月別アーカイブ: 4月 2015

ショック

4月15日 水曜日 曇り 落ち込んでます。ってか、こんなに落ち込んでる自分にびっくりしてます。笑。 この10年以上、グレッチを除いて、たった一本のギターが僕の音楽を支えてきたのですが、メインテナンスから帰ってきたら、ち、ち、違うギターになってたのです。大泣。見た瞬間に「これはダメだ」と。オレの相棒ですから、見たら分かります。案の定、ダメでした、、、、、、。 200%信頼している人たちなので、細かく説明しなかったのが悪いんすが、ブリッジやPU、サドル。つまり心臓部分が大胆に交換されて、育ててきた音がまったくしなくなってしまいました。 ギターってね、微妙なんです。僕以外の人間が触ったら、すぐに分かります。特に僕は歌いながら弾くので、感触やフィーリングがすべてなのです。見てないし、考えてもないのです。一体化してるのです。だから、そんな相棒は限られます。 途方にくれました。こうなってみると、どれだけ大切なものだったか、分かります。時、既に遅し。手がこんな状態のときに、なんでまたこんな試練。大泣。 このまま無理にステージに上がると、大切なギターが決定的に嫌いになる。そう判断して、工場に送り返しました。たくさんのリクエストを添えて。でも、もうあの音が戻ることはないと思います。 てな訳で、失ってしまいました。ないものは仕方ないです。メーカーの人たちも僕によかれと思ってやってくれたことです。もちろん怒りなんて、ありません。 さぁ、どうするヒロシ?楽器ないよーーーーーー。 僕はプロです。あと一日あります。今からどりゃーーーーーーっと走って、気持ちを完璧に切り替えて、結果を出します。そんなところも楽しんでください。ひーっ。

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風化と風紋

4月13日 月曜日 雨 今日は真面目な話です。 あれから4年が過ぎて、良い意味でもそうでない意味でも「風化」が激しいと実感しています。かく云うMY LIFE IS MY MESSAGE。実のところ、僕が立ち上げたのではありません。誘われたのです。そして、僕を誘った人間たちは全員居なくなりました。風のように。笑。 ほえ?みたいな。でも、去る者は追いません。責めることでもありません。真剣にやればやるほど、見なくていいものを見ることになる。そして一度見たなら、良心のある人間ならば、それを「知らなかった」とは云えなくなる。だから、深く関わらないで生きていく方が楽なのです。理念だけで、行動が伴わないと、やがて辻褄が合わなくなって、自分で自分の首を絞めることにしかならない。「MY LIFE IS MY MESSAGE」とは読んで字の如し。生き方そのものがメッセージなのです。良くも悪くも。 そして、それらはやがて、顔に表情となってたち現れてきます。怖いくらいに。政治家の顔を見てごらんなさい。あれもまたひとつの「LIFE IS MESSAGE」なのだと、反面教師として学んでいます。 偉そうなことを云うつもりはありません。かくいう自分だって、絶体絶命のときは周囲に何度も助けられ、そして家族が居ないから続けられただけです。 4年前のあの日。「明日があるのは当たり前じゃなかったんだ」ってことに戦慄を覚えたのです。それは深く深く胸の奥に刻まれています。そしてあの原発で作られた電気を使っていたのは、まぎれもなく関東に生息している僕だったのです。つまり僕自身の問題だってことは、死ぬまで、いや、死んでも消えないのです。未だ家に帰れない人たちがたくさん居る中で、僕はオリンピック開催に熱狂する気にはなれないのです。「お・も・て・な・し」を初めて観たとき、自分との感覚の違いに気が遠くなりました。かと云って、生きている間に終わらないであろう廃炉作業に従事する訳でもない。だから、自分のできることをやるしかないのです。声高らかに書くことじゃないです。それこそ「粛々と」、生きている限り、ずっと。風化は仕方ないけど、何とかして、次の世代に風紋くらいは残しておきたい。最後の一匹になっても、それをやるつもりでいます。 関東に住んでるあんたに何が分かる?って分かる訳ないっす。でも、分かりたいと思っています。今も昔もこれからも。そして、そう思ってる人は少なからず居るんです。住んでいる場所から動くことができない全国の人たちから、たくさんの気持ちを託されます。正直、毎回荷が重くて、胃が痛いです。でも、その気持ちを循環させて、小さなひかりを作ることが僕に課せられた、残りの人生の役目のひとつだと思っています。だから続けます。 多くを語りたくないけれど、僕らは伝え続けたいことがあって、ツアーをやっています。いちばん面倒なやり方を選んだけれど、それを続けます。是非、足を運んでもらって、そこで感じたことを日々の暮らしで役立てて頂ければ、と思っています。 http://mylifeismymessage.jp/tour2015_twoofus/index.html

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Message from 長野

4月12日 日曜日 曇り MY LIFE IS MY MESSAGEのステージに設置されている看板は僕が2012年に長野で強奪したものです。笑。全国を旅して、ヴィンテージ・ルックになっております。普段はうちの玄関に保管されていますが、今年長野にチャボ先輩と共に、待望の里帰りをします。チケットも残りわずかだそうなので、迷わず来なされ。 で、本日、とある箱が長野から届きました。ありがとーーー。

