経験という財産

7月3日 火曜日 晴れ

テレビはあるけど、アンテナにつながっていない。サッカーを見るためだけにテレビを捨てずに取ってあるけど、結局見れない。笑。

さぁ、どうする?深夜3時だしなぁ。何人か友達に連絡したけど訪問するのは気がひけるしなぁ(結局、みんな僕のために用意してくれたらしいんだけど、ありがとね!)。クルマについてるテレビで見るか。でも、画面小さいしなぁ。

ん?そうだ。近所に冴えないホテルがオープンしたな。ビールを買い込んで急遽チェックイン。でもその前に疲れてたので気絶。そして午前3時から観戦。

音楽に人生が良くも悪くも見事なまでに投影されるように、サッカーとて同じ。スペクタルな人生のショーの交歓を見せてもらった感じ。勝敗ではなく、両チームとも素晴らしい人生じゃんって思った。だって、あんなギリギリの世界で凌ぎを削ることって、すっごいプレッシャーであると同時に素晴らしい経験だよ。

あと一歩、あと1センチ、そういうことが勝敗を分ける。それって情熱や経験の蓄積の差に他ならないんだろうね。

本田選手がアディショナルタイムにコーナーキックを蹴ったとき、日本は点を入れることと延長に持ち込むことに集中していて、一方ベルギーは完全にカウンターまで視野に入れていたんだろうね。キーパーがボールをキャッチして、カウンターに転じて日本のゴールに吸い込まれて、試合が終わるまで。冗談みたいな展開だった。10秒くらいの出来事。美しくて、恐ろしくて、残酷で、儚くて、やっぱり美しかった。すごいね!

ただ、それだけの違い。わずか数十センチ。手が届くか届かないか。でも、これが経験という財産になるんだろうね。なんだか、清々しく感激したよ。

本質に生きてる人は美しい。僕もそうありたいって、ひどく刺激を受けたよ。敵も味方も関係なく気高い表情をたくさん見た。オレ、ビール飲んでて申し訳なかった。

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経験という財産 への5件のコメント

  1. ジンジン より:

    こんにちは。
    山口さんも観られたのですね。私も珍しく深夜に起きて観ました。
    最後の10秒…あっけに取られていました。何とも言いようがなく。

    長友選手の言葉の通り、胸を張って帰ってこい!と感じています。ベストは尽くしたと思います。お疲れさまでした。私も心に秘めて精進します。

  2. rie より:

    私の会社にもいる世界で戦ってる人達。彼らもやはり美しいです。
    自分たちがそこに立たせてもらえてることの、理解と応援への感謝。
    垣間見える、負担を減らすための節約生活。勝つための情熱と自らは口にしない日々の努力。勝てば、次に繋げるためスタート地点に立ち返り、新たな目標に向けて気持ちを切り替える。負ければ、申し訳ないと頭を下げ、また次に向けて積み上げる。
    たまに帰ってきて、そんな姿を見ていると、何か出来ることはないのかと考える。
    まぁ、お茶入れることくらいしかできないけれど。心を込めて。
    スポーツと音楽を繋げて考えたことなかったですが、読んでいて、勝敗の違いこそあれ似ているのかもと思いました。
    お茶入れに行きたいところですが、客席から応援してます。
    でも、あれは応援ではないですね。自分が思いっきり楽しんでるだけです。
    いつもありがとうございます。

  3. Rusty より:

    ファロウ・ユア・ハート、と祖母は言う。しかしサッカーの試合見たさにわざわざホテルに泊まるという行為は、「執着」以外の何物でもない気がするのだが。

  4. こびど より:

    ゴールのたびに隣近所の歓声が微かに聞こえてきた、東京下町の早朝。
    遅延した通勤電車内では、試合を反芻してモヤモヤ、モヤモヤ…。
    メキシコも、負けてしまいましたね、嗚呼…。

    しかししかし、ほんの一瞬でも夢を見させてくれた監督、選手達に乾杯ですね!
    あとはベルギー、そして、コロンビアにも頑張ってもらいましょう‼︎

  5. ken ken より:

    ディランのアルバム、「マスクド・アンド・アノニマス」はディランの曲の世界各国からのカバーアルバム。ディランの曲は本人が歌っている時より、他人がカバーした時の方がメロディがとても美しく聴こえます(個人的に)。自分はディランのそんな美しいメロディラインが大好きです。例えば「ジョーカーマン」のサビ、「おーおお、おおおおーおおーお、ジョーカマーン」って歌うところとか。

    さて、
    30日の仙台でのライブ行かせていただきました。洋さんの歌うヘブンリー「空から君の声が…」のところ、7年前に津波で亡くなった恩人の事がブワッとあふれてきて、急に泣きそうになるのをこらえて唇をかみしめました。新曲に不意を突かれました。反則です。

    そして、「許可はいらない、自由に歌っていいよ」と洋さんはよく言ってますが、それを聞くたびに一人妄想してしまう事があります。今生きている人間が誰もいない150年後に、歌い継がれたその曲がもはや歌詞も原型も残さず変わり果て、作った人について誰も知らずに、幼稚園のお遊戯会でヤサホーヤと歌われている光景。タヌキやクマが相撲を取る歌になってたりして。だって言葉に何の意味がある?
    それが歌の、音楽の力なのかなと思ってしまいます。

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