8月18日 木曜日 晴れ
夕刻、素晴らしいシンガーの石嶺聡子ちゃんと鎌倉の海が見えるイタリアンレストランで晩ご飯を頂いた。こんなにゆっくりと愉しい時間を過ごしたの、久しぶりだぜ。プロデューサーのぶーちゃんが居なかったら、ヒロシと聡子の密会現場だったのに。ちくしょー。って、冗談はこのくらいで。ちゃんと音楽の打ち合わせをしましたとも。ぶーちゃん、ごちそうさま。聡子ちゃんはこの一年、会わない間にぐんぐん、聡子と豆の木みたいに成長していてくれて、嬉しかったです。
閑話休題。
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NY在住の僕の兄貴分からみんなにメッセージが届きました。普段、このようなことをする人じゃないのです。多分、云わずにはいられない何かが、彼を動かしたんだろう、と甚だ出来の悪い弟分としては想像しています。僕が彼に初めて会ったのは、20代の後半、NYでのことです。ある意味で、彼は僕にとって、最大に人生を変えてくれた人です。99%叱咤の連続でした。彼に会わなければ、僕の人生はもっとeasyなものだったと思います。確かに、それからの日々は波乱と起伏に富んだものでした。そんなこと、望むニンゲンは居ません。でも、僕は感謝しています。おかしいと思ったことに、きっぱりと「NO」だと云うこと。自分の発言に責任を持つこと。事象だけでなく、全体を観ること。自分が正しいと思った道を信念を持って歩むこと。失敗から学ぶこと。誰かや世界を心から愛すること。世界市民としての自覚を持つこと。歴史を学び、未来に繋げていくこと。決して諦めないこと、エトセトラ。
僕はそろそろ、一番云いたくなかったことを語らねばなりません。震災以降、もっとも良く聞かされた言葉が「自分は無力だから」、あるいは「何をしていいのか分からないから」でした。その言葉の意味はじゅうじゅう理解しています。僕自身、そう思うこともあります。けれど、一人じゃ何も出来ない。その言葉はそろそろ禁句にしませんか。その人がどんな状況に居たとしても、出来ることはあります。簡単に諦めてしまう、その態度こそが、この信じられないような世の中にしてしまった原因のひとつで、金と欲に目がくらんだ連中にとっては、最も利用しやすい温床を僕らが作ってしまったのだと、感じています。
僕らは歴史上、重要な転換点に生きています。ここで、僕らが踏んばり、どのように、それぞれが生きたかが、いつの日か語られる日がやってくるはずです。少なくとも、僕はそう感じています。じゃ、彼のメッセージ、読んでください。海外生活が長いので日本語が少しヘンですが、彼が伝えようとしていることを読み取ってくれると嬉しいです。
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多くの日本の人へ、
もう、私達が誰かの活動を賛成したり献金をしたり、ヒロシの活動をただ協力するだけでは、はっきり言うけど何も変わる事は、ありません。もちろん、末端で苦労している人達の負担を少しは軽くする事が出来るかもしれませんが、この被害の発端である根源の体制は、今後も多くの苦悩、被害者、死者を産み続けるでしょう。
現状に於いては、一人一人が自分で狼煙をあげて行く必要があり、その一つ一つの狼煙が協力し合い、大きな渦となる流れを作る事が必要です。志と愛がないと、私達自身が生み出したこの巨悪な矛盾と欲は広がり続け、早かれ遅かれ、直接自分自身に降り掛かっている事を実感した時に、我慢という姿勢だけを続けてきたなら、そしてたまに何かに賛同をしていただけでは、なにも変わる筈もなく、それらの姿勢はある意味で巨悪を助成してるだけでもあると気づく事では、時既に遅しなのです。
ヒロシが、なんでこんなに、頑張っているかと言うと、皆が一人一人がその事を自覚して、一人一人で狼煙をあげるきっかけになり、その狼煙が集まり大きい渦となり、この国の舵取りが人を大切にして愛のある未来のある国、社会、家族であって欲しいからです。
明治維新どころではなく、この国の歴史で一番大きな分岐点に、今を生きている事を理解して下さい。人は何でも出来ます、自分で線を引き不可能だと決めつけなければ。目を閉じず、口を塞がす、思考を多いに無限大に広げ、自分が何をするべきか、どの様に今を生きるかを、即熟慮し、待った無しで始動する極限の事態であると、私は思っています。
