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記憶

4月17日 月曜日 雨 「本当に大切なものは、何ひとつなくなりやしないさ」。最近、書いた歌のなかで、そう歌って、少しだけ救われた。それは僕の実感。多分、同じことをカズオ・イシグロは「記憶は死に対する部分的な勝利だ」と云った。 そうか、記憶か。僕は大切なものは空の中に、あるいは光の道の中にあると思っている。それもまた、僕の実感。海沿いを走りながら、それらの魂と一日に一度は会話を交わす。決して一方的なものだとは思えない。そして記憶は勝手に、自分の都合のいいようにすり替えていく。それは自分が癒えていくためのプロセスで、自己防衛反応かもしれないし、過去の捏造ではなく、創造だと思うこともある。 僕の記憶は「鏡に映った鏡」、あるいは「物語の中に描かれた物語」のようになっていて、もはやどこまでが真実で、どこからが作られたものなのか、分からなくなることもある。何にせよ、仕方ないのだ。 話は変わるけど、キンクスの「ウォータールー・サンセット」が高校生の頃から大好きで、後にウォータールーまで行ってみたことがある。地下鉄を降りて、びっくり。何の変哲もないにも程がある、ただ殺風景な街だった。だからこそあんな素晴らしい曲が書けたんだろう。僕の記憶の中では、夕暮れのウォータルーの裏路地に赤い可憐な花が一輪だけ咲いていたことになっているが、それが本当だったのかどうか、もはや確かめようがない。

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