日別アーカイブ: 2021年9月30日

完治

9月30日 木曜日 曇り 大病院での眼科の検診日でした。失明も覚悟したけど、この病院の眼科チームの真摯な仕事で救われたってわけです。ほんとに素晴らしくて、感謝しています。これからは地元の病院に戻って定期的に検診を受けることになります。今回は選ぶよ!同じ失敗をしないためにも。 読者はわかってくれてると思うけど、僕のプライバシーを吐露したいわけではないのです。アウトローとして、自由を目指して生きるものとして、しょっちゅうやらかす失敗を役立ててほしいと思っています。 視力が戻ったとしても後遺症は覚悟の上でした。実際、そう言われていたし。どこまで戻るかは未知数で個人差がある、と。未だ違和感はあるんだけど、処方してくれたメガネのおかげで、矯正視力は0.7まで復活(アンビリーバブル!裸眼はほとんど見えてないのに)、いちばんキツかった歪みもほぼなくなり(これが一番嬉しい)、ぜったい残ると言われた飛蚊症的なものもほぼクリア。奇跡的によくなってると思います。夕方あたりの運転とコンピューター作業がキツいくらいで、ほぼ普通の生活ができています。 オレの目のために奔走してくれた友人たち、アドヴァイスをくれたドクターのともだち、医療スタッフ以外に、彼らにも随分助けてもらったっす。 「数字は美しい」といったのは数学者だったオレの親父ですが、確かにその通りで、データの蓄積はとても重要。以来、血圧計を買って、体重計のデータもすべて記録してると「数字は美しく裏切らない」ってことが見えてくる。いいライヴをやるためにはもはや必要不可欠。データのおかげでバカみたいに飲まなくなったし。如実に次の日の数値が悪化するのですよ。笑っちゃうくらい。こんなに負荷をかけてたのかってことがわかると、ほどほどに愉しもうと思うようになる。 あと、そうだなぁ。運は使っちゃったかな。それは天からの褒美。私欲のためではなく激務に耐えてたことに対する褒美だと思ってます。いや、ほんとうに。これも感謝。自分の限りある生命をどこにフォーカスして使うかってのはとっても大事なことだと思うのです。 数ヶ月前に誰かさんに「お金に汚い」的なことを言われて。それはものすごく衝撃的なことだったのですよ。ほんとにカネだけはクリーンに、自分のことは最後にして、きちんと分配する。できるだけ仕事の前に払う。「それだけは」誇りをもってやってきたにも関わらず、そんな発言をされると、やる気の風船がしぼんでしまう。 でも、バカなんだと思うけど、それもまた鍛えられてるんだなぁ、思うわけです。どこまでも自分を貫かなければ。 そんなこんなな「完治」でした。コケでもタダで起きなければいいと思うのです。網膜剥離の理由は実はわかってるのです。実質的な衝撃、ストレスの蓄積。ならば、老いていく身体とともに、どうリスクを受け止め分散するか、そういうことを考えています。 ベストの体重まであと3キロになりました。そこに到達したら、一生そのままでいるつもりです。笑 蛇足だけど。 僕の洋服を作ってくれてるテイラーの友人がいて、完璧に身体を20年くらい前かな、採寸されてるわけです。身体に完璧にフィットした洋服。だから、袖を通しただけで自分の体調とか不摂生がわかるのです。彼のプロフェッショナルな仕事の前で、あ、体型ダメになったんで、採寸してって、言いたくないのですよ。意地で維持するのも悪くないよ。身体ってSMLの世界じゃないからね。 またその話はいずれ。彼の洋服を着ると背筋が伸びます。靴もまたしかり。職人が好きなんです。 それとNYから「なんとなく、明日明後日はバイクに乗らない方がいいと思う」って。不思議なんだけど、オレもそう思ったから乗らなかった。乗らなきゃなにも起こらないわけでさ。たいせつな人の葬儀のあとでね。根拠はないけど、そういうのも確実にあるね。                

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