7月14日 火曜日 晴れ
元巨人軍の投手、高橋一三さんが亡くなった。巨人は嫌いだったけど、「ピン」とか「エモンカケ」と呼ばれていた高橋さんは大好きだった。今の投手にはない独特の個性と間があった。きっと親父の影響だと思う。R.I.P。
歴史に名を残したいだけ、あるいは祖父の遺恨を晴らすのが目的かもしれない首相が、強行採決をしようとしているとき、書いておきたいことがある。
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僕の父は満州、朝鮮からの引き揚げ者だ。祖父は日本人学校の校長。つまりは侵略した側。敗戦直後、立場は逆転し、命からがら38度線を越えて逃げ帰ってきた。その途中に妹は死んだ。彼は生涯かけて、戦争と権威的なものを憎んだ。とてもナイーブな人だった。
学問の世界だけは権威的ではないはずだ(大きな間違いだったのだけれど)と、彼は数学者になって、家族を養うため九州大学に職を得た。この大学は国立だからして、彼は学者という名の国家公務員になったわけだ。何てこった !
そして70年安保。僕は物心がついたばかりだったけれど、うちに遊びにくる赤いヘルメットをかぶった学生にも可愛がられていた。一緒に鳩時計を分解したりしてね。で、たとえば佐世保にエンタープライズが入港する。全国からヘルメットをかぶった学生が九州に押し寄せてくる。機動隊、放水、催涙弾、エトセトラ。行き場をなくした学生たちは大学の構内に逃げ込もうとする。そのとき、門を閉じるよう国から命じられたのが父だった。むろん、イデオロギーも心情的にも、父は学生の側。果たして、彼は断腸の想いで、門を閉めてしまった。アーメン。彼は自身の中で、権力の犬になってしまった。
この事実が彼を苦しめた。アルコールに走り、入退院を繰り返し、最後は車二台に轢かれて死んだ。弱くて、ナイーブだと云われれば、それまでの話。ただ、僕にとってはたった一人の父親だった。彼と僕を繋いでいたのは野球であり、音楽。それは今でも変わらないけどね。
あのとき、ヘルメットをかぶっていた連中の多くが、国の高度成長と合わせて、その後どんな生き方をしたのか僕は知っている。団塊の連中のその後の生き方が、今のこの国を作り出したことに、責任がないとは云わせない。
一方、父の無念はヘタレな僕を動かすには充分だった。その力をポジティヴなものに変えて、どこにも、何にも属さず、自分のやり方を貫くこと。たとえ、最後の一匹になったとしてもね。遺恨と云われれば、全否定はできない。でも、流れる血について、深く考察した挙げ句、自分が世界にどういう方法で、コミットするかってことではある。
僕はデモを否定しているのではない。誤解なきよう。意味がある。止められなかったとしても、当選ラインすれすれの自民党議員はある種の恐怖を覚えるだろう。
誰かの名声のために、戦争に突き進んでいい訳がない。結果を出さなければ、意味がないことも、残り時間もないことも分かっている。だから、じりじりと今日の道をすり減らすのだ。情熱を込めて。絶え間なく。
ネット中継で安保(戦争)法案の強行採決が与党単独で可決されるのを観て涙がこみ上げて仕方がなかった。
この国は何処へ向かっているのでしょうか・・・。
戦争反対と声高に叫んでも殆どの人には届いていません。
届いていたとしても諦めている様です。
本当にどうしたらいいのか・・・。
言葉になりません。
本当に、本当に、良い写真。
やっぱり似てますね。
二人とも、とてもいい笑顔の写真なのに
涙が出てしまいます。
阿部さんは小泉政権時の北朝鮮の拉致問題意外、政治的成果を何一つ残していません。だから、ここで偉大な祖父、岸信介に肩を並べ、歴史に名を残す絶好のチャンスだと考えているのでしょう。悲劇より愚かで滑稽な喜劇の方が悲惨ですね。
自分の親父も、自分が小学生の頃からアル中でした。中学一年のときに肝硬変で亡くなったのですが、一体、彼は何に怯えていたのか、今となっては知る術もありません。だから山口さんのオールドマンを聴いたとき、自分を歌ってくれた曲だと思い感情移入しまくりでした。アルコールのように揮発した親父と一杯やりたかったですね。
今回の「戦争法案」をめぐって、いろんな人が怒っている。それは、この法案をめぐる動向がいろんなひとたちの根本的なプライドを傷つけるからだと思う。
プライドを傷つけられた人たちが、腹の底から怒った声をあげれば、それは人に伝わる声になる。憲法学者の人たちをはじめ、学者の人たちの声が、これほど聞き取りやすくなっているのは、そういうことだろう。
今日の山口さんのブログは、この法案をめぐる騒動で傷つけられた「芸術家」(あえてこう言います!)の叫びだと思いました。すごく深いところからくる、静謐な怒り、そんなものを感じ取りました。「ああ、憤りってこうやって表現するもんなんだ」と思いました。
私も、今の状況への怒りを、自分なりに表現したいと、切に思いました。
世界が良くなることを祈って、山口さんは、この文章を書いてくれたんだと感じました。書き記すことに沢山の痛みも伴ったと思います。
(勝手にですが)確かに、いただいた愛情とパワー、世界に投げ返していきたいです。
ありがとうございます!
