贖罪

11月15日 水曜日 曇り 

 夜中に急に小学生のころを思いだして眠れなくなることがある。もう半世紀以上も前のことなんだけれど。

 Aさん(女性)はいつもいじめられていた。線が細くて、自己主張はまったくなく、たぶんあまり裕福な環境では育っていなくて、いつも同じ格好をしていて、教室の隅に佇んでいた。彼女が笑ったのを一度も見たことがない。彼女に落ち度なんて、なにひとつないのに。

 フラッシュバックみたいに、今でもときどきとつぜん思い出して、胸が痛くなる。オレはもっとなにかができたんじゃないかって。実際できたと思う。こういうことはやめようって、もっとでっかい声で言えたと思う。

 幼いってことは、なんて残酷だったんだろう。

 実はオレもいじめられていたことがある。近所のクソガキ2人に執拗に。人間ってやつは3人寄るとだいたい1人が酷い目に遭うことになっている。体格も性悪さも、人数的にも勝ち目はなかったから、復讐には実に2年を費やした。周到に準備を重ねて、ついに決行。奴ら2人を泣かせて謝らせたあと、その達成感のなさに、復讐には意味がないことを知った。こんなことに情熱を傾けるのは時間の無駄だって。

 Aさんがそんなこともするわけないから、ずっと静かに耐え続けたんだと思う。彼女の気持ちを思うと、ほんとうに胸が痛い。

 彼女が中学にいた記憶がないから、どこかに転校したんだと思う。今でも願うことはただひとつ。幸せに元気でいてほしい。

 世界で今起きていることはまったく同じ図式。幼かったころと同じことをしたなら、ただのアホだ。だから、Aさんには感謝しかないし、もし会えることがあったら、こころから謝りたい。

 人前で歌うって、そんなことだったりもする。背筋を伸ばした贖罪として。

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贖罪 への2件のコメント

  1. ポレポレジャスミン より:

    私も、贖罪しなきゃならないこと沢山あります、、、。
    ここでは書けないようなことも、、、。
    Aさんのことを考えると私も涙が出ました。
    Aさんには本当に元気で幸せでいて欲しいですね。

  2. 金北山を仰いで育って より:

     毎週末にまとめてブログ読んでおります、この回は読んでて心が洗われました、山口さんのこういう柔らかい感受性のゆらぎみたいな微妙な感じって本当に好きです、頑張ってください。

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