日別アーカイブ: 2012年5月21日

この世界で暮らしていくこと

5月21日 月曜日 雨   遠方から酔狂なKがやってきて、二日間を過ごした。飯を喰って、僕は山を走り、彼は歩き、話して、飲んで寝る。奴と時間を過ごしていて気持ちが良いのは、「どうやったら、世界は良くなるのか?」について語り合えるからだ。その一点だけが男どもの最終目標であるからして、まったく余計な気遣いを必要としない。楽だ。ご想像の通り、ここには書けないくだらない話もするわけだけど。  山に居ても、放射能問題は深刻さを増すだけで、常に軌道修正を迫られる。自分が熟考せず、スタッフに任せたばかりに、過ちを犯しそうになっていることを、誰かの指摘でようやく気づいたりもする。そうなったならば、自分の浅はかさを認め、謝罪し、できる限りの対処をし、修正するしかない。まったく気が抜けない。つーか、抜くことは許されない。学べよ、自分。  それでも、この問題と向き合うことには意味がある。避けては通れないし、それぞれがそれぞれの立場で考え、行動する以外に未来はないからだ。このような事態は本来「国策」でやるべきだが、政府が自分の考えと逆のことをやろうとするのなら、自分たちで道を作るしかない。置かれた個々の事情もできるだけ知ろうとしながら。  僕が首相と会う機会を与えられたなら、フツーの体温で、一個人として伝え、話かけ、問いかけたいことが沢山ある。ヒステリックになったり、無意味に緊張したりはしないと思う。相手は政治家である前に人間だから。  物事を動かすために、専門家に意見を聞いたとする。実際のところ、僕に近しい人物がそうしてくれたのだが。知識は半端なく、人を救おうとする気持ちにたぶん間違いはなく、そして発言の影響力は僕の比ではない。でも、そこに「ん?」と僕の本能が拒絶するものがあるのなら、それは伝えることはできない。怖がっているのではない。「もしも」が具現化した世界に生きている以上、それを伝えた後に、「もしも」が更に現実になった際、僕は責任を取ることができないからだ。それは人間として、あまりに無責任だ。  つまり、僕らは自分の頭で考え、自分の決断によって行動することが求められ続けている。何も変わってはいない。人には勧めないが、僕が最終的に信じるものは自分の「経験」と「本能」。決断は自分で下す。専門家の意見はもちろん参考にさせてもらう。でも、決して鵜呑みにはしない。そして、やっかいなことに、気を抜いた隙に自分は間違いを起こしそうになる。まったく危ういったらありゃしない。それが疲れませんか?と聞かれるのだが。全然。だって、そうするしかない世界に暮らしてるんだから。

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