のお宅は無事だったけど、海沿いに広がっていた、かつてその方の祖先の家臣だった方々の家はことごとく無くなっていて、私は写真でしかその状態を知らない。
    ほんとうに申し訳ないことをしたのですが、あの一言、あの声を、トーンを、そのときの表情を、忘れることはない。
    昨年、帰り際に、出来上がった堤防を見に行こうと誘われました。
    あの頃は小さくてまとわりついていたお孫さんも大きくなり、最近は一緒に散歩してくれないのだと。
    だから一緒に連れて行ってと。いつもの調子でとても明るく、無邪気な様子で。
    海を見えなくしている堤防に登り、見えた景色は素晴らしくて、その方も嬉しそうで、堤防のうえで記念撮影をしてきました。
    人の絶えないお宅でしたが、きっとコロナで訪れる人も少なくなっていたのだと思います。
    高い高い堤防。よそ者には違和感のあるこの構造物。
    でも、曇りなく喜ばれている様子、胸のうちは分からないけど、その声を、姿を、やっぱり忘れない。
    この方に会いに行く予定があったので、昨年7月のsoloライヴには行きませんでした。
    もちろん後悔なんてない。

    昨日の朝、震災関連の記事を読んで、いろんなことを思いだし、涙の後で、
    理不尽の向こう側への行き方がすこし見えた気がしました。

    あえて雑文のまま、すみません。
    10年という時に向き合う機会を与えてくれて、ありがとう。
    洋さんに出会ったのもこの10年の大きな、素晴らしい出来事。

    そして「蘇る」感謝の集いのMY LIFE IS MY MESSAGEな皆様、このような機会をありがとうございます。
    当日は、画面のこっちで一緒に愉しませていただきます。

    リクエスト、ソウマネス。
    あまりにも、かなとは思いましたが、聞くたびに優しさが響いてくるのです。
    先日この曲を聞いていて、訳もなく母の声を聞きたくなって、実家に電話を掛けました。
    他愛のない会話、幸せなことですね。

  5. KUMIKO より:

    山口さん質問に答えて下さり有難うございました。
    何かに挑戦する事に遅すぎるということはないと思うのに。
    年齢制限ではねられるのはメンタルにきますね。

    長井市でいいヴァイブスを感じて
    自然豊かな環境や人の温かさに触れて
    ご縁が出来て良かったです。

    自分と相性が良い場所やきっと好きだと思える地域は
    直感が働くものですね。
    好きになる場所は導かれているのだと感じます。

  6. しょうへい より:

    この10年間、何があったのか?考えてみたけれどこれ言った事は何もなく、曖昧に漠然と生きてきただけのような。DVD楽しみです。買います!コロナ禍の一年を刻み込むために。49才、男、山口県。書き方ルール守らなくてすみません。お酒飲んで少し酔っぱらってます。

  7. かつらぎ より:

    サナギになって、冬越ししたナミアゲハ達が、ぷくぷくしはじめ、きのうからの陽光をあび、春の空に羽ばたこうとしています。みなさまの魂が、おだやかに今日一日をすごすことができますように。ざわざわする私自身にも、いいきかせる朝。個人的つぶやき、ここに残すことを、おゆるしください。

  8. ふるけん より:

    1. ふるけん
    2. 51歳、男性、佐賀市
    3. 歌を紡ぐとき
    4. あれから10年、未だ帰宅できず、避難されている方がいらっしゃることをお見舞い申し上げます。
     あの時、マスメディアから得られる情報と山口さんや小出先生から得られる情報のギャップに驚くばかりでした。
     自分に何ができるか考え、職場の朝礼で幾度となく知りえた情報を発信したり、かえる新聞を回覧したりすることぐらいしか自分には出来ませんでした。この行動でどれだけの人の意識を動かせたかと言われれば、単に変わり者と思われただけにすぎないかもしれません。
     日がたつにつれ、このような行動も減っていき、現在に至っています。東北の皆さんには、申し訳ないと思っています。
     これを機会にまた、自分にもできることを考えてみたいと思います。

  9. 満天星 より:

    1. 満天星
    2. 山梨県 50代
    3. 夢に取り組んでみよう
    4. この10年、迷いは増しながら、いつも同じところで足踏みしている、そんな感じがします。
    ずっと前、連れ合いが東京にひとりで住んでいたとき、福島浜通りに暮らしていた母親が訪ねてきて、夜なのに煌々と明るいのを眺め、「これじゃあ原発がいるわけだ」とつぶやいていたと聞きました。電気を消費しながら原発のことを知ろうとせずにすませてきた自分に無性に腹が立ちました。
    でもそれからも変えるために何かできたわけではなく、したことといったら東電から再生エネルギー中心の新電力に変えたくらい。原発事故もCovid 19対応でも次から次と続く理不尽に鬱々としているのに、自分にたがをはめてしまって動けずにいます。
    だからこそ、かな、山口さんの音楽や誠実さから力をもらっています。「夢に取り組んでみよう」清志郎さんの「誰かがそばに居なけりゃこの夢が可愛そうだよ」と同じくらい好きなフレーズ、転調がぐっときます。

