CELEBRATION DAY

11月27日 火曜日 晴れ

ジョン・ボーナムが突然亡くなったのは僕が高校生の時だった。新聞に小さく死亡記事が載っていた。あの不世出のドラムを生で観ることが叶わないのかと思うと、ひどく落ち込んだのを覚えている。

僕はパンク・ロッカーだったけれど、隠れてツェッペリンも聴いてた。いちばん好きなアルバムは「フィジカル・グラフィティー」。あの頃はビデオもないし、「狂熱のライヴ」を観に、何度も映画館に通ったっけ。THE BANDの「ラスト・ワルツ」と二本立てっちゅー、無茶苦茶な組み合わせの時もあったけど、何にせよ、まばたきするのももったいなくて、網膜に演奏を刻みつけた。僕らが上達するにはそれしか方法がなかったのだ。

15歳のとき、中華料理屋でバイトして、初めて買ったエレクトリック・ギターは1958年製のレスポール・スタンダードの完全コピーモデル。虎目のやつ。Grecoだけど。もちろんジミー・ペイジが弾いてたから。

彼らが2007年に一夜限りのリユニオンを果たし「CELEBRATION DAY」という作品になって昇華した。ドラムはボンゾの息子、ジェイソン。「狂熱のライヴ」にヨチヨチ歩きのジェイソンが出てきて、子供用のキットを叩いていたのを覚えている。

ありがちなリユニオンと違って、懐古趣味度ゼロ。彼らは本気で音楽と向き合っていた。サポートメンバーを一人も入れず、昔のようにたった4人で「今」の音を出した。それがこのバンドのこだわりなのだろう。云うならば、この演奏は何十年ぶりのツアー初日の演奏であって、このままツアーに出たならば、もっと演奏はタイトに締まっていったことだろう。確かにロバート・プラントの声が厳しい場面もあったし、曲によってキーは1音くらい下がっていたりもした。けれど、そんなものを軽々と超えてしまうだけの熱がこの作品には込められていたよ。天晴。

ジミー先生は「あの」レスポールをギンギンに弾いていた。

ジミー先生は「あの」レスポールをギンギンに弾いていた。

ジェイソンが最後に涙ぐんでて、ぐっと来た。

ジェイソンが最後に涙ぐんでて、ぐっと来た。

じゃ、その作品の中から名曲「カシミール」をご覧あれ。思わず一緒にギター弾いてもうた。

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CELEBRATION DAY への1件のコメント

  1. Koike より:

    本当に奇跡としか言いようがない。ひたすら度肝を抜かれ、鳥肌が立つ。もうこの奇跡は二度と起こらないのかもしれないけれど。

    極個人的には、大好きなHWとLZという2点が、突然、線で繋がったことも奇跡。

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