日別アーカイブ: 2011年12月5日

SOMA WEEK開幕

12月5日 月曜日 晴れ それが良いことであれ、そうでないことであれ、人はキャパシティーを超えるものを受け取ったとき、言葉を失います。SOMA WEEK第一クールを終えて、東京に戻ってきた今の僕の状態がまさにそれです。深く人々に感動し、公衆の面前で号泣し、海よりも深いため息も何度かつきました。でも、僕は伝えなければなりません。これは応援してくれたみんなの気持ちがこもったプロジェクトだからです。正直に云って、まだ何も咀嚼できていません。だから、ときどき支離滅裂になることを許してください。感じたことを、出来るだけ心の深いところから伝えてみたいと思います。 僕はいつもと違う道を選びました。ほぼ全員が避難している飯館村のとある地区を抜けたのです。晩秋の美しいにも程がある、東北の山里の風景。きれいに手も入れられています。でも、誰ひとり居ないのです。運転しながら、急にこみあげてきたものを止めることは出来ませんでした。個人的な話ですが、僕にもう帰る故郷はありません。だから、それを想う人の気持ちは分かるつもりでいます。彼らがどんな気持ちで故郷を離れなければならなかったのか。そして、今どんな気持ちで帰郷に焦がれながら、暮らしているのか。それを想うと、本当に何というか、相馬に着く前に、心が折れました。これだけは伝えたいのです。原発事故はまだ「何も」終わっていません。何の罪もないまま、自分の村から引き離された人々のことを忘れたくありません。彼らがそこに帰るためには何をすればいいのか。あるいは帰れないのなら、どうしたらいいのか。うー、いろんな想いが頭の中をグルグル巡ります。 最初に向かったのは南相馬市にある自立研修所「えんどう豆」です。ここに書くのもはばかられるほど、震災後、彼らは苦難を乗り越えてきました。そして、今現在も放射能に苦しめられています。でも、笑顔を忘れません。所長の佐藤さんをはじめ、みんな生き生きと「ここで」生きています。リクエストは「ほんの短い時間でもいいから、美味しいものをみんなで一緒に食べて、ほっこりしたい」でした。プロジェクトが誇る料理人たち5名が前日から乗り込み、魚どころなのに、食べられなくなってしまった魚を振る舞うために、奮闘しました。ありがとう、お前らサイコーだよ。 僕は彼らが食べている間、ずっと縁側に座って、彼らの声を背後で聞いていました。余計な都会のテンションを狭い部屋の中に持ち込みたくなかったからです。料理人達の心意気をゆっくり味わって欲しい。そう思ったのです。目の前には「えんどう豆」の畑が広がっています。そこに作物を植えることはできません。収入の道は断たれました。心の中で何度「畜生」と叫んだか分かりません。それが誰に対してのものなのか、未だに分かりません。 原発から20キロ圏内にある3つの高校を統合した「仮設高校」に行きました。猫の額ほどのグラウンドで野球部が練習しています。そして真横には表土を剥がれた土がブルーシートと共に山積みにされています。頭の中で、確かに何かが切れる音がしました。イカれてます。狂ってます。云うまでもなく、生徒たちが狂っているのではありません。我々大人たちが、です。政府がです。自治体がです。こんな環境の中でも、野球に励もうとしている学生たちに、僕はカメラを向けることは出来ませんでした。 それから僕らは明日のアイルランドとの交流会の仕込みに行きました。大学を出た後、僕は式典屋でアルバイトをしていました。得意分野です。走り回って、汗をかいて、気持ちを込めて、自分の気持ちを立て直しました。心のこもったたくさんのプレゼントが用意されています。人を想うのも人、自分のことしか考えないのも人。それが僕らの住んでいる世界です。 会場の設営を終え、リアムと合流しました。相変わらずの下手クソな英語で、このエリアのことを説明しました。彼は黙って、それを聞いてくれました。さぁ、明日は来年に繋がるいい一日にしよう。でも、このままじゃ無理だ。それを察した相馬の友人たちが、アホ化して、酒でネガティヴなものを洗い流してくれました。ありがとう。  

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