今日本の舵取りや根源の酷さは、表面化しています。これは、大きなチャンスでもあります。決して、災害や原発事故のおかげだといっているのではありません。ただ結果として、舵取りの酷さの露出は歴史的にも稀にみる状況です。
先ず、この国を良くしようとするななら、彼らのような政治家を選出しない事、全員入れ替えの気持ちで、各地域で皆の信用する志がしっかり前を向いている人間を、教養や政治家歴なんて関係なく、逆に多様な職種の人でも、ホリステックに物事をとらえ根源に愛のある人を選び、国会に送る。一人ではなく、全国全てで、もちろん党なんてありませんし、属す事は党というモルモット育成団体ではなく、各自の良心に属す事だけです。そして、大多数を国会で取ったときに、全てを変えられます。愛と未来のある私達の一人一人を大切にする、あたりまえの、舵取り。役人政治は終え、議員が何千万円も給料を取ると言う事もなくし、議員は特権階級ではなく、国民の平均の給料があたりまえ。もちろん、各所で甘い汁だけをすってきていた人達は、大変な反発をするでしょう。でも、原発も同じでそもそもそれがある事自体、未来の無い道なのです。
無理に無理を重ね、矛盾に矛盾を重ね、嘘に嘘を重ね、大金に心を売り、このような社会に何の夢や希望や愛を産むのでしょうか。
次の選挙に向けて、皆で用意をしましょう。因みに現行では300万余の金額が立候補するだけで必要です、それに選挙費用を足すと数千万にはなります。これもおかしいでしょう。まさに、党のモルモットで金欲に溺れた人しか出れない。これも変えましょう。大きな視野をもった行動が一人一人に求められています。
物事を箱の中からの視線だけなく、自分の居る箱を外からみる俯瞰の目が大切です。どうします、やる気ありますか? ヒロシの活動を本当にサポートする事とは、一人一人が世の中を良くするために自立して、行動する事です。それは100人中99人がそっちを向いていも、自分は違うと思ったら、一人でも自分の正しいと思う方を向き歩む事です。もちろん、火の粉も降り掛かります。そこで、やけどをするのが嫌だから、自分の良心に反し、99人の向きに何となく寄り添うとしたら、今の日本の状況はあなた自身が生み出した膿です。
Toshi Kazama
Toshi Kazamaさんのメッセージ、とても共感できます。
この国は僕らの現状そのものであり、容認したり選んだ結果です。
政治家や役人が間違った判断を下す度に、自分が腹を下したり吹き出物が出来たような気持ちになる。それは彼らを憎む事ではなく、自分の行動の結果を知るからだと思うのです。
僕はここ数年、山口さんが過去に作った「Everything」をよくライブで(無許可で)歌っています。3・11以降は特に大事にしています。
歌の中にある「僕」や「君」は身近な人だけでなく、この世界や国に暮らす人であり、それをどれだけ自分の肌で感じれるか、それが歌う時の覚悟です。
「僕」や「君」には被害者も加害者も傍観者もいるわけですが、僕自身は向き合いたいと思って歌います。
今ほど、個人が小さく強いチカラを持てる機会は無い。
僕は山口さんの行動をすべて正しいとは思わないし、理解していないかもしれないけれど、勇気づけられる故郷の先輩であり、小さく強いシンガーであり、ギターで空間を超えられる数少ない人だと思っています。
僕も小さく強い歌い手であり、働き手でありたいと思います。
すべての法案や政治決定に意見を持つのは働き手にとってキツい事ですが、ただ関心を持つのではなく意見を持ちたいです。
意見は僕らの良心に寄り添えば必ず持てると思っています。
全く以て同感です。今の状況ははっきり申しても頭の良い政治家でさえ、私にしてみれば犬を見ているみたいです。それは私が見た限りでは、骨ではなく栄養のたっぷり入ったDogfoodを食べ続ける醜いペット!国民が今求めるのは本物の政治家なので本当に総入れ替えを望んでいる国民の一人です!今まで私が無関心であった付けが回ってこんな状況になっていると痛感します!本来ならばいい意味で戦い議論するはずの党もずれているので全く意味なし!そのように感じます!