お父様のように、自分の中に恥のなんたるかをしっかり持っていた人こそ、長く生きて欲しかったですね。
お父様のお話とお写真を拝見して、涙が出ます。
昨夜は国会前に行ってきました。
SEALDsの若者達に希望を感じました。
とりとめなくて、すみません。
うちの父も満州からの引き揚げ者、祖父は特高でした。
国は亡びる、軍隊は民衆を守らない、を実感した父は
地上の権威を信じることを止め、牧師となりました。
そんな我が家にもたくさんの運動する兄ちゃんたちが来て、
遅くまで果てしなく議論していたけど、
どうしているのか。
当時来てたお兄ちゃんたちの一人は、
山口県の祝島に渡ってずっと反原発闘争し続けられておられます。
運動の全部が全部無駄だったとは思いたくない!
道をすり減らす。実践していきたいです。
あのぉ、みんな、投票ってのはしてるのかなあ、、?
もちろん、デモその他の行動には敬意を表しておりますが。
昨日、国会議事堂前デモに参加してきました。
SEALDsの若者の「民主主義って何だ?」の叫びに明確に答えを示せない
自分が情けなかったです。
山口さんの歌じゃありませんが「世界は昨日突然腐ったわけじゃない」。
この国に民主主義が無かったとしたら、現在、腐っているとしたら、
それは団塊世代のせいだけじゃない。年長者の誤りに気付きながら、
無関心で何もしなかった自分自身にも咎や責はあります。
311以降、色んな場所で頑張ってる若者に会います。
彼等に恥ずかしくない大人で居たい。昨日デモに参加しそう思いました。
これからどんな状況に置かれるとしても、己れに真摯である事だけは忘れたくありません。
貴重な御写真、本当にありがとうございます。
お父様の話、書いてくれてありがとうございます。
山口洋という人はどうしてこういう生き方をしているのだろうと思っていましたが、
すこーしだけわかったような気がします。
そういえば私の父もアル中といってもいい人でした。
唯一の被爆国であるこの国が、原発を再稼働し今回の法案を通そうとしている。
一部の狂った政治家達だけの責任ではないことを受け止めて自分に出来ることを考えます。
お父様のお話を書いて頂いて感謝します。私が山口さんの唄に共感できる理由の一つがわかった気がします。私の父は左の道を静かに淡々と歩いている一人です。尊敬していますが、同じ道を歩んではいません。理不尽な暴力に対抗する方法があるのか?経済的豊穣を失うかもしれない覚悟があるのか?与党に票を入れたことのない私ですが、その答えが見出せないので政府の方針も現実的だと考えます。未だ迷いの中、へたれです。でも山口さんの言葉や行動は、私を揺さぶります。
これまでの日本の民主主義はカタチだけだったんだと思います。
今やっと民主主義を手に入れようとしているのだと思います。
SEALDsの「民主主義って何だ?」の答えのひとつは「これだ」だと思います。
デモにくる未成年以外の人はみんな投票していると思います。
皆さんの投稿を読んで思わず書いてしまいました。
山口さん、拝読しました。ここまで明確に語られたことはありませんでしたね。
よくぞお話下さいました。感謝致します。
私の父は、大正生まれでフィリピンで終戦を迎えた人間です。命カラガラ帰国した
と生前言ってました。しかし、核心部分は何も言い残してはいません。小さい子供に
伝えられること等なかったのかもしれません。逆の立場なら、自分も言わないし、
言えないでしょう。
この国の現状には辟易です。それでも、諦めたら負けです。正念場はこれからです。
小さくても声をあげ続ける以外道はありません。
“捻じれた世界 それが君のステージなら
空を見上げ 君は君の歌を歌え” …です。
私もデモに参加してきました。
来週も行く予定です。諦めません。
戦争の危機を煽り立て、戦争を行うことで産業の景気をよくする社会。アメリカの軍産複合体が儲かる仕組みです。戦争は金儲け…ホント腐ってます。命をなんだと思っているのでしょう。
そして、アメリカは日本の原発の技術とウラン燃料のエネルギーを支配することで、新興国に原発を売りつけようとする。
電力は使えば使うほど電力会社が儲かる仕組み。
全て金儲けのため。
憤りと涙と…心折れそうです。
どうか音楽や芸術の世界は美しいものでありますように。洋さんのライブに早く行きたいよー。
いい写真ですね。