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ゴミ拾いその後

4月11日 土曜日 曇りのち雨 先月、江ノ島でゴミを拾う「海さくら」に参加。浜辺深くに埋まった船舶用のロープをどうすることもできず、退散。ずーっと頭にひっかかったままだった。物事を投げ出すのはどうにも気分が良くないので、スコップを購入持参して、今月も参加。 結局のところ日没までがんばっても、砂浜から全てを抜くことはできなかったから、せめて見えているところまでは切断という実に玉虫色の決着。こういうとき、力仕事ができない手が情けないね。 ゴミは「こころ」の問題で、実に根が深い。海のおかげで生計を立てる人たちが大量に釘を捨てたりする。実物を見せてもらったけれど、アンビリーバブルだよ。ゴミは世の中にあるすべての問題と繋がっている。でも、一方でゴミを熱心に拾う子どもを見ていると、彼らが今後そのような人物には決してならないだろうと確信が持てる。そんな意味では、この活動を続けることには素晴らしく意味があると思える。

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搾取

4月10日 金曜日 雨 デビューしたとき、実際はビンボーの極限だったにも関わらず、ツアーをすると、迎えのクルマにはマッサージ機がついていて、楽屋にはフルーツをむくためだけに女性が配置されていたりした。ほんとうにおかしな時代だった。むろん、強力な違和感を感じてはいたものの、自分が生きていくことで精一杯で、システムの矛盾を追求する頭は働かなかった。今思えば、アホだ。いいように扱われてた。 こうやって、永い年月の間に、音楽業界からそうとう遠い場所にたどり着いて、その手のストレスは皆無になった。その手の輩とも縁遠くなった。喜ばしいことだ。試行錯誤の連続だったけれど、独立独歩で何にも頼らず生きていく方法がないわけではなかった。前例がなかっただけだから、作れば良かったし、やりがいがあった。大事なことはあまり他人の意見を聞かないこと。たいてい直感の方が正しかった。稀に見る目がなくて、とんでもない目に遭うけど、それもまた前進への一歩だから仕方がなかった。 そもそも、組織が苦手だ。だから、近づかない。そして、誰かの金で何かをやろうとする輩にも極力近づかない。これでたいていのストレスからは解放される。仕事は(仕事とはあんまり思ってないけど。職業、「オレ」だから)作るもので、与えられるものではなかった。 まぁ。確かに音楽業界は下り坂だ。当たり前だ。金儲けばかり考えて、多様性をもったリスナーを育ててこなかったのだから、当然の報いだ。ここからはどれだけ音楽を愛してるか、何を見据えて生きてるかが、試されるだけのことだ。どんと来い。 だから、活動を維持するためには何でもやる。シンガー、ソングライター、ギタリスト、プロデューサー、エンジニア、エトセトラ。最近はディレクションもやることがある。昨日、生まれて初めてレーベルコピーを書いた。 ———- レーベルコピー 内容が詳細に記載されている、制作過程に用いたり保存用記録物として利用される重要な書類。 ———- 過去の曲の著作権に関することを調べているうちに、忘れていた搾取の図式が明確に見えてきて、久しぶりに頭の中で「London Calling」が鳴った。ぷんぷん。気づかなかったオレがバカで、著作権管理団体は云うまでもなくクズで、何もしないのに、エサだけ横取りするハイエナがうじゃうじゃ居て、ヒドいのになると、権利を勝手に第三者に売り飛ばしたのまで居て、ハイエナ顔が浮かんできて、ほんとうに胸クソが悪かった。著作権っていったい何のために、誰のためにあるんだよ?これも確実にひとつの既得権益で、天下りの温床だよ。おまえら1曲でも身体とこころを痛めて曲を産み出したことあるのかね? 金の話じゃない。スピリットの問題なんだ。俺が云いたいのは。愛があるように見せかけて、それがないんだ。政治家も、官僚も、原発も、基地問題も、音楽業界も、構図はぜんぶ同じだ。志がF××Kなんだよ。 遅すぎたけど、これも勉強だね。人生は一回きりだから、自分が正しいと思った方にしか歩けない。妥協もしない。そして、誰かのせいにもしない。前例がないからこそ、そこを往くべきだとオレは思う。むろん、これはオレの考えで、誰かに強要する気はまったくないけどね。人生はギャンブルで、壮大な実験の場所だよ。笑。 ついしん これは新星と呼ぶにふさわしいね。ワクワクするよ。this is music! すばらしい。  

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募集

4月9日 木曜日 晴れ 曲を書いている。複数の曲を同時に書いている。全部、とっ散らかっていて、総じてどちらの方向を向いているのか分からないけれど、とにかく作業は続ける。そうすると、いつか曲たちが何かを教えてくれることになる。今日すか?稀代の詐欺師の歌を書いてたよ。オレには書くだけの理由があるのさ。笑。 せんじつ、復帰ツアーでリクエストを募ってみた。自宅のスタジオで「リハーサル」と云う名のリハビリも兼ねて、いろいろやってみた。結果、かつて書いた曲によって、自分の本質を教えられるという不思議な経験をした。聴きたいと云う人の希望によって、ソロのライヴがある程度構成されている部分があってもいいではないか、と思うようになった。どのみち、何があっても前を向いていることは変わらないのだから。 てな訳で、次のシリーズ、横浜、千葉公演に来る人で、聴きたい曲がある人は今日のコメント欄に気軽にどうぞ。

