日別アーカイブ: 2012年3月2日

覚悟

3月2日 金曜日 雨 長かった。 何がって、今年に入ってから、ずっと悩んでいた。被災地から毎日のようにもたらされる現実、そしてこの国にはびこっている楽観的な無関心。その狭間の中で、出来ることを全力でやってはいたが、intoしすぎて客観性を失ってしまっていたのだろう。自分たちが取り組んでいることが果たして正しいのかどうか、それを疑うに至っては、僕は国外に逃亡するしか道はなかった。でも、僕はまだ逃亡できる立場に居る。だから、本格的に追いつめられてはいない。ただし、あのまま留まっていたら、確実に頭をヤラれていただろう、とは思う。 甚だ不器用だとは思うけれど、僕は全力で向かっていって、壁に当たって、悩んで突破しなければ次には進めない。納得できないことを無理にやったり、まぁこの位でいいんじゃないですか、みたいな感じで生きていると、すぐに壊れる。そんな意味では、とても弱い。情けないけど。 どうしても分からなかったことは、自分たちの暮らす国がとんでもないことになっていて、今この瞬間に苦しんでいる人がたくさん居るのに、どうしてそれが他人事のように、もはやなかったことのように思えるのかってことだった。次第に僕は街に出るのも、人に会うのも億劫になってきた。だから、誰も居ない異国の崖に行って、滑った。考えないことによって、本能で考えた。その瞬間だけは生きている実感が取り戻せた。 誰かを変えようとすることが不遜であることくらい分かっていた。それで何度も失敗してきたし。でも、心の何処かでうっすらと他人に「期待」はしていたんだと思う。 今日、尊敬するある人と話していて、はっきりと見えた。まるで、霧がとつぜん晴れていくみたいに。自分の本能が「NO」だと叫んでいることを、僕は「YES」だとは云えない。同じように、自分が正しいと思っていることは、例え周りに人が居なくなったとしても、それを曲げることは出来ない。これは生き方、そして信念の問題。それは僕が人間として、一番大切な部分。彼の口癖を借りるなら、「自分の心が何処を向いているのか」、それだけだ。 世界と向き合うほどに人は孤独になっていく。それは心からの実感。どこまで行っても人は一人。ただし、独りではないけれど。やっていることが正しいのなら、ある意味で人が離れていく、無関心になっていくのは当然なのだと僕は気づいた。でなきゃ、こんな世の中になるわけがない。 覚悟を決めた。最後の一人になったとしても、正しいと思ったことを叫び続けられるかどうか。金でも名誉でも私利私欲でも、何でもなく。一人の人間として。僕の頭の中にあることは、「思いやりのある社会にしたい」ただ、それだけだ。それが間違っているとはどうしても思えない。 去る者は追わない。 ウザいと感じるのなら、嫌ってくれて構わない。ただ、何かが響いたのなら、それぞれが新しい風になって欲しい。僕はそう願っています。3/12はそんな気持ちでステージに上がり、未来の風景を中空に描きます。 祈ったり、願ったり、待っていても、あまり意味がないことを学びました。大人がやるべきこととは、創造力を駆使して、結果を出すことです。 追伸 ここまで書いたところで、尊敬するシンガーから連絡があり、とつぜん3/12に参加したいと。何だかなぁ、人生って不思議だなぁ。とっても力をもらいました。もし、決まったらアナウンスします。

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