日別アーカイブ: 2012年3月4日

起立する魂、Paul Brady

3月4日 日曜日 雨 20年くらい前。アイルランドはドニゴール。僕が愛する小さな街で、彼の歌う「the homes of Donegal」聞きたさに、そのCDを手に入れた。その時も、彼と僕は同業者だったが、僕は単なるファンに過ぎなかった。まさか、その歌を一緒に演奏する日が来るなんてね。 誤解のないように書けば、震災からのいろんな事は「激しく」僕を鍛えた。以前だったら、彼から突然「赤紙(表現が悪かったらすいません)」が来たら、歓びながらもびびっていたと思う。あまりに偉大なミュージシャンだから。でも、今は違う。僕は僕であって、以上でも以下でもない。人生は一度きり。彼も人間、僕もニンゲン。その瞬間に賭けている姿で、何かが伝えられるのなら、喜んで馳せ参じる。第一義的に音楽は金ではない。はじかれた弦の音が減衰しながら消えていく。その美しさとはかなさを、彼なら知っていると思うから。 驚くべきことに(写真参照)、ステージには大まかに云ってマイクが一本のみ。その下に付けられた二本のAKG414はあくまでもサポート用のもの。歌もギターも、共演者である僕の声もギターもすべてそれ一本でまかなうことになる。ギミックなし。PAエンジニアも、演奏者も、力量がなければ、到底不可能なセッティング。まるで落語の世界。寄席に行ったことのある人は知ってると思うけど、総じて音は小さい。だから、観客は集中して聞くことになる。人の耳は素晴らしく良く出来ている。足りない成分は補うのだ。 振り返ってみれば、音楽はそもそもそのように演奏されてきた。PAはどうしても聞こえない音を増幅するために開発されたものだ。けれど、いつの間にかそれは人を威嚇するための装置になった。引き算ではなく、足し算が音楽の形になった。僕もそのことに辟易としていた。そして今や、ライヴでさえ、多くのミュージシャンがイヤーモニターを装着する。確かにモニターするのは楽だし、表音のコントロールも容易だ。けれど、本来音楽は魂の震えが空気に伝染していくものだ。人の魂そのものが空気を震わせなければ、それは音楽ではない。ポールは懐古趣味ではなく、進化の果てに64歳にして、そのシンプル極まりないシステムを作り上げた。天晴としか云いようがない。 かくいう僕らも、ロックバンドとしては、ステージ上の音は小さい。コロガシと呼ばれるモニターから返ってくる音が大嫌いだ。けれど、ポールのそれはステージ上では生音だけなのだ。さすがに僕も心配だった。ところが、いざステージに立ってみると、彼のエナジー、ダイナミクス、息吹、テンション、ピッチ、エトセトラ。すべてが聞き取れた。そのスポンテニアスな演奏に、瞬時に反応できることに驚いた。僕は彼の魂が起立しているのを真横で観た。「おおっ」と思った瞬間に、僕も何かを送り返している。考えることなく、感じているだけ。大げさに言い換えるなら、信じるって言葉の本当の意味とでも云うか。音楽をやっていて良かった、と心底思った。 彼は64歳。信じられない。認められて有名になった今も、音は抗い、尖っていた。聞けば、未だにFEARがあるのだと。ほんとかよ?彼の年齢に到達するまで僕はあと16年あるけれど、確かな力を与えてくれた。バックステージに響きまくっていた彼の魂は「俺の後をついてくるな」と云っているように僕には聞こえた。それは励まし以外のなにものでもない。ポール、ほんとうにありがとう。 追伸 彼を支えたスタッフ、手に汗を握りながら、最善の仕事をしたハコのスタッフに最大の敬意を。いつの時代も大切なものは「愛」だと教えてくれました。感謝MAX。

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