日別アーカイブ: 2016年8月16日

亡骸と抜け殻、シカトという文化、そして台風

8月16日 火曜日 晴れ 玄関へと続くコンクリートの階段でアブラゼミが一生を終えようともがいていた。気にはなったが、出かけなければならなかった。そして、帰ってきたら絶命していた。正直、セミは苦手だ。でも、このまま放っておくのもどうかと思ったので、裏庭の草のあるところに移してやろうと思ったら、かすかに足が動いた。瞬間、説明のしようがない深い感動が襲ってきた。命は残酷で、ときどきとても美しい。彼は忘れかけてたことを教えてくれた。 すべての生は死の上に成り立っている。 近年。都合が悪くなるとシカトされることが増えた。まるで僕だけが知らない文化みたいに。僕の中でそれはあり得ない = できない = ことなので、相手の立場になって考えることもできず、随分こちらも悩んだり傷ついたり苦しんだりした。自分の無駄にまっすぐな性格や正論が、誰かを追いつめているのかもしれないとは常に思うし、誰かがエスケイプできるだけのスペースは必ず作っているつもりだったけれど、いつだってシカトの本質は理解できずに居る。ある種の自己防衛本能なのかもしれないし、100%のシカトの後に、ケロっとした顔で何もなかったかのように振る舞われると、こちらの頭も混乱をきたしたりもする。 こういうとき、随分酒量が増える。良くない。まったく良くない。昨夜、いつもの店に行ったら休みだった。それで気づいた。 信じよう。100%の力で。それがまたウザイのなら、そっと静かに離れた場所でそう思っていよう。すべての生が死の上に成り立っているのなら、せめて、何かの役には立ちたいと思うから。きっと、それでいい。 台風がやってくる。それはそれでいい。洗い流して欲しい。

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