5月6日 月曜日 晴れ
昨夜は俺にギターを教えてくれた絵描きの親友や、アイルランドからアホ友も来てくれたから、千葉に泊まってしこたま飲んだ。いい夜だった。きっと疲れもたまるだろうからと高めのホテルにしておいたのに、布団をめくってもいなかった。笑。
プロになって、上京して初めて住んだのは千葉だった。当時の事務所の社長が千葉に住んでいたからという、それだけの理由。もう30年も前の話。給料が7万円で家賃が忘れもしない4万7千円。光熱費や楽器のローンを支払ったら、その日のうちにマイナスに転じる生活だったから、プロなのに、ヴィデオ屋で働いてた。
おかんが優雅に成田から海外に行くついでに息子の住まいを確認しにきたことがある。彼女は俺のアパートのことを「ゲタばき」って言いやがった。なけなしの金で揚げ出し豆腐作ってやったのに、そのいい草はないだろうが!笑
急に確かめたくなったんだよね。どんな暮らしだったのか。俺の30年はなんだったのか。
ファミーユ島村は現存していた。ああ、あの2階の端っこのちっちゃい部屋だよ。ウルフルズがツアーに来ると泊まってたよ。1Kなのに。笑。トータスが翌日のかぶりものを縫ってたよ。
家賃が収入の3分の1を超えると破綻するって公式があるらしいけど、いつだってオレはかなり無理して高めの部屋に住んでた。見栄じゃなくて、そうしないといいものは作れないと思ってたから。
今みても、ゲタばきではなかったよ。貧乏だけどさ。俺なりに頑張ってたんだなぁって、なんだかじーんとしたよ。
でもって、30年にもわたって、音楽で生きてこられたのは、支えてくれたみんなのおかげだよ。ほんとうに感謝したよ。ありがとう!
だから、こころを込めて、いい音楽作るぜ。
山口洋様、はじめまして。20年来のファンです。実家が隣町にあります。ベストアルバムのレビューで、山口さんが検見川に一時、住んでいたことに驚き、今度、帰省した際に「詣でて」みようと思います!
わが町でも「あの日のオルガン」が公開されました。エンディングの曲『満月の夕』アン・サリーの歌声と共に涙が頬を流れました。エンディングロール。山口洋さんの名前を見つけました。そしてパンフレットにも。
少し前にアン・サリーのライヴを観ました。その声が耳に残っていて、映画から流れる声と一致し、不思議な感覚でした。映画と同じように、新しい時代へと語り継ぎたい曲。今の自分の弱さに力を貰いました。
空ありというのは仏教的に深い意味があるとみうらじゅんさんが仰っていました。新曲にも近いテーマのものがありますね。