8月24日 水曜日 雨
なにもかもが速すぎて、近すぎて、多すぎる時代。辟易としてたのね。この国特有の同調圧力にも。
だから、バイクで旅するってアホなことを考えた。バイクは不自由。だからいい。なにもかも思い通りになんかなりやしない。コケたら死ぬし。
だから、人は止める。でも、これはオレの人生だからね。好きなように生きる。十分に気をつけた上で。
旅の終わりにようやく墓参りをして、たいせつな人に会った。自分に流れている血についても深く考えた。
最後の日に育った町にできたペカペカのホテルに泊まった。とはいえ、そこは埋め立てられた土地で、だんだん怒りがこみ上げてきた。僕らを育んでくれた山を見ながら、オレに無断に埋め立てんじゃねー!と思った。なにがアイランドシティーじゃ、このバカタレが。
その地形ができるには訳があるんだ。数億年かけて、こうなってんだ。ニンゲンが勝手にこんなことして、いいわけがない。育った町は切り刻まれ、新しい道が無尽蔵に作られ、オレが知っている店、商店街、すべて死滅。わずかにバイトしてた蕎麦屋が一軒残っていただけだった。
遊んでいた池も埋め立てられ、片側三車線の道が作られ、かつてのほとりにはスターバックスが建っていた。爆破したかった。遊んでいた山は無残に削られ、宅地にされていた。
俺たちはいいんだ。かつての町を知ってるから。でもね、これからの子供達の原風景がこれでいいのかって。オレは本気で怒ってる。
なんだか、ほんとに悲しくなる。バカな政治家の決断。でもって、あのバカたれどもを選んでんのは人民というアイロニックな構図。
目を醒ませよ。
オレは今回ナビを捨てた。だって、かつてそんなものなくたって、世界中旅してたんだから。雨雲レーダーとオレが天気を読む目とどっちが勝つのか。このフェリー乗り場に来るまで。降水確率100%。でも、オレは空が読めるようになってる。なんとか降られずに済んだよ。これから7時間待ちだけどね。
スポイルされるのは嫌だ。オレは野生を保っていたい。
これから1日かけて帰ります。故郷での経験は音楽に豊かな形でフィードできたら、と思っています。
かつての原風景が失われていく事。勝手に時の流れと思い込んでいる自分がいました。活気のある商店街や少し癖のある店主。しかし、便利な環境を喜び恩恵受けている自分もいます。ただその便利な環境はどこか虚無的でなんの感情も湧いてきません。不便で大変でも何十倍時間がかかっても得られるものはギフトなんだと思いました。無駄な物は何もない。
かこさとし作 川 という絵本が好きです。
だから、先日、貝類博物館に行ったんだけど、カモメのなく、環境音が流れていました。そこは、ヨットハーバーのある埋め立て地だけど、もとは砂浜だったと。小6の夏休みの自由研究で、貝類の採集をした頃は、そういえば砂浜にいろんな貝類がいたなぁ、と。それでも、今年は5羽以上、ナミアゲハが成虫まで育って嬉しい夏でした。
山口洋さんの冒険が、実り多く無事完走できますように!
お帰りの際も、お気を付けて!
私は最近、以前山口さんがこのブログで紹介されていた星野道夫さんの「旅をする木」を読んでおります。
読んでいると、自然がもたらす壮大な現象と脅威に好奇心を抱かされ、自然の中での生活に憧れを感じます。
山口さんがこの本を紹介されたとき、このコメント欄に、
すでに愛読されている方や、星野さんの別の著者を読まれている方、また、星野さんが撮影した写真からインスパイアされた作家さんが創ったという絵本を持っていらっしゃる方のお話が載っていましたが、
そういったお話も、この本を読んでみたいというキッカケとなりました。
山口さん、皆さん、この本に引き合わせていただき、ありがとうございます。
「なにもかもが速すぎて、近すぎて、多すぎる時代。」という言葉に、以前のぞみ?新幹線で一緒に乗車したどんとさんの言葉(もちろん紹介してくれたのは山口さん)を想い出しました。
「その地形ができるには訳があるんだ。数億年かけて、こうなってんだ。」っていう叫びは女優・高峰秀子さんも同様なことを言っています。”古くなるって、ただ古くなるんじゃなくて、じっくりじんわりと一生懸命に古くなるのよ。”わたしは、アルバム「Bilnk」の「夢に取り組んでみよう」の”あのビルは平成の終わりとともに跡形も取り壊されるだろう”の歌詞を想起します。そして全然自分とは縁も縁も無い土地で2~3度訪れた事がある港区の我善坊町(非オシャレエリアの麻布台)の再開発を想起します。もう信じられない位地形を糞再利用して高層タワマンができる事実に涙がでてきます。いくつもの「坂」を潰す愚行。あんな東京、ここにしかなかったのに・・・。土地の門外漢なのに、文句言いたくなります。
それに似た悔しい思いを山口さんは故郷で体験したとのこと。帰りのフェリーで無邪気なクソガキを海につけこむ事だけは、どうか、やり過ごして下さいませ。
追伸:かこさとしさんのコメントがあがっていて嬉しかった。湘南で最後を迎えた素晴らしい絵本作家さんですね。セツルメントって言葉はかこさんから教わりました。
道中気をつけて下さい。
たしか温故知新ていう言葉がありましたよね。
先日、福岡市で一人暮らしをしている97歳になる父がコロナ陽性と連絡があり、自宅療養期間佐賀と福岡を往復して世話をし、どうにか乗り切れました。家の周りは、山口さんがおっしゃるように子供の頃、プラスチックバットで野球をしていたような空き地はなくなり、建つはずがないような場所に家が建ち、ザリガニを釣っていた池は道路となり、以前の面影は年々無くなっています。ほんとうに淋しくなります。
押忍。兄貴、長旅お疲れ様です。
8月某日、ようやく“杜人”を観ることができました。矢野さんの想いを垣間見た気がしました。
今回のブログを拝見して、この言葉を噛みしめています。
“「杜」とは「この場所を 傷めず 穢さず 大事に使わせてください」と人が 森の神に誓って 紐を張った場 ”
BGMが最高で良かったです。また、エンディング曲もピッタリで、涙腺崩壊でした。多くの方に観てもらいたい作品です。
30年以上前、かつて住んでいた福岡市は、まだ自然が豊かでした。“灯り”が生まれた西区の愛宕山の愛宕神社に慣れない50㏄バイクで行ったのは今も忘れられない思い出です。能古島発着所あたりは本当に何もなく、それはそれで良かったのです。
その後、“よかトピア”博覧会あたりから、だいぶん様変わりしました。都市高速も地下鉄もでき、便利になりました。でも、先日、数年ぶりに早良区の小田部あたりを通った際に、街の風景がごちゃごちゃに感じてしまい、幻滅したことを覚えています。ここは、かつて憧れた福岡市ではないと…。
久しぶりの里帰りにもかかわらず落胆される兄貴のことを想うと、複雑な気持ちになります。
無事に家にたどり着いてくださいね。