12月18日 水曜日 雨
たくさんの素晴らしいミュージシャンの曲を身体に入れています。12/26に集ってくれる音楽家は、僕が人間として、心から尊敬している人たちです。だから、この作業はとても愉しいす。「あー、この人のこういうところが好きなのね」とか、いろいろ。当日はわたくす、下手なホスト(進行係)役をつとめます。いっしょーけんめいやりますが、そこだけは期待しないでください。笑。チケットはもう少しだけあるそうなので、迷っている人はお早めに。
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はてさて。
九州でずっと考えていた、40代の雑感。
12/16は父親の命日でした。
彼は今の僕の年で死んだのですね。31年前、僕は18歳でした。
国道を徒歩で横断中、車2台に轢かれて死にました。翌日の新聞に「大学教授、酔って車に轢かれる」と云う記事が載りました。それを書いた記者の襟首をつかんで激怒したことを覚えています。そして、どちらの車が致命傷を与えたかということで揉めました。僕は何というか、その、いたたまれなかった。僕の愛する父親は金で出来ているのではないからです。
そのとき僕は「何があっても49歳までは生きよう」と決めたのです。「あんたを超えていくよ」と。あと1週間とちょっとで僕の49歳も終わります。だから、よほどの事がないかぎり、僕はひとつの約束を果たすことになると思います。超えたかどうか誰がジャッジするのかって?親父とオレです。
彼と僕は、会話を交わさなくても。深いところで理解しあっていました。それは今もそうです。頭のキレるスピードは到底かなわないけれど、純粋すぎた彼に足りなかった「強さ」を僕は代わりに手に入れた。ここから先は彼が果たせなかったことをやります。それが何なのか、たぶん誰にも伝えないけれど。
40代は,,,,,,。あんまり書きたくないけど、苦しかったです。よく生き延びたと云うのが偽りのない実感です。一歩間違えればこの世には居なかったし、二度と経験したくないことが大まかに云って4つあったし、人生最大のピンチもありました。
あまりにヒドい目に遭うと、その傷はもう修復できません。その傷や痛みと共に生きていくしかないのです。「消えない痛み」を自分の個性として捉えるしかないと云うか。そのかわり、表現は深くなります。アイロニックだけれど。
乗り越えることができたのは、すべて愛のおかげです。ほんとうです。すべてを失って、たいせつなものは何ひとつ失われないことを知ったのです。それらは僕の心の中にあるからです。不可侵なのです。愛とは求めるものではなく、与えるものです。見返りを要求するのなら、それは愛ではありません。そして孤独は誰もひとりにはしません。こんな簡単なことを理解するのに、ほぼ50年かかりました。残念。
むろん40代も一生懸命に生きていたとは思います。でも、今一度フル・スロットルで生きてみようと思うのです。静かに、でも確かに燃えています。未来を創ることは、目の前にある今を全力で真摯に生きることに他ならないからです。
生きる力とは覚悟のことです。たぶん、だけど。
いい文章。
俺は40歳。
この十年が勝負だと思う。
その10年先輩の雑感はためになる。
俺も山口さんも一生懸命生きるだけ。
四十歳の雑感でした。
長崎でのライヴのコメントにも書きましたが、私は2年前に父を越えました。
でも「超えた」かは今でも分かりません。
父が亡くなったのは心が弱かったからですが、
私もその血を引いて30代後半から苦しい日々を過ごしました。
そんな父が亡くなった時分かったのは、
父が周囲の人から愛されていたことでした。
私が周囲の人から愛されているのかは分からないし、
それを確認したいとも思っていません。
ただ苦しい時期があったからこそ、これからも生き続けようと思っています。
形は違えども、父が見ることの出来なかった「時代」を目に焼き付け、
そして受け入れたり、抗ったりしながら行動していきます。
人に迷惑をかけたり、かけられたりしながら一歩ずつ前に進んで行きます。
いいですよね?
