月別アーカイブ: 10月 2012

STILL LIFE WITH MY GTR#2

10月18日 木曜日 雨   治療に通った以外は引き続きギターに没入。初めてこの楽器に触れたのは14歳の誕生日だからして、もう34年も弾いているのだが、あらためて奥の深さにのけぞる。何処にもたどり着かない。でも、モーレツに伸びているのが分かる。  普段、曲のアイデアが湧いてきたとき以外は触ることもなかったけれど、最近会った、若い世代のミュージシャンの音楽へ向き合う姿勢に甚だ影響された。奴らはマジだった。素晴らしかった。あ、書くまでもなく奈良さんの姿勢にもね。自分にとって、今が一番新しくないのであれば、屍と同じだ。ずっと宙に浮かんだまま、空白と向き合っているような感覚があって苦しかったが、響くことによって、響かせることによって、視界が晴れてきた。ほんとうに感謝している。

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時空を超えて

10月17日 水曜日 雨   ガキの時分のヒーローとメールでやり取りをしていると、時空を超えて、何だか不思議な気分になる。  雨が降ってきたし、走ることもできず、一日ギターを弾いて過ごした。雨の音を聞きながら、rain songを身体に入れて、勝手にアレンジをほどこして自分のものにする。もう一度ギターと云うより「響き」に徹底的に向き合ってみる。この変てこりんな「響き」をモノにして、何かが浮かんでくるのを待っている。

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the rain song

10月16日 火曜日 晴れ   高校時代に頓挫したままだった「the rain song」を突然弾きたくなった。多分、そんな気分だったんだろう。  今の時代。こんな便利なものがあるから、数時間あれば理解できるけど、あの頃はレコードとテープしかなかったから、ハードルが高かった。このバージョンのチューニングはDGCGCDだと思う。たぶん、昔よりキーが下がってる。でも、30年越しに何かを理解していくのは悪くなかった。フレーズを身体に入れながら、何かが浄化されていく気がした。

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いわきにて

10月14日 日曜日 曇り いわきに行った。地元の人とたくさん話して、言葉を失った。咀嚼するには時間が必要だ。でも、迎え入れてくれたハコのスタッフも、地元のミュージシャンも、堀下も、オレも出来うる最高の仕事をした。まだ頭の芯が痺れてる。

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話す

10月13日 土曜日 曇り   「自分が相手に生まれたなら、同じ行動をしていたかもしれない。そう考えるなら、受け入れられることはたくさんある」とアニキからメールをもらった。  その言葉を胸に刻んで、たくさんの人と話した。

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くるりの入団テスト@福島県相馬市にて

10月12日 金曜日 曇り くるりと細野晴臣さんの東北ツアー@相馬公演。入団テストを受けに行ってきた。(冗談)伝えたいことがあったから、ギターを弾きに行った。音楽に対する溢れる情熱、音楽にできること、その他もろもろ。両者からたくさん受け取った。ありがとう。

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何だかなぁ

10月11日 木曜日 晴れ クルマに巨大堅牢ケースに収納されているグレッチとアンプを二台積んだ。腰が痛い。でも、こいつでいい音を出すには仕方ないシステムなのだ。先日、魚のウーリッツァーを積んだときにも思ったのだが、古い楽器には「古い楽器の匂い」がある。一気に車内は70年代の匂いになる。 治療の帰りに、クルマにレーダーを付けた。あまりに多機能すぎて、何を選んだらいいのかさっぱり分からぬ。普段、そんなことをしたためしがないが、店員に説明してもらって選んだ。しかし、どれもアイコンなんかのデザインが最悪だ。機械が喋るのも好きじゃない。だから、普段は何も映らず、必要なときに視認できるやつにした。ダイソンの社長が云ってたっけ。「掃除機が喋る必要はない」。僕がその手のものを作る人間だったら、多機能すぎるものではなく、目的に特化したものを作るだろう。それが付加価値だと思うのは少数派なんだろうか。 車内を見渡して。あちこちから飛んでくるレーダーなどの電波をキャッチし、GPSを受信する機械が3つもあり、DVDを観ることができ(観たことないけど)、テレビが受信でき(したことないけど)、CDは7枚入り(いつも1枚しか入れてない)、iPodには数万曲入っていて、なおかつiPhoneはハンズフリーで通話でき、口頭でメールが書け、ひっきりなしに情報を受信し、おまけに後部にはノートパソコン。そして何よりガイガーカウンター。何だかなぁ、と思う。 グレッチは正確なピッチが出ない。極めて曖昧な楽器だ。それゆえ、操ったときには個性が出る。古い音楽はチューナーさえ使われていない。耳だ。それゆえの人間性が音楽に滲んでる。目指すものが何なのか、考えさせられる。 明日から3日間、福島県に居ます。 14日はいわきのSONICにて。久しぶりにいわきの人たちに会えるのを愉しみにしています。