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怪我の巧名、過酷な局面、そして一年

4月8日 水曜日 雨 京都から病院に直行。酷使した手のケアと、ライヴをちゃんとやれたことの感謝を伝えに。「怪我の巧名」とはよく云ったもので、できないことを補うために、新しい引き出しが自然に作られる。どのような弾き方をしているのか自分でも興味があったので、映像でチェックしたら、かつて見た事のない奏法を既に発明していた。びっくり。 リハビリはスーパー過酷な局面に入った。伸びしろは時間とともに減ってくる。元に戻るという発想は元から僕にはなくて、どうせやるなら、新しい可能性にたどり着きたい。だから、諦めないけど、伸びないし、痛いし。笑。ドクターにも、ここからは痛みに耐えるしかない、と云われ。ならば毎日痛みを味わい尽くすことにした。痛みには種類があってね。ヤバイものとヤバくないもの、そしてピリピリしたもの、エトセトラ。ヤバいものを味わうことなしに、反対側に抜けることはできない。悶絶の向こうに、明日があるんだね。 療法士さんが全力で負荷をかけてくれてるとき「うーん、目が覚める痛みだなぁ」とか、どうにかしてベクトルを変換する。笑。思わず声が出たら、アドリブで節を考える、とか。悶絶にも種類があるのよ。いてーーーーーーーーーーーーーっ。 ぜんぜん話は変わるけど。 太陽の塔はこの45年の間に、我々が何を得て、何を失い、何をたいせつにしなければならないのか。それを教えてくれたよ。他人を裁くより自分を裁く方がずっと難しい。僕はそれができる人間で居たいす。あと、桁外れの情熱ね。   アイルランドのお母さんが召されて一年。実の母親をちゃんと紹介しといて良かった。今頃、素晴らしい息子について語り合ってるに違いない。笑。    

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復帰第二戦、京都にて

4月6日 月曜日 雨 京都。日本で一番歴史のあるハコ「拾得」だぜ。 あったりまえだけれど、自分の持っているものすべてを使って全身で演奏した。後は、拾得の歴史とヴァイブスに乗っかっていくだけさーーー。僕はこの復帰シリーズで、あらためて音楽と人が好きになったぜ。愉しんでくれたかい?明日は朝イチでリハビリに戻るぜー。酷使したから、ちゃんとケアしないとね。でも、身体にはTAROのエナジーがみなぎってた。人生は芸術だって、オレもそう思う。平日の雨の月曜日。忙しい中、来てくれて、ありがとう。たくさんの愛。 ついしん MY LIFE IS MY MESSAGEの新しいサイトに続々、メッセージが。うれしいなぁ。ロック・ミュージシャンと市井の人たちが同じ地平にあることがうれしい。

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45years

4月5日 日曜日 雨 1970年、45年前。 僕は7歳。夏休みが終わると、福岡市の小学生は万博に行った子と、行けなかった子に二分された。かなり残酷ではあった。むろん僕は行ってない派。超がつくくらいの高度成長。そのムードには今も昔も馴染めないけれど、TAROだけは別。ようやく念願を果たせた、かな。 きっと、今も昔も。圧倒的にすばらしい。

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復帰初戦、名古屋にて

4月4日 土曜日 曇り 復帰初戦、名古屋にて。 「あいつよ、外国でスノーボードでコケて、手首骨折して、前みたいにギター弾けなくなっちゃったんだよ」なーんてことになるくらいなら、ステージに戻る気はまったくなかったからして、当たり前だけど、リハビリは本気で取り組んだ。まだ、ぜんぜん終わってないけど。やれることは全部やった。とはいえ、実のところ、やっぱり不安ではあった。まだ半分くらいしか回復していない握力が最後まで持つのか、とか。いろいろ。何せカポタストを外すだけで難儀するくらいの力しかないからして。 でも、久しぶりに戻ってきたハートランドは心を込めて、待っていてくれたのだよ。僕のモニターの好みも、音の嗜好も、すべて完璧に整えて。ライヴ中も話したけれど、ギターを弾くことが何よりのリハビリで、オーディエンスには失礼かもしれないけれど、ライヴの場で演奏することがそれにも増して、世界最高の贅沢なリハビリだったよ。完璧に動かせない分だけ、違う表現力が降りてくるのは、オーディエンスとハコの力。音楽ってすごい力だよって、一生懸命取り組んでくれた療法士さんにも報告するよ。 ありがとう。こんなにリクエストに応えたのも初めてだと思うけど、選んだどの曲もが、2015年には有効だった。嬉しかったよ。 ついしん MY LIFE IS MY MESSAGEの新しいサイト、続々とメッセージが寄せられています。嬉しいす。チャボせんぱいに加えて、今回、現役高校生からも頂きました。今後とも増えていくので、ときどきチェックしてね。

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