3月9日 月曜日 晴れ
某国、標高3000メートルにある小さな空港で、巨大ハブ空港に向かう飛行機を待っています。今、ライアン・アダムスがフツーに流れていて、癒されます。こういうところ、芳醇だよなぁ。ふぅ。
こうやって、山から切り離された途端、ロビーでパソコンを開き、wifiをキャッチして、モーレツに都会とやり取りしつつ、仕事をしている自分ってほんとうに何なのだろうと、巨大な疑問がムクムクと湧いております。TwitterにFACEBOOK、LINEに、メールに、直電話に、あと何だっけ?無理す。繋がりたくないす。何とかPCのメールと電話だけで、逃げ切ります。blogはアクセスしてくれた人が能動的に観てくれてるってところに救われてます。ただし、個人的にLIFEはミステリアスな方がいいと思うので、固有名詞や事実を特定するようなことは書きません。僕のプライベートを吐露したい訳ではないので。偉そうなことは書けないけれど、このおかしな時代に、既存ではない生き方をする人体実験の結果をみて、それぞれのLIFEに生かしてもらえれば、ってのが本心です。あとは、メディアに載らないから音楽活動の宣伝ね。
結論は出ていませんが、これからのLIFEをどう生きるか、深く考えさせられた日々でした。僕は自分に正直でありたいし、やりたくないことの一切をやるつもりはないし、とはいいつつ世界の役に立ちたい。(ややこしい)たぶん、新しい生き方を発明するしかないのですね。もはや模索じゃダメっす。テクノロジーを利用させてもらいつつ、取捨選択して、不要なものはバッサリ斬る。みたいな感じかな。どーでもいい話だと、今回はっきりしたことはテレビは不要。(サッカー中継を除いて)少なくとも、オレには必要ない。直感を信じて、それを貫くってことすね。
英語は得意じゃないっす。日本人も居ません。山では単独行動。でもね、まったく寂しさなんて感じないんすね。僕が僕で居られるんです。僕のままでいい。山も人々もフツーにそれを受け入れてくれる。それが居心地いいです。
片手で、ギターにスノーボードにトランクにリュックを運ぶのはかなり芸当。でも、人間って何とかできるのが凄い。空港のカウンターへは、タクシードライバーにチップを多めに渡して手伝ってもらいました。何であれ、必要は発明の母。それを愉しんでます。じゃ、日本ではまずリハビリから始めます。
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おとなは、だれも、はじめは子供だった。 しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。by サン・テグジュペリ
さっき、ようやく満月の夕の特番見れました。テレビを肯定する気はさらさらないけど、今夜の沢山の震災番組は、遠く離れた傍観者の僕に、何かを伝えてきます。山口さんがどこで何をしていたか、ほんのわずかな欠片だけでも見れて嬉しかった。山口さんはもはや、傍観者でいる暇などないから脱テレビ、なのかなと思いました。