逡巡

4月6日 金曜日 晴れ 

 いつもより遅い時間に、海沿いを走った。いつもの場所で折り返して、背中に浴びる夕陽に、いつもと違うものを感じて振り返った。富士山の真ん中に大きな赤い太陽が沈んでいく。僕は走るのを止めて、しばらく見とれた。世界はこんなに美しいのに。カメラを持っていれば、と思ったけれど、それは心に刻めばいい。

 昨日は実に17時間に渡る打ち合わせをした。場所を変え、相手を変え。午前様になって、高速道路を走っていたら、幻覚が見えた。しんどいこともたくさん話した。それでも、いちばん大切にしなければならないものがはっきりと見え、かなりの部分を仲間たちと共有できたことは実りだった。

 福島県相馬市から、忙しい時間をぬって、プロジェクトに関わる二人がきてくれた。震災後とはまた違った意味で、彼らの表情が痛んでいた(ごめんね、そうとしか表現できない)。毎日、連絡を取り、声を聞いていても、表情が語りかけてくるリアリティーは想像を超えていた。経験が人の顔を創る。そんな意味で、彼らの表情を観ているだけで、言葉は必要なかったとも云える。

 ある娘さんが、首からぶら下げていた積算線量計の放射線量を記した書類を見た。僕が言葉を失ったのは線量ではない。(記さないが、線量自体も安全だと僕は到底思えなかった。とにもかくにも、安全な被曝なんてあり得ないのだから)未来そのものである子供はモルモットではない。ひとつの素晴らしい魂で、未来で、ニンゲンだ。あの子は実質的にもちろん僕の子どもではないけれど、僕の子どもだ。自分が被曝した量を知ること。それは良い側面もあるだろう。けれど、その事実と事象が未来に渡って、どれだけ彼女を傷つけることだろう?いったい彼女に何の罪があるのだろう?その責任はこんな世界にしてしまった僕らにあるのに。嗚呼。

 ひとつ、僕は問いかけたい。被災地の複雑極まりない事情を僕なりに知った上で、それでも問いかけたい。お前に何が分かる?って、分からないことがたくさんあるからこそ、問いかけたい。

 あなたのお子さんが外部被曝だけで、放射能の専門家が一年に許される量を超えて被曝しているとき。あなたはどうしますか?

 僕は仕事も家も、何もかも、捨てて、そこから逃げます。いちばんに優先すべきことは、僕にとって子どもの命だからです。「命を一番大切にすること」。何よりも、それを優先します。避難したけれど新たな土地に馴染めなかった。親が仕事を見つけられなかった、お金が続かなかった、イジメられた、エトセトラ。悲しい事実もたくさん聞きます。そして避難し、子供たちが居なくなれば、その街に未来はありません。滅びゆくだけという悲しすぎる結末。でも、その上で、僕は命を一番大切にして欲しいと心から思います。厳しい現実があるのを承知の上で。親になったこともない、被災したこともない僕が書くのは気が引けます。でも、躊躇するのは止めます。自分の意見を伝えることで、いろんな人たちが考えてくれ、解決への糸口が見つけようとする人が増えるのなら。今日、この時も原発を再稼働しようとしている人がいます。その人が、そして僕があの子を自分の子どもだと考えるなら、そちらに舵を切ることなんて出来るはずがないのです。いちばん大切にしなければならないことは何ですか?あなたの社会的立場ですか?経済ですか?金ですか?名声ですか?コネクションですか?むろん、それらがなければ社会生活は成り立たたないという側面もあります。ただし、心を鬼にして、それぞれが優先順位を決め、それぞれが行動しなければならない「有事」に僕らは生きていると思います。

 今、被災地で起きていることは一元論では語れません。無茶苦茶にややこしく、それぞれの事情があり、一言で語れることなんて、何もありません。それが「有事」の意味なのだと、昨日、居合わせた全員が思い知りました。

 それでも、僕らは事実を見て、自分の頭で考え、行動したいと思います。僕らがやってきたことは間違っていたこともたくさんありました。表面だけのマスターベーションのような支援には意味がありません。ほんとうに大切なこと。「命を何よりも大切にする」こと。その事を忘れず、これからも逡巡しながら、活動を続けていくつもりです。

