live

5月19日 金曜日 曇り

暗い話ではなく。

周囲でどうしようもなく、どうしようもない病と向き合わざるを得ない場面、命をカウントダウンせざるを得ない場面に多々遭遇するわけです。簡単に言えば、人生の諸先輩方が、どう生きるかってことを背中で後輩のオレに伝えてくれている。

老年にさしかかった人(ある意味オレも含まれる)たちにとって、コの失われし3年はとってあまりにも大きかったのだと。あらためて。

ネイティヴ・アメリカンは「今回のlifeも素晴らしいものだった。それじゃぁ、友よまた会おう!」と言って死ぬんだけど、輪廻転生を信じていないオレの場合はそうはいかない。だから、人生における一番遠い日、つまり命がついえる日に「どうやって人生を終えたいか」ってことをはっきりを見つめておいた方がいい。「どう死にたいか」ってことは「どう生きるのか」ってことと同義だから。そこを見つめていたなら、今日この瞬間に、オレはなにを優先して生きるべきなのかがあぶりだしみたいに見えてくるから。

ひとつだけ強く思うのは。

依存はよくない。良い結果を産まない。依存って、あらゆる意味に於いて。宗教でも配偶者でも家族でも貯金でもなんでも。

スピリットは独立を目指した方がいい。

オレから見て、とんでもなく「独立」している素晴らしい人物が、「湯船には入らない」と言う。聞けば、昔から湯上がりに調子が悪くなるから、風呂でもしものことが起きて、そこで人生を終えるのは嫌だから、と。

んなこと考えたこともないオレはまだまだだね。そんな飲み屋での一夜。

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live への2件のコメント

  1. ポレポレジャスミン より:

    私も輪廻転生を信じていないので、1度きりの人生、どう生きるかどう死ぬかは、とても大切なことなのに、いまいち自分の死ぬ姿がリアルにイメージ出来ない。
    依存が良くないというのは、同感です。
    だけど、自分が何ものにも依存していないかは疑問が多々あります。
    スピリットは独立を目指した方がいい。という言葉、とても心に響きました。
    若い頃から生きづらさを抱えていて、血の繋がった家族とも分かりあえる感覚が、どこか持てません。
    愛してはいるのですが…。
    若い頃は、中年の自分もイメージできなかったけど、最近は高齢の親を見ていると、先々のことがだんだんリアルに感じられるようにもなって来ました。
    生活もいろんな意味で厳しさを増して来ましたが、若い頃抱いた夢は手放したくない。と思っています。

  2. 堺のヒロシ より:

    またまた、ココロふるえる貴重な法話に接し、連日の投稿をご容赦ください。
    死に際に立ち会えず、病院のベッドであっけなく逝ってしまった母や、ヘルパーやデイサービスにお世話になりながらも、独りでなんとか生活している父から、生きること、死んでいくこと、を、自分の問題として、日々考える機会をいただいております。確固たる信念みたいなものには、辿り着けそうにないですが、誰かが歌う『死ぬまでjokeを忘れなかった男』であり続けたいとワ願っています、、
    ニャン(=^x^=)♪

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