8月11日 木曜日
ニーナ・シモンの歌と鳥のさえずりを聞きながら。
幼い頃から文章を書くことが好きでした。喋るのは今でもあんまり好きじゃないけど、書くことが嫌いになったことは一度もないっす。
ただ、ミュージシャンなのに作家とか、役者だけど歌うとか、人がやってることはともかく、自分がそれをやるのは向いてないのはわかってたから、人として反対側に突き抜けるまでは音楽だけで生きていこう、と決めたわけです。
余談だけど、デビューしてすぐ、某NHKからドラマの主役ってオファーがきたのです。そりゃ、事務所もレコード会社もやらせたいに決まってる。このときはね、必死に逃げた。オレは小学校一年生のときの劇の役が、「さるかに合戦」の石。セリフは「ぴゅーん」だけだったけど、それでも苦痛だったって。笑。
ほんと、やらなくてよかった。その役は某君が引き受けてくれた。未だに会うと「永遠の貸しだ」って言われるけど、そうかもね。
このblogを書き続けてる理由のひとつが「筆圧を落とさない」ってこと。誰かに見られる文章を書き続けることはとっても鍛えられる。書くってことはナルシシズムとの格闘でもあるから。そんなところはさっさと卒業して、これも反対側に突き抜けたかった。
歌えなくなったら、生涯に一冊だけ描こうと思っていて、そのときのためにね。
歌って、トシをとるとだんだん書くのが難しくなる。でも、文章は逆なんだよね。
で、さいきんオファーがあったんです。大好きなトラッドを元に短編を書いてくれないか、と。
ちょうど旅にでるタイミングでもあったので、喜んで引き受けました。
実存するのかしないのか。脳内に拡がる風景、登場人物の心象。ずっと思い描いてるのがほんとうに愉しい。歌を元にしてるので、帰結する場所もあって。好きなようにやってくれってそのオファーも嬉しかったのです。
さいきん言葉が(歌詞のことね)浮かんでこないのは、この世界とコのスーパー悪影響だと思うし、コ以降に書かれた歌でぐっとくるものはひとつもない。
でも、この短編に関しては言葉が溢れてくる。そっか、オレの才能が枯渇してたわけじゃないのね、と安心しているところです。
山の暮らしの中で短編で言葉を、民謡に取り組んで生き残った歌に込められた想いを受け取ろうと思っています。
自分の頭の中に拡がる風景って、実は無限なんだよね。ネットに縛られてると、そのことを忘れる。鳥のさえずりと、頰をなでる風、そしてニーナの歌。それだけで無限の世界に連れていってくれる。
どうせ生きてるのなら、生かされてるのなら、か。世界の美しさを伝えたいと思うのです。
明日の夕暮れを 怒りで埋め尽くしちゃだめさ
明日の星空を 諦めで塗りつぶしちゃだめさ
夜明け前がいちばん暗いこと 君はまだ知らないだけさ
でもウソだけはついちゃダメだ 明日が霞んで また何も見えなくなる
私はそう口ずさんでみる。
ポンチャントレインのほとりで
リリー・フランキーさん初主演の「美しい星」上映会を見に行った、小倉昭和館の延焼が切ないです。ビール片手に数時間続くトークショー、終電がなくなるから、途中退席したくらい、愛あふれる時間でした。壇上サイン会で、リリーさんに映画の感想をつたえさせてもらった思い出もある、大切な場所。どの席も見やすい、座席がふかふかのいい映画館だったなぁ。物語が生まれる稀有な場所だった。伝えたい昭和でした。
なんだか今日のブログは、胸の奥があたたかくなってきました。どうもありがとうございます。
このダイアリーをほぼ毎日読ませてもらっているからといって、山口さんのことを、こんなひとだと決めつけていた部分が、ボクのなかに、少なからずあったなと、、、でもそれは違ってて、もっとひとは奥深くて、これからも(変な意味ではなく)完全にわかりきるなんてことは無理、無意味かもしれない。けれど、それでも、今日、いまの山口さんの書かれた言葉を通して、なんか、今を生きろ。まさにカルペディエムと、やさしく言われた気がしましたし、これも、書くことをずっとこうして続けてきてくれているからこそかなと、思いました。なんか、ありがとうございます。九州、いい時間をお過ごしください。
とっても素敵。なんかあったかい。東京はめちゃくちゃ暑いですけどね…