ボヘミアン・ブルー

7月16日 土曜日 晴れ

86年にチェルノブイリで事故が起きたとき、事の重大さにおののき、そこに暮らす人々の心配をしながらも、「ソ連に暮らすことは大変だなぁ」と何処か対岸の火事のように思っていた日本人も少なくないだろう。ところがどっこい、今目の前で起きていることは、それを遥かに上回ろうとしていて、この25年間に我々は着々とスポイルされ、自分の頭で考えない人間に飼育されてしまった。

僕にとって走ることは、何ものにも代え難い。何も考えずに、負のエネルギーを地球にアースしてもらう日もあれば、同じリズムで深く考察する日もある。もうレースなんてどうでもいい。誰かに規定されなきゃ走れないってことはない。食事をし、排泄し、音楽を奏でる。それと同じ地平に走ることは組み込まれた。っていうか、走ってないと確実に頭をヤラれる世界に僕は生きている。自分が保つことが難しい。

走りながら、考えた。僕に子供が居たとして、福島に住んでいたらどうするだろう。具体的な言及は敢えて避けるが、ただじっとそこに住んでいることだけはあり得ない。誤解のないように、僕はそうしている人を批判しているのではない。自分だったらどうするだろう。そう考えることなしにこの問題には向き合えないからだ。

今日もまた、ある映像が被災地から送られてきた。正直、もう観たくないのだ。でも、観なかったら自分が後悔する。だから、観る。ここで語られていることは、ほぼ真実だろう。ある種、稚拙な番組であるがゆえ、リアリティーがある。僕は無駄に怖がっているのではない。どちらかと云うと、怖いと感じることは殆どない。ただ、福島の子供たちの10年後、20年後が本当に心配なのだ。彼らには何の責任もない。それはこんな世の中にしてしまった僕らにある。ただ自分のことだけを考え、無意味に怯えるのではなく、現実を出来る限り知って、未来を創造しようじゃないか。不可能だ、とか、俺には関係ないとか、あんたはウザイとか、云いたい奴には云わせておけばいい。勇気のない智慧なら、僕は要らない。智慧のない勇気なら、君は要らない。ハレルヤ、ボヘミアン・ブルー。

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追伸
今日のマイルスの呟き。
「一歩づつ前進するようにがんばり続けるだけだ。そうだ一歩づつだ」。マイルス・デイビス。

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ボヘミアン・ブルー への2件のコメント

  1. fire bird より:

    前略、 
    人類は本当にどうしようも無いのでしょうか?
    最近知ったこちらの話しなどを読むと、もうどうにもならないほど地球は汚染されて
    いるのではないでしょうか? 原発事故よりも核実験の方遥かに被害が大きいはずなんですが、、

    ツァーリ・ボンバとはソビエト連邦が開発した史上最大の水素爆弾、正式名称「RDS-220」の渾名。開発時のコードネームはИван(イワン)。爆弾の皇帝を意味するツァーリ・ボンバは西側諸国がつけた名称であるが、現在はロシアでも広く用いられている。単一兵器としての威力は人類史上最大であり、1961年10月30日にノヴァヤゼムリャで大気圏内核実験が行なわれた。
    TNT換算で広島型原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍、または第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍といわれるこの50メガトン級核爆弾の核爆発は1,000キロメートル離れた場所からも確認でき、その衝撃波は地球を3周した。

    http://www.youtube.com/watch?v=LxD44HO8dNQ

  2. はやし より:

    3・11以前から内部被爆の存在を知っていました。そして原発が爆発した瞬間、これはとんでもないことが起こると、切実に、目的意識をもって本や資料を集めて勉強を積み始めました。
    そして、この映像に出てくる、7月12日の野呂美加さんお話会に参加しました。
    知識として知っていたことが野呂さんの体験談とつながり、今起こっていることをより深く理解しました。中でも、とても胸が詰まる思いをしたのは「ホットスポットは子供たちの不調で明らかになる。まるで子供たちがガイガーカウンターかのように」というお話。頭がどうにかなりそうになりました。
    それはチェルノブイリでの経験的なお話でしたが、今の日本も、同じ過ちを繰り返してしまうと危機感を抱いている方は多いと思います。そんなこと、あってはならないことです。
    菅谷昭さんもおっしゃっていますが、早急に汚染地図を作り対処しなければ被害は拡大すると思います。高濃度に汚染された地域の方も、汚染された食材を食べる遠方の方も。誰もに無縁の話では無いのです。
    本当は、こんなことが起こる前から無縁ではなかったのだけど…。
    また。お話会の中で野呂さんはこうもおっしゃっていました。チェルノブイリで子供のために避難せず診察し続けた小児科医にインタビューした時。20年ほどたって今どう思うかという問いに対し「私たちはチェルノブイリに勝った」と言われたそうです。自分も健康に被害を受けながらも逃げずに戦い抜いてきた結果出てきた言葉なのだろうと思います。野呂さんは「私たちは福島に勝てるだろうか」とつぶやいておられました。そして、そのあと、勝たなければならないという決意を持っておられるように見えました。
    私はこれから、子供を持つ母親の横のつながりを広げ、子供を守るための勉強会を開く予定です。まだどうなっていくかわからないけれど、自分にできることは何でもやろうと考えています。
    智慧のない勇気。本当にそうですね。しっかり現実を見据えていかなければ。
    山口さん、そして皆さん。免疫力を高めるように心がけてくださいね。放射性物質に負けない体づくりをしましょう。
    核まわりのことは知れば知るほど絶望的な気持ちになりますが、自分の身の回りのことを見据えて、子供と、世界の未来のためにできることをやらなければならないと思います。いくらちっぽけな存在の私でも。

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