日別アーカイブ: 2013年2月21日

KEVIN AYERS

2月21日 木曜日 晴れ 夜中に、KEVIN AYERSの訃報を聞いて、落ち込んだ。 どうして、そんなに彼の音楽が好きだったのか、今となっては良く思い出せないけれど、とにかく、高校生の時分から好きだった。ダルくて、やるせないところが特に。闘わず、すぐにエスケイプするところも特に。でもって、人生で最初で最後のサインをもらったのは彼で、初めて外国のミュージシャンと話したのも彼だ。 多分1986年くらい。僕はまだ大学生だったような。福岡で僕はラジオをやっていて、来日したKEVIN AYERSにダメ元でオファーを出したら、ほんとうに来てくれた。しかも、名ギタリストのオリー・ハルソールを伴って。 僕は今よりも英語が下手(それはほとんど会話できないってことだ)で、憧れてる外人のミュージシャンに会うのも初めてだった。きっと、つまらないことをたくさん聞いたと思う。KEVIN AYERSはダルそうに応えてくれたのを覚えてる。そして、サインをねだるという致命的なミスを犯し、その行為が僕と彼を一瞬にして隔てた。僕は何も知らない、田舎の、ただ尖っているだけの青年だったんだと思う。良く相手にしてくれたなぁ、と。恥ずかしい。 彼は南仏に独りで住んでいた。病気ではなかったが、亡くなっていたところを近所の人に発見された。枕元には「燃えていないと、輝くことはできない」という極めて「らしくない」メモがあった、と。 先日、福島の人々との交流会のようなことがあって、僕もでかけた。むろん、相変わらず難問は山積しているが、それでも人々は恋をし、引っ越し、新しい場所に可能性を探り、エトセトラ。まったく前進していない訳ではなかった。僕がガッツで引っ張るって時期は終わったのだ。そんな意味では、僕自身が同じ場所で足踏みしている現実に、びっくりした。いつも人のことばかり先に考えて、自分の足下なんて、まったく観ていなかった。孤独死なんてことも、現実としてあり得るのだ、僕の場合。でもまぁ、そんなことにビビって、生き方を変えたりはしないけどね。 KEVIN AYERSが「燃えていないと、輝くことはできない」というメモを遺して死んだことは僕にとってはひどく重い。でも、そのほんとうの意味が分からない以上、僕は生きながら、考えるしかないのだった。人は生きたようにしか死ねない。R.I.P。 追伸 コロラドのネコが僕の帰りをずっと待っているのだと。罪なこと、したかなぁ? 僕はこの曲が一番好き。

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