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生き抜こう 

7月16日 土曜日 雨   SNSと違って、流れてくるものではなく、自らの意思でこのblogを読んでくれている人たちがいるわけだから、できるだけネガティヴなものを流布しないように日々書いている。  でも、この気持ち悪さはもはや筆を置くべきときなのかも、とも思ったりもする。自分で処理しきれない気持ち悪さが文章に滲み出る。仕方がないことだと思いつつも、逡巡する。  自分のアンテナが時代の事象を捉えるのは仕方がないことで、その感度が鈍るってことは表現者としては失格で、塩梅がものすごく難しい。  どんな気がする?この時代に正気を保つのは。  ディランの力を借りて、この歌詞を書いたのは27年も前のこと。その時より、より複雑になった気持ち悪さ。逃亡して知らないフリをするってのもひとつの方法。でも、それは違うってことは福島から学んだ。  ふたつだけいい方法を見つけた。だから前向きにお伝えしておくね。  ひとつ。海外のこころあるラジオ局を聴くこと。これはね、あなたに合った局が必ずある。僕が好きな局は世界中のリスナーからのサポートで成り立っている。だから、宣伝がない。バイアスがかからないってこと。電通とか博報堂とか(言っちゃった!笑)ああいうハイエナが介在する余地がないってこと。  とってもいいよ。音楽を通じて繋がってるって「勝手な連帯感」。寄付すると「サンキュー」って返ってくるのもいい。24時間、世界の片隅からゴキゲンな音楽を流し続けてくれてることに感謝しかない。クソみたいな著作権管理団体(JASRACみたいな団体のことだよ!)が一切関与できないのも気持ちいい。  もうひとつ。  100年単位で戦禍や、貧困をくぐり抜けてきた「民謡」を深く理解しようとすること。潜在的な強さと優しさがなければ、100年も歌が生き延びることはできない。  気持ち悪さで歌が書けないのなら、そこから学ぶことには多いに意味がある。実際、歌ってるとじわじわとその深さが伝わってくる。誰にでもわかるシンプルな言葉。そこに苦しみや喜びが見事に描かれてる。それが人々を励ますんだね。  この時代の労働歌を生み出すためには、とってもいいプロセスだと思うんだ。  敬愛するシンガーがオハコにしてるtradをベースに短編を描きませんか?ってオファーがあった。それってとっても面白そうだな、と思ったんだよ。それだけのキャパシティーがあるんだよね。歌の中に。  どんな時代でもブレない自分、ブレない音、ブレない歌。  そこを目指していたいと思う。  生き抜こう、御同輩。

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