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HEATWAVE OFFICIAL BOOTLEG SERIES #008 / 2021122640 Years in a BLINK HEATWAVE
“Unknown Pleasures” HEATWAVE
2022.3.18 Release
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2019.11 ReleaseOfficial Bootleg #007 “THE FIRST TRINITY” 181222 HEATWAVE
2019.5. Release日本のあちこちにYOUR SONGSを届けにいく 2018 山口洋
2019.3.25 Release『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #006 19940524』 HEATWAVE
2018.12.19 Release『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #005 171222』 HEATWAVE
2018.5.19 Release『Your Songs』 HEATWAVE
2017.12.26 Release『Carpe Diem』 HEATWAVE
2017.5.17 Release『OFFICIAL BOOTLEG #004 151226』 HEATWAVE
2016.12 Release
HWNR-012 ¥2,500(税込)『OFFICIAL BOOTLEG #003』 HEATWAVE
2015.5 Release
HWNR-010 ¥2,500(税込)DON'T LOOK BACK.
山口 洋 全詩集 1987-2013 B6サイズ 272P 特製栞付き ¥2,800THE ROCK'N ROLL DIARY, 2011 3.11〜 陽はまた昇る B6サイズ 176P ¥3,000SPEECHLESS Yamaguchi Hiroshi / Hosomi Sakana
2011.2.9 Release
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日別アーカイブ: 2012年10月10日
大人の責任
10月10日 水曜日 晴れ 過日、青森からの帰り。何故か相馬市ではなく、福島県郡山市のホテルの会議室にて、大人たちが集まってケンケンガクガクと、12月に相馬で催す子供たちとのイベントの打ち合わせをした。 離れた地域のたくさんの人間が関わっていると、ときどき「何のためにやっているのか」という根本に立ち返らなければならなくなる。そして他人の意見は尊重しなければ。ただし、尊重しすぎるとフォーカスがだんだんボケてくる。だから、全員で会える貴重な機会に、根本に戻る。 例えば、僕らは深く考えて。 9月のツアーで相馬の子供たちの表情をメインにパンフレットを作った。確かに、言葉を使って「明確」なヴィジョンを示さなかった。いや、示せなかったと表現する方が正しいか。でも、僕らはここで起きていることについて、出来うる最大の表現をした。むろん、すべてが正しいと云う気はない。僕らとて、明確な答なんか持ち合わせていない。でも、受け取った人たちに考えて欲しかったのだ。だから、余白を残す表現にした。それに対して、「あなたたちは何を目指しているのか、さっぱり分からない」と意見が寄せられる。 僕は云いたい。あなたは自分の頭で考えてくれたのか?と。 場所の言及は避けるが、年間被曝量が1ミリシーベルトを遥かに超える地域の学校に通っている子供たちが居る。僕はこの目で観たのだ。会ったのだ。話したのだ。どう考えても、イカれてる。福島の子供たちの甲状腺が今、どのような状態になっているのか、それに対してどのような対策が取られているのか。知りたい人は自分で調べてくれ。その事に意味がある。 何年かして、子供たちに何かが起きたとき。むろん、そんな事が起きないことを願うが、国や電力会社が責任を取るとは到底思えない。仮に責任を取ったとしても、取りようのない、取り返しがつかないことが起きるかもしれないのに。果たしてこのままでいいのだろうか?いい訳がない。 街の人が語るように、センシティヴな人はもう逃げてしまった。あるいは逃げても新しい生活に馴染めず、戻ってきた。今、居住しているのは思考停止した人、せざるを得ない人、自ら決断してリスクを承知で残っている人、あるいは逃げたくても逃げられない人。 僕は思う。ある日とつぜん、とんでもないものが空から降ってきた。いったい、誰の責任なのか。少なくとも居住していた人たちにとって、自らが選挙で選んだ一部の政治家たちが、この巨大な悪に絡んでいるという以外に彼らには何の責任もないはずだ。 たとえば、僕があなたの家の庭に汚物をまき散らしたなら、確実に逮捕されるだろう。でも、これだけ広大な地域にダメージを与えておきながら、誰ひとり責任を取ってはいない。大人が責任を取らずして、子供たちに希望を持て、なんてことは云えない。せめて「避難する権利」と微妙な線量の地域には「留まる権利」を与えて、生きていくモチベーションを奪わないように、国策で全面的にサポートするしかない。それをただ期待するのではなく、国の舵取りを変える方法をひとりひとりが考えるしかない。 話を戻す。 僕らにいったい何が出来るのか?子供たちが危険な場所に住んで欲しいと思っている訳がない。大人はまだしも、子供に選択する力はない。復興予算は19兆ある。不可能ではない。使われるべきところに的確に使われているとは云い難い。そして、子供たちが何処かに移住したとしても、その街には未来がなくなる。かくも、目眩がするような問題なのだ。 僕らがパンフレットに文字を記さなかった理由。そこに住んでいる子供や、親を無駄に傷つけることは出来ないからだ。そんなことには何の意味もない。そして、僕が観る限り、ある種の権限を持つ人たち。言い換えるなら、自分の守備範囲でエラーをしないことに集中している人たちは、殆どがびっくりするくらい善人だ。ただし、びっくりするくらいに危機感が欠如している。それが話を余計にややこしくする。 ツアーを終えて、この文章を書くまでにひとつき近くかかった。申し訳なく思う。僕の心にこみ上げていたのは、こういう感情だった。ほんとうに悔しい。 僕らは話しあった。せめて大人が難題を前に、全力で生きる姿勢を見せよう。関わっている人たちはもはや疲れている。でも、諦めることなく、本物の情熱を伝えよう。それをイベントの主眼にして、自分の未来は自分の力でつかみ取るものだってことを伝えよう、と。かつて、僕がギターに出会った日のことのように。