2月17日 月曜日 曇り
いきなりですが。
自分で殺めることができないものを食べてはいけない、とずっと思っています。なぜなら、命をいただく、といういちばん大切かつ難儀な行為をすべて誰かに委ねているからです。
そんな意味で言うと、牛はもちろん、豚も、鶏も、魚だって殺めたことはありません。てか、一生できないと思うくらいには、現代人かつヘタレ。子供がいたなら、父ちゃんはかようにヘタレだ、こんな大人になるんじゃない、と間違いなく告白すると思われ。
この考えにのっとって生きるのなら、野菜しか食べるものはないのです。
なのに、食う。この大いなる矛盾。
自分に農耕スピリットがあるのはわかるけれど、家長として狩猟スピリットはないのだろうか?ずいぶん長い間それを自分の中に探してみたけど、ない。500年前にオレが家長だったら、うちの家族は、と想像してみたら、ほんとに言葉がない。
随分前、阿蘇に家ができたとき。地元の方からお祝いとして、鹿の足をいただきました。失礼のないように、オレはちゃんと触ったけれど、食べることはどうしてもできず、「ごめんなさい」と謝って埋めました。
突き詰めてみる必要がある、とずっと思っています。人として。
山に奥深くひとりで入り、米だけを持って、狩猟して生きる人の本を読んでいます。気づきの連続。この人は生きてるっていうか、自分が生かされていることに本気で向き合ってる。でも、根本には狩猟本能が流れてる。そこが違う。
山でカモシカや猿を見たとき。オレには狩猟や食の対象には見えないわけで、、、、。飢えてないってことを差し引いても、そうは見えないと思う。
これはとっても大事なことだと思うんで、また報告します。
たとえば、朝ごはんがいちばん好きで、米(玄米でも可)、味噌汁(麦味噌が好き)、たまご焼きというシンプルな食事を飽きることなく永遠に食べ続けられるってことは、もともとそういうタイプなのかもしれん、とは思うのです。
アーメン。
私も若い頃から同じ矛盾を抱えたまま今に至ります。
完全に断つのはまだ無理ですが「小腹が減った」時とか「酒の肴」に命は戴かないようにしてます。
母と二人暮らしで野菜がメインの食生活なのですが
たまに「この食事では何も殺めてないね」とホッとしたり。
今日のブログの内容とは関係ないコメントですみません。
先日の山口さんのロリー・ギャラガーブームを読み、早速「Irish Tour ’74」を購入し、聴いてます。次にとのアルバムを購入しようかと考えています。おすすめのアルバムを教えてもらえたらとコメントしました。宜しくお願いします。
もう疎遠になってしまいましたが
その昔 山口さんと全く同じ考えを持って
それを実践していた先輩がいました
その先輩の影響というわけではありませんが
狩猟を覚える替わりに(?)
何とな~く…という緩~い感じで
僕は菜食者になりました
「それって何の得があるの?」と事ある毎にツッコまれて、未だに答えに窮してしまう位のものですが(笑)
殺生という観点からのある種の「後ろ目たさ」からは解放された気はしています
ただの自己満足かもしれませんが…(^_^;
山口さん
お疲れ様です。
カモネギ書店のSold Outはそのうち
買えるのでしょうか?
はじめまして。
狩猟歴20年のオッサンです。
自分も、知らない誰かが殺した物をお金を払って譲ってもらうのでは無く、生き物の命を奪う、という行為を自分自身で経験したいと思い狩猟を始めました。
ただ、自分が欲しい物(肉や角、毛皮や羽など)を手に入れる為に、生き物を殺す事にどう考え、心をどう持っていれば良いのかを悩んでいました。
これまで様々な人に話を聞きました。
自分は仏教徒ではありませんが、とある住職に、生きて行く為に命を頂く事をどう考えているのか?と聞いた時に、五観の偈(ごかんのげ)という作法を教えていただきました。
長くなるので内容の説明は省きますが、自分はこの事で少し自分の気持ちの整理が出来た気がします。
個人的な考えですが、人間も動物である以上、絶対に他の生き物の命を奪わなければ生きていけない、動物であれ植物であれ、と思っています。
誰が殺したのか?が大事なのでは無く、生きて行く為に必要な事であり避けられないのであれば、命を頂く事に恥じない生き方が出来ているか?が大切なのでは、と思っています。
山口さんの言う、いつだって、目の前にあるこの瞬間を全力で生き切ること、に繋がっているのでは?と思います。
自分は、出来る人が出来る事をすれば良いと思っています、努力や挑戦とは別の話で。
なので、自分の子供達にも興味が無いのに経験させようとは思いません。
自分は動物を殺し、解体する事が出来ますが、人の心を打つ詩や曲を作る事は出来ません。
HEATWAVEの楽曲は、自分にとって食べる事と同じく、生きて行く為に必要な物だと思っています。
教えを頂いた住職は最初に、食事を楽しみにしている、とも言っていました。
その一言で、建前や知識で話をしているのでは無く、自分の言葉で話をする方だと感じました。
生き物の命を頂いて生きて行く事に矛盾を感じる人に、少しでも心の在り方の助けになればと思い投稿します。
素晴らしい!ありがとう!