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大人の責任

10月10日 水曜日 晴れ 過日、青森からの帰り。何故か相馬市ではなく、福島県郡山市のホテルの会議室にて、大人たちが集まってケンケンガクガクと、12月に相馬で催す子供たちとのイベントの打ち合わせをした。 離れた地域のたくさんの人間が関わっていると、ときどき「何のためにやっているのか」という根本に立ち返らなければならなくなる。そして他人の意見は尊重しなければ。ただし、尊重しすぎるとフォーカスがだんだんボケてくる。だから、全員で会える貴重な機会に、根本に戻る。 例えば、僕らは深く考えて。 9月のツアーで相馬の子供たちの表情をメインにパンフレットを作った。確かに、言葉を使って「明確」なヴィジョンを示さなかった。いや、示せなかったと表現する方が正しいか。でも、僕らはここで起きていることについて、出来うる最大の表現をした。むろん、すべてが正しいと云う気はない。僕らとて、明確な答なんか持ち合わせていない。でも、受け取った人たちに考えて欲しかったのだ。だから、余白を残す表現にした。それに対して、「あなたたちは何を目指しているのか、さっぱり分からない」と意見が寄せられる。 僕は云いたい。あなたは自分の頭で考えてくれたのか?と。 場所の言及は避けるが、年間被曝量が1ミリシーベルトを遥かに超える地域の学校に通っている子供たちが居る。僕はこの目で観たのだ。会ったのだ。話したのだ。どう考えても、イカれてる。福島の子供たちの甲状腺が今、どのような状態になっているのか、それに対してどのような対策が取られているのか。知りたい人は自分で調べてくれ。その事に意味がある。 何年かして、子供たちに何かが起きたとき。むろん、そんな事が起きないことを願うが、国や電力会社が責任を取るとは到底思えない。仮に責任を取ったとしても、取りようのない、取り返しがつかないことが起きるかもしれないのに。果たしてこのままでいいのだろうか?いい訳がない。 街の人が語るように、センシティヴな人はもう逃げてしまった。あるいは逃げても新しい生活に馴染めず、戻ってきた。今、居住しているのは思考停止した人、せざるを得ない人、自ら決断してリスクを承知で残っている人、あるいは逃げたくても逃げられない人。 僕は思う。ある日とつぜん、とんでもないものが空から降ってきた。いったい、誰の責任なのか。少なくとも居住していた人たちにとって、自らが選挙で選んだ一部の政治家たちが、この巨大な悪に絡んでいるという以外に彼らには何の責任もないはずだ。 たとえば、僕があなたの家の庭に汚物をまき散らしたなら、確実に逮捕されるだろう。でも、これだけ広大な地域にダメージを与えておきながら、誰ひとり責任を取ってはいない。大人が責任を取らずして、子供たちに希望を持て、なんてことは云えない。せめて「避難する権利」と微妙な線量の地域には「留まる権利」を与えて、生きていくモチベーションを奪わないように、国策で全面的にサポートするしかない。それをただ期待するのではなく、国の舵取りを変える方法をひとりひとりが考えるしかない。 話を戻す。 僕らにいったい何が出来るのか?子供たちが危険な場所に住んで欲しいと思っている訳がない。大人はまだしも、子供に選択する力はない。復興予算は19兆ある。不可能ではない。使われるべきところに的確に使われているとは云い難い。そして、子供たちが何処かに移住したとしても、その街には未来がなくなる。かくも、目眩がするような問題なのだ。 僕らがパンフレットに文字を記さなかった理由。そこに住んでいる子供や、親を無駄に傷つけることは出来ないからだ。そんなことには何の意味もない。そして、僕が観る限り、ある種の権限を持つ人たち。言い換えるなら、自分の守備範囲でエラーをしないことに集中している人たちは、殆どがびっくりするくらい善人だ。ただし、びっくりするくらいに危機感が欠如している。それが話を余計にややこしくする。 ツアーを終えて、この文章を書くまでにひとつき近くかかった。申し訳なく思う。僕の心にこみ上げていたのは、こういう感情だった。ほんとうに悔しい。 僕らは話しあった。せめて大人が難題を前に、全力で生きる姿勢を見せよう。関わっている人たちはもはや疲れている。でも、諦めることなく、本物の情熱を伝えよう。それをイベントの主眼にして、自分の未来は自分の力でつかみ取るものだってことを伝えよう、と。かつて、僕がギターに出会った日のことのように。

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MY LIFE IS MY MESSAGE

10月9日 火曜日 晴れ   「MY LIFE IS MY MESSAGE」という言葉を教えて(授けて)下さったのは敬愛する作家の宮内勝典さんです。「これは僕の言葉じゃなく、ガンジーが云ったことだから」、と。その言葉の意味を、今一度噛みしめる日々です。氏の3.11から一年後のインタビュー、是非読んでください。 http://studiovoice.jp/?p=22825

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邂逅、青森にて

10月6日 土曜日 雨 魚さんのことを揶揄する前に、僕とて、秘密裏にだけど、世界で一番尊敬する音楽家と演奏させてもらったことがある。そのことを自分のプロフィールにする気なんてさらさらないし、胸の奥にそのときの感情をしまってあるし、思い返せば、その時魚さんは観客として、僕を観ていたから、今回は立場が逆になったってことか。とにかく、僕の経験で云えば、目の前で起きていることに現実味が欠けていたことは確かで、そして現実でもあったのだ。 奈良さんと僕らを繋いでくれたのは悪友のヒロシで、彼の情熱にはほんとうに頭が下がる。私利私欲ではない。時に東北道の黒豹。そして心優しきアウトロー。 美術館のホールで演奏する前に、奈良さんの展覧会を見せてもらった。震災以降に描かれた作品たち。そこに込められた情熱、ただならぬ数に創作者の端くれとして撃ち抜かれる。 この日、何が起きたのか。それは魚さんの胸の中にしまっておくことにします。文章にすると、何かが減る気がする。数枚の写真から、何かを受け取ってください。 たくさんの人たち。来てくれて、ありがとう。奈良さん、ヒロシ。心の底から感謝を。

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