8月24日 土曜日 晴れ
ボーボアールによると、あるイヌイットにはかつてこのような慣習があった、と。
自分の老いが共同体によって、重荷だと感じたなら、仲間に懺悔をしたあと、カヌーに乗って二度と戻らぬ旅に出る。カヌーにも乗れない老人は海に投げ込んでくれと、子供に頼む。彼らを育んだ海の藻屑になることが他界に渡る最短の道だから。
あるとき、子供たちはそれを実行したが、衣服の浮力で浮かんでしまった。そのとき、父を愛していた娘がこう言った。
「お父さん、頭を水に突っ込むの。そしたら道がもっと近くなるから」、と。
自主的な楢山節考。感動的。近代社会に老人の居場所は少ない。自然死以外に老人が死ぬことは許されない。
でも、どうなんだろう。自然に近い環境で暮らしていると身近に宇宙と自身の矮小さも感じる。何度も書くけど、内包する宇宙と本物の宇宙の境がわからなくなることがある。それは他界なんだけど、たぶん同じ。
その感覚をいつも忘れずにいたいから、こんな生活をしてるんだと思う。
広島からともだち夫婦がやってきた。農業を生業にしている。そんな日に函館から旧知の浜ちゃんのすんごい野菜が届いた。蒸して、そして生でいただいた。団体に属せず、一次産業に生きる人たちはマジ、リスペクト。意志は強いけれど、どこかに謙虚さがある。自然には抗いようがないから。
食にまつわる円環。それもまた宇宙。僕らはいつだって、食べたものでできている。
はい。謙虚さと共に感謝の気持ちを忘れずにいたいと思っています。洋さん、今日も素敵なブログ、ありがとうございます。
多様性を良しとしたご時世。何とも息苦しさを感じる。
それは最近の音楽にも感じたり‥‥
佐野元春さんのYoungbloods2024を最近聴いた。シンプルイズベストす!