  10. M I N より:

    何を、どう伝えるのか、とても悩みました。書くことが読んでくださる方に何かを伝えれるのか、明後日の山形でのライブ楽しみにしています。
    「甦る」という日本酒、そして、山形の皆様の優しさ、お酒を造られた人たち、山形の自然、それらが、すべて、亡くなられた方々への弔いであると思います。
    この日を忘れない
    そして、生きている私たちは、命を無駄にせず、良い方へ生きていくしかない
    すみません、こんなコメントで。
    素敵な出会いに感謝します。ありがとうございます。

  11. ハマノ より:

    1. ハマノ
    2. 46、男、うどん県
    3. 明日のために靴を磨こう
    4.震災から10年、これを書くのに3日間かかりました。
    たぶん、他の皆さんも非常に強い気力が必要だったと思われます。

    あの日、働いている商店街内にめったにならない臨時放送。「大きな地震がありました」と。
    遠く離れた四国では全く揺れも感じず、深刻さは帰宅してからテレビの映像で知りました。知人、友人などの安否を確認するだけで数日かかったことを覚えています。
    すぐにできることといったら、募金をしたり、救援物資を送る活動の手伝い、そして電気をなるべく使わないこと。

    3年、5年と月日が流れ、メディアをはじめ周囲も3月11日に近くならないと、話題にもあがらなくなり。まちなかの募金活動も皆無に近い状態となりました。
    被災された地域や人々への想いも自分の中でかすんできたころ、熊本の震災。

    山口さんの活動、そしてmy life is my messageの活動。
    「忘れていいことと、そうでないこと」
    MY LIFE IS MY MESSAGE LIVE 2017 の中にあったこの言葉が私の心に強くささりました。被災されている人達の大変さ、そしてMLIMMの活動のことをもっと多くの人々に知ってもらえるよう自分にできることができないだろうか?
    仕事で使う材料を使用してキーカバーを作り、それの収益金を寄付してきました。
    『帰る家、帰りたい場所、行きたい所、カバーを付けたカギそれを使用するたびに思いだして欲しい、忘れないで!』という想いを込めて。

    店頭や、ネット、山口さんのライブなどでたくさんの方に愛をいただいています。
    自分でもそれを作り続け、使うことで心を繋ぎとめていたように思います。
    そんな中での コ。
    色んな不安の中で、魂を救ってもらったのが山口さんの音楽でした。
    生きていく為には音楽は必要なんだとあらためて感じている日々。
    インスタライブ、そしてそれに参加されている皆さんのコメントに感謝です!
    本当にありがとうございます。
    まだまだ、被災地の復興やコロナの収束まで時間がかかりますが、なんとかみなさんで乗り切りましょう。
    これからも、少しでもできることを続けていきます。

    『明日のために靴を磨こう』、みんなに来る明日のためにリクエストします。

  12. crowd より:

    1. さくらい
    2. 52歳、男性、神奈川
    3. Heavenly
    4. 10年前TVで見た映像に大変な衝撃を受け、何か出来ないかなと思うだけで、何となく他人事のように10年経ってしまいました。なにもしてないなという自分への嫌悪感が湧いてきても、すぐに失念してしまうようで情けない限りです。
    コロナが落ち着いたら、東北にお邪魔したいと思っています。10年何をしたのかな?と考えるきっかけになりました。次はこれをした。あれができた。という10年にできればと考えています。

  13. かつらぎ より:

    書くと嘘みたいな話。
    今、ちょうど、空に一羽羽ばたきました。午前中、生まれたナミアゲハ。

  14. 風にハモ太郎 より:

    1.カサマツ
    2.男性、54年もの、神奈川県
    3.Ballad Of Mott the Hoople(山口洋さん訳詞ver)
    4.皆さんのメッセージ、ライブ会場で読まれなくとも、しかと受け止めております。
    こういうチャンスを作ってくれた山口さんに感謝。そして「行動」。この10年この日
    を境に・・・私は・・・「行動」なんてことは何もしていません・・・。

    結婚前、子供を授かる前、東北各地にはよく旅行していました。
    HWの「陽はまた昇る」をカーステで鳴らし、仙台山形角館盛岡と「北上」した
    夏の日の友人との旅行もまた懐かしいです。

    仕事上、福島県にはよく訪れました。見ず知らずのアポなし営業マンにお茶をだしてくれたのは福島市さん。商店街の靴屋さんの娘さんが営むパン屋さんは丹波篠山へ
    生活を移すと言って最後おまけをしてくれた。いわき市の地元商社の専務は「また余震がくっから、事務所そのままだー。あがってけー」と元気に迎えてくれた。東北新幹線で福島から1分で寝落ちし、終点でお掃除の人に起こされる位飲ましてくれたのは、鉄工所の社長さん。東北の各地から有形無形「もらって」ばかりな日々でした。

