日別アーカイブ: 2015年4月8日

怪我の巧名、過酷な局面、そして一年

4月8日 水曜日 雨 京都から病院に直行。酷使した手のケアと、ライヴをちゃんとやれたことの感謝を伝えに。「怪我の巧名」とはよく云ったもので、できないことを補うために、新しい引き出しが自然に作られる。どのような弾き方をしているのか自分でも興味があったので、映像でチェックしたら、かつて見た事のない奏法を既に発明していた。びっくり。 リハビリはスーパー過酷な局面に入った。伸びしろは時間とともに減ってくる。元に戻るという発想は元から僕にはなくて、どうせやるなら、新しい可能性にたどり着きたい。だから、諦めないけど、伸びないし、痛いし。笑。ドクターにも、ここからは痛みに耐えるしかない、と云われ。ならば毎日痛みを味わい尽くすことにした。痛みには種類があってね。ヤバイものとヤバくないもの、そしてピリピリしたもの、エトセトラ。ヤバいものを味わうことなしに、反対側に抜けることはできない。悶絶の向こうに、明日があるんだね。 療法士さんが全力で負荷をかけてくれてるとき「うーん、目が覚める痛みだなぁ」とか、どうにかしてベクトルを変換する。笑。思わず声が出たら、アドリブで節を考える、とか。悶絶にも種類があるのよ。いてーーーーーーーーーーーーーっ。 ぜんぜん話は変わるけど。 太陽の塔はこの45年の間に、我々が何を得て、何を失い、何をたいせつにしなければならないのか。それを教えてくれたよ。他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい。僕はそれができる人間で居たいす。あと、桁外れの情熱ね。   アイルランドのお母さんが召されて一年。実の母親をちゃんと紹介しといて良かった。今頃、素晴らしい息子について語り合ってるに違いない。笑。    

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