あと1ヶ月で40代とお別れ。体がイメージ通りに動いてくれないけど、気持ちだけは元気に50代を迎えようと自分を励ましている毎日。まだまだ人生はずっと続いていくのだから、いちいち悩んでなんかいられないさ。親父が亡くなった年齢まででさえまだあと20年。まだまだだ。
何も知らないわたしが言うのも失礼ではあるんですが…すみません。山口さんの父上に強さが足りなかったとは思えないんですよね。純粋すぎる人っていうのは自分の弱さをちゃんと知ってて、その切なさとか痛みを抱えながらも生きてる。それってじつは強いことだと思うのです。「ほんとうに強いボクサーはケンカして負ける」—かつて某画家の先生が自分にくれた言葉、心をよぎります。
簡単なことほど なかなか気づけません。ていうか、気づきって自分と真摯に向き合わないと受け取れないですよね。でも気づいたのだから。自分におめでとう!です。
40代のわたくす。さすがに老いてく体には逆らえませんが魂の年齢で生きてます。これまでも、これからも。まだ早いけど山口さんの50代に幸あれ~\(^ω^\)
私もしんどかった…今も、たまにしんどい…けど「その傷や痛みと共に生きていくしかないのです」ありがとーーっす。
洋さんの最近の歌詞を聞いていると、体内の何かがジャージャーと流れていくような感触を得るのです。涙でも汗でもない、何かが…伝わるかな…
いつもブログ読んでおもいますけど、
山口さんて愛されてますよねー。つらい経験を経て、肉体的には時を経てもなおいっそう瑞々しく見えます。たぶん愛されているからじゃないですかね?
・・・おかゆ美味しそう。
自分は山口さんの2コ下。
「消えない痛みも自分の個性に。」なんか自分にもよくわかる感覚です。
もっと若い頃は「今の自分じゃない何か」になろうと人生に抗ったり、「あのときああしていれば別の人生が」 などと無意味な思考のループに陥ったりしたもんですが、全てを含めて「今の自分」ができていることに感謝できるようになってきました。その根底は、そう山口さんの言う通り「愛」。
Life is not easy… 順風満帆とは決して言えない人生の途中、地方都市でもがきながら生きてますが、しんどいときは「らんらんらん」を爆音でカーステで鳴らしております♪( ´▽`)
人は何かを失い新たに得るものに出会う。
人生の意義と目的が分かる人は幸せですね。
傷を負い苦しんだ分、強さが自分の力になる。
洋さん生きていて良かった…涙。
『今一度フル・スロットルで生きてみよう』の言葉…心配になります。どうか、人生をゆっくり静かに燃えて下さいね。お願い!
20歳の時にHEATWAVEを知って、あれから19年。
20歳の時、30歳の山口さんがすごく大人に見えて、かっこよくて、
30歳の時、40歳の山口さんが渋く見えて、真似をして、
39歳の今は、49歳の山口さんがとても優しく見えます。
優しさは強さなんだな、と。
山口さん、お疲れ様です。
’99年のポリドールとの契約解消以降、ヒートウェイヴの歌をチェックするのが大変になったのは事実です。
ここ数年、ヒートウェイヴのライブに行ってません。
(最後に山口さんの生のライブを観たのは、川越・鶴川座が最後でした)
でも、こうしてご健在でいらっしゃることに、ほんとうに嬉しく思います。
自分も40代に転職を失敗して以降、もう6年も非正規雇用で食いつないでいます。
なんとか這い上がろうともがいています。
お互い、少しでも高みへ這い上がりましょう。
来年、「ヒートウェイヴ」のライブに行きたいと思ってます。
どうぞ、お元気で良い年をお迎え下さい。
なんとなく、わかります。
私も、46歳。
父より5歳も年上になりました。
不思議な感覚です。
読んでいて、じ〜んとしてしまいました。普通に生きてることに感謝したくなるときって
ありますよね。26日、素敵なバースデーになりますように!