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 以下の文章はツアー中に書いていたものです。

 大げさな話ではなく、僕は行ったことのないはずの「戦場」みたいな場所に居ると感じている。ただし、敵は見えない、見えにくい、見ようとしない、そして敵そのものが自分かもしれないという場所。痛切に感じるのは「いったいどれだけの言い訳をそれぞれが用意しているのか」ってことです。それが政府であれ、会社であれ、個人であれ、僕自身であれ。その集積が今の状況を作ってしまった。全国を自分の足で廻り始めてみると、それが如実に見えてくる。ピンチはある意味でチャンスなのに、言い訳の集積がピンチを本当の危機に変えてしまっている。誤解のないように、僕はあなたを責めているのではない。この言葉は自分にも向けている。

 自らを支える「柱」のようなものが倒れたなら、立っていられなくなる。だから、そうならないように「言い訳」を用意しておく。論理としては理解できる。でも前もって用意されている「言い訳」がそれぞれの成長を止め、無関心を産み、連鎖し、結果的にそれがこの社会を形成する要因になっていく。

 僕にとって、1年前から連綿と起きている出来事は自分の「柱」が倒れるには充分すぎた。あくまでも僕の考えだけれど、ならば一度倒れるしかなかった、怖れずに壊れるしかなかった。正確に云えば、僕は壊れることが可能な立場にあった、とも云える。家族が居ないから。確かに「ボキっ」と音を立てて、何度か心は折れた。詳細は僕の本「陽はまた昇る」に書いてある。でも、人間はそんなにヤワでもなく、折れる度に「強く」もなる。それでも人は生きていかなきゃならない。しんどいけど、それがLifeってものなのかと今になっては思う。

 blogだツイッターだ、ソーシャルメディアだ。この時代、誰もがなろうと思えば小さなメディアになれる。ただし、匿名性の元に語られるものが僕は意見だとは思わない。そこに責任が発生しないから。それは決してすべてが無意味ではないし、匿名性を否定はしないけれど、発言には責任を持って欲しい。言葉と想いと行動を同じ次元から発生させて欲しい。僕ら大人が、道のないところに、道を切り開く以外に未来を創る方法はない。書きたくないけれど、でっかい地震が来たら、もうこの国は終わりになるかもしれない。世界からもどんどん見放されている。それは僕らが「言い訳」を柱にしているからだ。事実を事実として認め、それに立ち向かおうとしないからだ。多くの人が自分のことしか考えないからだ。地軸はあなたでも僕でもなく、mother earthであり、宇宙。安定なんて、実は何処にも存在しないのが「安定」という言葉の意味で、もしあなたが安定しているのだとしたら、それは誰かの多大な犠牲の上に成り立っている。そんなもの、永遠に続かないことをこの一年間が証明しているはずなのに。

 僕はほぼ毎日、相馬に電話します。闇は深くなっていくだけ。このままだと、この国は崩壊すると思う。でも、どんなに難題でも、僕らはそこから逃げちゃいけない。いや、正確に書くなら、僕は逃げたくない。袋小路だったとしても、頭を振り絞って考えて、行動して、優先順位を示して、道を作り、立場の弱い人たちを守りたい。大人がやるべきこととは、空想ではなく、そこに結果を出し続けていくことだと思う。旅を続けていて、そう思う。 

 こうやって日本の西を廻って思うことは。被災していない人たちだって傷ついている。「何かをしたい」けど、その受け皿がなく、自分を責めている人もたくさん居る。その受け皿を考えていくのも、僕らミュージシャンの役目だと思う。

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 日曜日は千葉のANGAで演奏します。あまり固くならずに、音楽を愉しみつつ、相変わらず喋りが下手な僕と会話しましょう。

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逡巡 への1件のコメント

  1. あんづ より:

    場を明るく楽しくそれが今の私の一番の仕事だと思ってます。
    もしもの話明日に未来はないとしても大人はそれを子供たちには
    絶対言ってはいけない・・・。そう思います。
    お体気をつけて頑張ってください。ライヴ楽しみです!

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