二年前の政権交代からずっと、すべてを自民党や過去の政治家のせいにしてきた国民や、そう思うように情報統制をして仕向けたテレビ新聞などのマスコミ、それに追従する範囲のコメントしかしてこなかった知識人文化人・・・私はそういったものに怒り憤り失望を抱いて暮らしてきました。宮崎口蹄疫の現状を情報統制して隠そうとした政府、去年の尖閣諸島でおきた中国不審船に対する政府の腰抜け対応の時点でネット上(ブログやツイッター)では多くの人が怒りの声をあげていたし私もその1人です。現実でも訴えて、身内に非常に嫌がられた経験もあります。
それでも、それらの時点ではそういった人々のほうが少数派・過激派的な扱いをされていた事覚えがあります。いわゆるレンホー氏の「仕分け」がもてはやされていた時分でもありますし。
そういったこの国の「おかしさ」に、良くも悪くも311以降より多くの人々が気づいているのだとしたら、それは一つの光だと私は感じています。
いつも拝見しています。
でもコメント投稿は初めてさせていただきます。
「もう、私達が誰かの活動を賛成したり献金をしたり、ヒロシの活動をただ協力するだけでは、はっきり言うけど何も変わる事は、ありません。」
・・・・本当に言葉がありませんでした。
自分でもうすうす感じていたけれど・・・
「ちゃんと向き合うことから逃げていた私」を見つけられた、・・そんな衝撃と恥ずかしさと哀しさを憶えました。
本当にごめんなさい。
時々、自分に怒りを感じながら
たまに友人と「誰か」や「何か」を批判しながら
今日の今日まで、傍観者であり続けました。
これを書いていても心が震え、涙がこみ上げてきます。
背負わせていたのは、私。なのですね。
私は行動することを決意します。
でも、それは怒りからではなく、
山口さんはじめすべての存在への愛と、この国への希望から発した決意です。
大切な言葉に、心の底から感謝しています。ありがとう。
そうですね。
Noやら反対やらを唱えているだけでは何も変えられませんね。
法律によらないと国のシステムは変えられませんものね。
交付金頼みの地方の財政はどうしましょう?
あと、20年くらいすると日本人の人口は劇的に減少していきます。
どうしましょう?
経済の基礎も解んないのかと鼻で笑われて。
なのに株価や貨幣は「投資家」の気持ちで下がったり、上がったり。
専門家や学者は真実を言う訳じゃない、立場で物を言いますね。
次の選挙ですね。
私は選挙さえも信じていません。選挙管理委員会の人選を知ったとき(鹿児島県阿久根市の例)愕然としました。
今やこの国に希望は無い。
あるとするならば自分自身の魂の中だけに灯り続けている。
兄貴達に出会えて本当に良かった。 洋さん、俺もスイッチ押してますよ!
一番云いたくなかったことは、一番云いたかったことですね。
誰かがやることに「すばらしい!」と心を動かされ協力するのは、もちろん悪いことではないと思いますが、簡単で結局は人まかせ。責任も持たなくていいからお気楽です。
無力なりに、小さいなりに出来ることは必ずありますね。
いつもありがとうございます。
今年の三月は、私にはきつい時でした。
震災と同時に、母親の終末医療スタート。
命ってなんだ、人間ってなんだ、と見つめ続けたた三ヶ月が過ぎ、
闘いすんで母親を見送ったあと、様々な事が見えて来ました。
その中の一つが、
「どんなに偉い人、好きな人、信じてる人だとしても、言葉や価値観をそのままは受け入れない。
私のやる事、価値観、感じ方、全て私が決める」
という事でした。
自分で感じ、自分で考え、自分で判断し、
自分で立ち、自分で動く。
それが生きるって事なんだ、と。
それから四ヶ月、日常に流されそうになると、
こんな風に、どこからか
「忘れてない?」とスイッチを押してくれる言葉。
ありがたいです。
東北の利益には今私はなーんも帰依しないかもしれませんが、私が私なりに人間全部と地球に愛と真実をもって生きること、
それが巡りめぐって東北にも、高知にも、世界にも、なにかを送ることができると、
私は信じています。
世界中の人が、「それは違う」、と言ったとしても構わない。
自分の真実なら。