    白状しますと、「MLMM」には、少し距離をおいてました。特設ブログも実は初めて
    拝見した位。海よりも深く山よりも高く反省しています。応援」とか、何か、自分に合わない感じだったのか、あまり自分を問い詰める事はしないようにします(笑)。
    Tさんのモニタリングポスト、密やかなパワーをもらいました。
    頭が下がります。これこそがメッセージだと思います。

    95年の阪神淡路大震災では祖父母の家が全壊しました。
    隣家の1人暮らしのおばあさんが震災5日後に救助されました。大自然災害で、嫁姑の仲が戻ると周囲は思いきや、彼女は震災後も1人暮らしを選択。
    人間の「業(ごう)」を強く感じました。
    ある神戸在住の文筆家さんがインフラままならぬ状況下で、「もっともどうでもいい」事に懸命になり、”こんな事位で私のいい加減な日常が奪われてたまるか”と書いているエッセイがあります。震災から10年後に書かれた本です。
    俺も、自分に正直になろうと思います。

    コロコロの様子を伺いつつ、
    春には、福島の安達太良「おっぱい」山を訪問する予定です。
    リクエストした曲は、「ロックンロールは敗者の為のゲームじゃない」(違ってたらすみません。)って部分がすごく響くので。男泣き(女のひとも含む)したい曲。
    今日、山形から純米吟醸酒「甦る」到着しました。
    ライブ当日楽しみにしています。

  15. Chano より:

    1. Chano 丸若屋本舗
    2. 30代 いわき市
    3. 明日のために靴を磨こう
    4.
    「10年経ったから」「3月11日だから」と注目されることに違和感を覚えるくらい、それは日々のことです。
    どんな時もひたむきに淡々と向き合ってきているからの今があるのだと感じてます。
    ただ、10年経っただけ。
    そうして生きてきた仲間たちが、このコロナ禍でも逞しいと感じることが多いのは、この10年間をみんなが淡々と歩き続けることをやめなかったからなのだと思います。

    夫が浪江にあった頃から大好きな鈴木酒造さんには、5年前の5月に2人で長井へ足を運んだ際に、蔵見学をさせていただきました。
    当日飛び込みだったにも関わらず、とても丁寧に長井の町のこと、水のこと、浪江のこと、米作りのことなど教えてくださいました。
    麹室の香りが素晴らしかったこと、お酒と長井や浜通りの食べ物のお話や、楽しみ方を教えていただいたことをよく覚えています。
    鈴木さんの想いに触れ、感動して、2人で長井の町を歩きました。

    山口洋さんに私が主催するイベントに出ていただいた時、イメージにぴったりだと「土耕ん壌」を提供しました。
    まさか、今回こんなふうに繋がるとは。
    夫婦で勝手に喜んでおります。

    きっと10年前の3月11日がなかったら、知ることのなかった哀しみや怒りもありますが、出会うことができなかったであろう喜びも沢山あります。
    今を生きる子供たちや、これから生まれてくる命が、当たり前のように夢を描けるような未来を、願っています。

  16. 村田 孝 より:

    1. 村田 孝
    2. 55歳、男性、山形県
    3. Sweet Revolution
    4. 原発事故の不安から山形県長井市に避難移住しました。被災者の歌はあっても、自主避難者の歌はないと思っていた時、「冬の朝」に出会いました。”何も起こらない日々よりはるかに豊かな時を生きているとそれぞれに言い聞かせている”という描写が刺さりました。リアルに何度も自分にそう言い聞かせている自分がいたからです。Song of Experienceが好きで勇気づけられ、そのお礼が言いたくて昨年夏突然あのような形でお邪魔しました。
    明日からよろしくお願いいたします。
                          All my relation 村田孝

  17. さちえ より:

    1.さちえ
    2.だいたい44歳、女性、仙台のちょっと北
    3.新しい風
    4.まだ10年、もう10年、いつの間にか10年
    震災で職場を失い、転職に次ぐ転職。
    しかしそれも今に繋がる結果となり、全て成るように成ったのかな?とやっと思えてきました。

    (書いては消し、消しては書いて、そうやっているうちに締め切りの時間が過ぎてしまった…。)

    毎日同じ日がないように、同じ10年を過ごしても感じる日々は人それぞれだったでしょう。

    リクエストは『新しい風』

    風の匂いで、季節変わった事に気付かされます。
    新しい季節は風が運んできてくれる、
    明日の方から新しい風が吹いてくる。
    いつか自分が死んでも、
    自分の明日はなくても誰かの明日は必ずやってくるし、
    その度に新しい風が吹くのかな。
    この先10年も、きっとそうあるように。
    ついでに コ の換気も兼ねて!(笑)。
    みんなにいい風が吹きますように。

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